序曲
作者は音楽の知識がありません、御了承下さい。
伯崎啓檎の人生は、音だけである。
知らないと答えると、共鳴腔を全力使用した声で生徒会長から説明された。明後日に開会式となる大会、全国なんとか大会の選手に推薦されたらしい。生徒会からの正式な要請なので、拒否は基本的に許されていないそうだ。
入学式の時にも思ったが、生徒会長の声はとても心地よい。また聞けるなら、そのなんとか大会に出場する価値はある。要請を受け入れた理由を伝えると、凄い不思議そうな顔で礼を言われ、最終的に喜ばれた。
何故音を褒めると、喜ぶのだろう。
音楽家は音を紡ぐ者である。音は生き物なら必ず発していて、それを音楽に派生させるのは聞く側だ。聞く気の無い者にはどんな達人が演奏しようと、ただの音となり果てる。聞く側をその気にさせられる者は、人を操る事さえ出来る、神と言っても良い。
だから礼を言いたいのは此方の方だった。聞く側をその気にさせるような音楽を聞かせてくれた奇跡に、啓檎は感謝している。
啓檎もいつか、そんな音楽家になりたい。
家族の隣に立てる、素晴らしい音楽家に。
オペラハウスのステージに足を掛けた瞬間、乱暴な『音楽』に夢から叩き起こされた。良い夢を見ていたが、所詮は夢。名残惜しむのは無駄だと、忘れる事にする。
天井が高い、啓檎が寝ていたのは部屋ではなくホテルの廊下だった。何故此処で寝ていたのか、微睡の残った頭で考える。同室になった力富が夕飯を寝過ごしそうな啓檎を心配し、レストランの近くにある談話スペースへ連れて来てくれたのだ。学校でも授業に遅れそうだとよく気に掛けてくれていた、不真面目な啓檎には勿体ない出来たクラスメイトである。
啓檎を引きずった力富は近くに居ない、友達でも探しに行ったのだろうか。辺りを見回していると、また聞こえる大きな音。夢の世界を破った音は、どうやら人の声だったらしい。
「面も見せられねえってかあ!?何様だゴラアアア!!」
「貴様のような野蛮人をあの方に会わせる事は無い、早々に消えろ」
音の発生源には何人か居るが、中心に立つ男二人の存在感が大きい、物理的に。どちらも体格が良く、大会が腕相撲なら決勝戦が始まりそうな対立構造である。
しかし似通っているのは筋肉量だけらしい。一人は変顔に見える程相手を煽り散らし、相手は冷めた眼光で静かに対応していた。初見では表情筋フル活用している男が悪く思うが、会話の内容ではどっこいどっこいである。
推測だが野蛮な方が誰かと面会を希望していて、その橋渡しを冷静な男が拒否しているようだ。制服の色が違う、他校同士での言い争い。啓檎でもよくない状況だと分かった。
巻き込まれないよう鈍い足を動かす、アレに割って入ろうなんて思わない。
そして不思議な『音楽』に、啓檎の足は固まった。
「こちとらテメエんトコの親玉に頭下げさせてえだけなんだよ!!?」
「此方が謝罪しなければいけない事は何、も……」
第一高校の制服を着た男が、言葉を不自然に切らす。その違和感を指摘する者はいなかった、誰もが男と同じ状態となったのだ。口からは空気の出し入れだけが行われ、無駄な空気の振動が抑えられている。
野次馬どころか他人だった啓檎にもその『音楽』は届き、誰よりも耳を奪われた。
「―――空之岳君、他校の方との接触は控えてほしいとお願いしましたよね?」
「え、げぇ!?生徒会長!」
「我が校の生徒がご迷惑をお掛けしました、アハメドさん」
「……いえ、こちらこそ申し訳ありません」
足音すら曲にして現れた生徒会長が、優雅に対立を仲裁した。不思議な『音楽』によって崩壊していた喧騒は、鶴の一声で和解に導かれる。野蛮な男は生徒会長の一睨みであっさり後退し、他校の男は落ち着きある態度で応えた。
事態が収束する様子を、啓檎は見ていなかった。
意識は耳にだけ宿り、『音楽』の余韻に浸っている。
気が付けば対立は解体されており、穏便な終幕となった。何も考えていない、背中を見せる他校の男に隠れて付いて行く。公衆電話が置かれている行き止まり、男は隅の影に向かって話し出した。
「礼を言う、だが何故アッラーの傍を離れている?」
「……ぁ……」
居た。公衆電話の置かれた台が作った微かな影と溶け込むように、膝を抱え小さくなっている。
あまり容姿に頓着は無いが、一目で暗いと表現される姿だった。影よりも濃い真っ黒の髪は前も後ろも長い、鼻先までたっぷり伸びた前髪は歩行に支障を来たすレベルだろう。丸くなっているので小柄に見えるが、正確な体格の測定は出来ない。これで浴衣姿だったら座敷童に間違われても仕方ないだろう。
男の問いに座敷童(仮)は何も答えず、膝を更に縮こませた。
「……」
「……」
「……夕食の席には戻れよ」
「……ぅ」
啓檎が隠れていた角とは逆に曲がり、男は去って行った。此方に視線は向けないが、恐らく啓檎の存在には気付いていただろう。そういう足音だった。
男の背中が見えなくなってから、啓檎は座敷童(仮)が居る廊下に飛び込む。
「さっきの音はお前か!?」
「△☆ッッ■!?」
熊にでも遭遇したリアクション、声にならない悲鳴を上げ壁の染みになる動き。失礼だが気にならなかった。
この小人と見紛う程小さくなり、床まで響く勢いで震えている座敷童こそ、あの『音楽』を紡いだ者。
外見も人格も性別もどうでもよかった、啓檎の心はあの音色に奪われたのだ。
「ユニークなシンコペーションだが各部に感情を込めたフェローチェ!あんなにシャープもフラットもごちゃ混ぜなソロでどうやってここまで重厚なメロディーになるんだ!?」
「ぃっ??っ!?っぁっ???」
「アンコールだ!テンポを理解すれば俺とのアンサンブルも可能になる!」
「ぉ!???」
思いの丈を吐き散らかす。座敷童、第一賦力高等学校の制服を着た少女は最後まで話しを聞いてくれた。最後まで返事は無かったが。少々興奮が過ぎて文章にならない言葉を吐いていた自覚は有る、それとも話せない訳でも有るのだろうか。
一通り感想を言い終えて、やっと啓檎の口が落ち着いてきた。全身でバイブレーションしてる少女は、完全に怯えている。
啓檎の心に湧いた感動をちゃんと伝えられなかったのは残念だが、せめてコレだけは言いたい。
「本当に……素晴らしい『音楽』だった!」
「……ぁ」
「いつかまた聞かせてほしい、都合の良い時に連絡をくれ!」
これ以上素晴らしい音楽家の負担になる事は、啓檎の望むところではない。名残惜しいが、幸いにも大会はまだ始まってすらいないのだ。期間中は他校であっても会える機会はきっと在る。
軽い足取りで夕食会場に向かう、これ程心晴れやかな気持ちは久方振りだった。
啓檎が賦力高校を選んだ理由は、才能もだが一番は興味だ。銀賦は賦力士が在ると信じるモノを具現する、世界の創造者。ならば啓檎の知らない音を知っている者が居れば、それを作ってくれるかもしれない。
他人の『音楽』に、文字通り触れられるかもしれないという期待。
それが今叶ったのだ、眠気なんて感じていたら勿体ないだろう。
「ふふんふん……あ、連絡先渡し忘れた」
高揚に耐性が無いので、直ぐに大事な事を忘れてしまう。これも音に魅入られた者の性だろう。
高級ホテルに相応しい夕食会場。生徒と教師全員が一斉に動いても、不便を感じない広さと心配り。脳細胞に焼き付いたメロディーが勝手に繰り返され、鼻歌に変換される。隣で力富から熱い視線を当てられていても気にならず、素晴らしい食事を堪能した。
それは啓檎がデザートを取って戻った時、唐突に流れだす。
嵐のプレリュードは、啓檎の感動を消すには足りなかった。
ミリオネア縦沖高層ホテル、十階。種類の違う複数のレストランが、特徴を最大限に生かし美食を提供している。その内の三つ、各学校が貸切る形で一所を独占していた。
夜景を楽しめるよう室内灯はモダンなオレンジ、光を反射しない素材の高級絨毯と椅子が宿泊客を歓迎する。細部にコックのこだわりを感じさせる美しい料理と共に歓迎され、第一賦力高等学校の生徒は優雅に食器を操っていた。
特にレストランの一角、大人十人は座れるソファの中心に美の神が居た。両脇には毛色の違う美女がソファから溢れていて、一口ごとに違う美女がアッラーの口へ料理を運んだ。彼専門のコックが傍に控え、独り言に等しい注文でも最速で対応する。
誰も疑問に思わないのだ、それが〝神の食事〟だと知っているから。
静謐の和。檜の香りが郷愁を、畳の感触が安らぎを与えてくれる。
漆黒の盆に揃った食材は、完璧な調整だった。輝いてすらいる金色の天ぷら、刺身の切り口には欠片の乱れも無い。汁の一滴も惜しみ、上品な作法を維持して飲み干す。目にも優しい木々の色味が、日本人の根底に訴える安堵を生んでいた。
別室のカウンター席に座っているのは、眼鏡を掛けた男子生徒一人だけ。提供される料理は作り手に全て委ねられていた。カウンターを挟んで調理衣を着ているのは、男子生徒と同年代の男だ。手際に反比例した若い板前は、無言で青魚の握りを寿司下駄に乗せた。
やはり無言で食す男子生徒の口元が微かに緩んだ瞬間を見て、若い板前は満足感を得る。歓喜が敏感な指先を乱さないよう、次のネタに取り掛かった。
テーブルクロスの下にしか影が出来ないような、眩しい空間。定番から珍味まで、多種多様な料理が台車の上に並んでいた。
餓えた高校生を満足させるに不足ない、視界から満たす豪華な食べ放題ディナー。和洋折衷のバランスに、やんちゃな高校生を気遣うホテル側の心が伺えた。一人では決して食べきれない量と種類に、男子は嬉しい悲鳴を上げている。メインの脇に置かれていても、輝きは一番の甘味達が女子の興奮を攫う。
奉仕を褒美と考えている生徒会書記の我儘を受け入れ、配膳された料理を食する生徒会長。宝石に似た輝きを発する金髪が、周囲の視線を常に一定量集めていた。そんな視線に慣れきっていた当人は、ミディアムなビーフステーキに頬を溶かされている。幸福を噛み締める笑顔に、視線の数は跳ね上がった。
ちなみに叶雨はローストビーフを、力富は口一杯に唐揚げを頬張っている。
どのレストランでも、客は美食を満喫していた。
まさに最後の晩餐である。
「〈―――やあ、諸君〉」
神は林檎を齧りながら、眼鏡の男は手拭きを使用しながら、美少女は口元を拭いながら。
天井から現れたモニターに、目を向けた。
「〈これより〝全国三校合同賦力競技大会〟を、始めよう〉」
死闘の幕開けである。
閲覧有難う御座いました。




