準備
大きい扉だ、使用用途に合わせて運搬車も入れる大きさ。その扉の向こうからは人体がぶつかり合う音や銃声が鳴り、雨音の隙間から鼓膜に届く。
タイミングは重要である。重ねたピザの箱を持ち直し、多少の衝撃にも落とさないように持つ。
狙いは激しい衝音の合間、一呼吸使う戦いの駆け引き。ゆっくりと扉を開ける。特訓に夢中の彼らは気付く様子も無く、音を立てずに開ける方法は知っていた。
無形の銀が照明に反射し、荒ぶる拳閃と必殺の銃弾をものともしない。校外にまで轟く不仲の二人も良い動きをしているが、煌めく銀と踊る少年は別格だった。身体能力もさることながら、銀賦を用いての戦闘術が半端ない。
見惚れ掛けていた思考を振るい落とし、当初の目的に頭を切り替える。必要なのは心の準備だけ。
空中で水銀と銃弾が衝突音を放った瞬間、力強く踏み込んだ。
「ヘエエエイ!!差し入れフォウユウウウ!!!」
「え?おっととと」
「はっ!?ぶげえへぇ!!?」
「きゃっ!?」
フリスビーと見紛う飛行を見せたピザの箱は、狙った相手の懐に見事着地した。
一人は銀賦で勢いを殺しキャッチ、顔面で受け止めた者一人に、銃身で防いだがバランスを崩し膝に抱える形となった者一人。箱に入っているとはいえ、食品が地面に落ちなかったのは素晴らしい。
良好な結果に喜ぶ仕掛け人を、鼻先を抑えた空之岳が怒鳴る。
「テンメエェ……なにすんだ、ブランコ!!?」
ビックリの実行者、ブランコは残ったもう一つのピザ箱を手の上で回し、笑って答えた。
「いやだな~、頑張ってる後輩達を見舞おうとしたんじゃないか?ピザの種類はランダムだから安心してお食べ~」
「安心できるか!!」
期末テストが終わってからずっと戦い通しだったとは思えない程、空之岳のツッコみと抗議の動作はうるさい。疲労が見えているランスタインは地面に着いた腰を上げられず、呼吸を整える事に集中している。体力の差は在っても、二人の汚れと負傷具合は同じだった。
先輩の突拍子の無さに耐性を持つ力富は、汚れも傷も無く平然とピザを食している。数秒前まで激しい運動をしていた体に、油の塊のようなピザを放り込む所業。若くないと出来ない、ブランコは少し感心する。
「うんうん、いっぱいお食べ!……叶雨ちゃんからの差し入れ」
「しかも人の差し入れかよ!?余計投げんな、あぶねえだろうが!!?」
「俺のチーズピザでした、そっちは?」
「……デザートピザ」
「交換しましょ」
「勝手に話進めんな!コッチの照り焼きとも交換しろ!」
「僕も混ぜて~、コーンたっぷりのピザだよ!」
自然と疲れて動けないらしいランスタインを囲うように、地べた食事会が始まった。一番行儀に煩かったランスタインでさえ、地面に転がれ慣れた心が文句を零さなくなっている。ブランコがどこからか出したおしぼりで手だけ拭き、黙々とカロリーを摂取した。
胃が高カロリーの来訪に驚いたのか、ランスタインは二切れで終了。消化器官も頑丈な空之岳は、力富と競うようにピザの争奪戦に喜び勇む。
あっという間にピザは姿を消した。多少膨れた腹を摩り、食休みの会話を投げる。
「そういえば何で差し入れだけ、紅は?」
「近嵐教授が持ってった、あの人はホラ、叶雨ちゃん大好きだから」
「微妙に答えになってないような……」
近嵐教授に連れて行かれそうになり、偶然居合わせたブランコが差し入れ配達を頼まれたのだ。部室に誰も居らず暇を持て余していて、喜んで引き受けた。
「それでどお~?訓練は順調?」
「個々の技術力は向上してますよ。コミュニケーション方面は全く成長してませんけど」
「一方的にボコボコにしてる奴が何言ってんだ!?こんな訓練でコミュニケーションがどうとか、なる訳ねえだろ!」
「今のままなら、一と二の組み合わせで動かざる負えません」
「な……!?」
表情豊かな空之岳の驚きは、戦力外通告か組まされる相手への嫌悪か。疲れて口を開く事すら億劫なランスタインも、眉間の皺だけは不服を語っている。
しかし反論の余地を探そうとしても、実力不足の点は事実だ。一方的に圧倒され続けていて、何故勝てないのか分からない。技術か才能か銀賦か、その全てか。その差を後二週間で埋められる可能性は低いだろう、それで納得できる訳もないが。
「……二週間」
「オダちゃん?」
「その呼び方やめて、愉楽狂。二週間後、大会会場へ向かう為に島を出港する。それまでに一本取れたら……作戦に口出しさせて」
一本。敢えて勝敗を条件にしなかったのは、ここ数日の戦歴と現実を直視した冷静な判断だ。
顎に指を掛ける力富を横から叩くように、大きな反論が飛ぶ。
「ざ、けんな!!?勝手に決めんじゃねえ!!」
「アンタに言ってるんじゃないし、私が一本取ったらって条件よ。アンタには関係ない」
「こ、っ!……俺は!!テメエをぶん殴るまで止めねえ!!」
言っている事はランスタインと同じだった。倒すではなく殴ると明言している、勝率の低さを心の底では理解しているのだろう。喚き散らす男の知能指数を知っている者ばかりだ、粗を指摘しないのがせめてもの優しさである。
勝利を諦めた二人、だが一矢報いる気力は十分だった。
力富は笑って、両の手の平を仰向けにする。そのまま指先を己に寄せれば、動作としては成立した。
来い、と。
「よっしゃ、掛かって来い!」
「しゃおらあああああああああ!!!」
「うるさい」
空の箱を回収し、背後で上がる訓練の狼煙を聞くブランコ。
観客になれない大会出場を賭けた競争は、ブランコにとって他人事だった。近嵐教授の願いでもブランコの銀賦は大会の趣旨に向かないし、本人のやる気が全く無いのも問題だ。
そんな心中のブランコでも、胸が熱くなるやり取りだった。
復讐を忘れてない後輩も、今だけは真っ直ぐ己を見る先輩達に集中している。純粋な負けず嫌いの熱気が、宙に舞う銀をより鋭くより強固にした。
彼らは今、ただの戦士だった。
賦力という技術と動機になりえる感情に動かされる、ただの戦士だ。
扉を閉め、部外者は静かに去る。差し入れだけを置いて訓練の心配を欠片もしなかった後輩、もう一人の戦士を思い出す。
開催まで残り一ヶ月を切った競技大会で、どんな姿を見せてくれるのか。
ブランコは期待にも胸を高鳴らせ、鼻歌を雨音に紛れ込ませた。
会議室がどよめきに揺れた。
震源は会議の参加者達、その顔触れは錚々たるものだ。経済界の大物や大御所と名高い政治家、ある分野の専門家にと今回の議題に必要不可欠な縁の下の力持ち達。彼彼女らの役割は多様であっても、一つの大規模な行事を巨大な国益にする為集められた。
失敗の許されない企画に相応しい、経験豊富な古参メンバー。
その中で異質と言い切れるほど若く、笑顔で立つ男は発言を繰り返した。
「……意見の有る方は挙手を、私は此処に居る方々全ての同意が欲しいのです」
男の声は混乱を物ともせず、密室の隅まで響いた。溜まらず頬を染める経済界の重鎮にも、怒りに目を充血させる政治家にも、同じ微笑みを向ける。
「これは前回までの利益を大きく上回るプロジェクトになると、断言致します」
「こ……こんな馬鹿げたやり方で……!?本気で言っているのか!?」
「はい。詳細はお手元の資料の通りです」
「貴様は、前途ある若者を潰すつもりか!!?」
唾を散らす抗言に、驚きで言葉を無くしていた他参加者の視線が集まる。数十秒ぶりに集まった視線の雨は、男の笑みを剥がすには弱過ぎたようだ。背筋にヒヤリとした圧力を覚え、乾いた喉が鳴る。
会議は初めから終わっていた。
この男が前に立った瞬間から、議論も抗論も意味を無くしていた。
「……賦力、この技術が国に根付いて早八十余年。全世界が賦力の運用・転用法を確立し、更なら謎の探究に心血を注いでいます。そして……次の時代を作る時が来たのです」
「次の時代?」
「そうです、これは決して比喩ではありません。我々世界は次の、大いなる科学のステップを踏むべきなのです」
「その為に……彼らを犠牲にするというのか?」
冷や汗を流し、手元の資料を指す。賦力技術の研究に生きている大学教授は、目先の利益より若い芽を重んじている。人格者だと誰もが思い、当然の疑問だと男は大学教授を安心させた。
「貴方は彼らを軽んじています。彼らは我々が考えるより強く賢く、理解の範疇に生きる存在です」
「だが今は守られるべき命だ!」
「お忘れですか?彼らを人でなしにすると決めたのは国ですよ」
「なっ!?」
スクリーンに映っていた映像が消える。資料の図を大きくしただけの映像だ、誰も気にしていない。男の助手をしていた者は軍服を一部の隙も無く着こなし、休みの態勢で気配を消す。
「私は確信している……彼らは私の用意した試練など容易く跳び越え、科学の前進を体現する存在だと。だからこそ!もう一度宣言しましょう……」
部屋の明かりが点く、スクリーンを使用する為に暗くしていたのだ。視界の明暗を調整した会議の参加者は、最初に捉えた男の瞳に意識を奪われた。
男自身がまるで未来を見ているような、少年のような輝きを放っている。
「来月の全国三校合同賦力競技大会で、私は仮称〝Artificial Natural Genesis Evolute Ladder〟。通称〝ANGEL計画〟の実行を提言します!」
宣言を否定する言葉は、誰からも上がらなかった。
「……なんだ、このふざけた名称」
衝撃に腰が動かない『協力者』達を置き去りに、会議室を出た二つの影。鼻歌を漏らす男の後ろを歩く助手代理は、立場も何もかも無視して素直な感想を打ち明けた。全員一致の賛同を得た企画書の末尾、太字で書かれた計画名を指しながら。
「ふざける?まさか、大真面目さ」
「なお悪い。お前の嗜好でいい様にされる子供達が、可哀想でならない」
「子供『達』?君が心配なのは家族だけだろ?良いお兄ちゃんだね」
男の指摘に反論しかけた口が、空気を吐いて閉じる。何を言っても好きなように料理される未来の自分を予想して、会話を続ける行為がバカバカしく思えたのだ。
「……例の噴火事件での顛末は聞いた。これ以上アイツに何をやらせたいんだ?」
「天啓だよ」
誤魔化しもなく、嘘とも思えない即答。しかし言葉の解釈に相互不一致があるだろう事は、男の表情を見れば分かった。
天啓、天の導き、天の啓示。即ち、神の教え。
男は足を肩幅に開き、両腕を大きく広げ仰ぐ。まるで天から降る何かを、全身で受け止めるように。
「あの子こそ、新世界から零れた天の使いさ。星銀の恩恵から一世紀が経過してしまう前に、私達はあの子から伸びる進化の切符を掴まねばならない!気宇壮大な舞台と、絢爛豪華な戦場をもって!」
会議室で見せた笑みとは正反対の笑顔で、男は天に感謝した。
「ああ……早く君に会いたいよ。愛しい愛しい、―――僕の天使」
背筋を滑る寒気に、叶雨は全身を震わせた。
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