子供
誰かに褒めてほしかった。
子供が真っ先に思い浮かぶのは、家族の、特に両親だろう。
「おかあさん!みてみて!」
「あら、どうしたの?」
台所の食器棚から出した、子供用のプラスチックスプーンを掲げる。洗濯物を片付け、入浴の準備をしていた母に見える様に。
「ふぬぬぬ!」
「……え?」
プラスチック製の食器は銀食器より柔い。子供用として作られたのなら当然だが、それでも子供の力で折れる程軟な素材ではない筈だった。だが現実に目の前でスプーンの柄が軋み、数秒で砕け折れたのだ。
テレビで流れていた手品番組、手品師は多くの人からの喝采を浴びていた。つまりこれが出来れば凄い事なのだと考えた少女は、純粋に成功を喜ぶ。
「できたー!」
当時五歳の少女には知る由も無い事だが、一般的な銀賦の認識は別世界のフィクションだ。無知から作られる銀賦の可能性を広げる為、知識の拡散は厳重に制限されている。一家庭の母親が例え銀賦を知っていても、それが異常だと分かったかは不明だ。
しかし銀賦を知らない又は知らされていない者には、少女の力が普通の異常だと思うだろう。
無邪気に褒め言葉を待つ少女は、母親の心境を欠片も理解しようとしなかった。
「嫌だ」
「……ふぐぅ」
「ほらそうやって直ぐ泣く」
体の八割を隠す枕を抱えた少女に、うっとうしいと邪険にする少年。小学校に入りたての少女は、突然与えられた一人部屋から兄の私室を直撃。同衾を舌足らずに要求し、拒否された少女は半泣きからガチ泣きになった。
中学生という多感で反抗期まっしぐらの兄にとって、小学生の妹は己の行動を制限してくる異分子だ。弱虫で言葉も通じない妹の世話を、何故就寝時までしないといけないのか。苛つきをぶつけないだけお年頃としては立派である。
少女は兄があまり好きではない。少女の自意識が固定され出した頃から、優しくないし喋らないしこちらを避ける。色々複雑な時期なのだと母は言っていたが、小学生には他人を気遣う方法が思いつかない。正直何も無いなら、此方から話し掛ける事もしたくなかったのだ。
「つーか何で俺んトコ来た。あっち行けばいいだろ」
指先の方角にある扉の向こうは、最近まで少女も寝ていた部屋。今の時間ならまだ起きているだろう両親が、己よりも暖かく少女を迎えてくれるだろう。
兄の言葉の意味を少女は理解していた。
「―――あのね、お母さんとお父さん。私といたくないの」
「はあ?」
何故そう思っているのか、兄は全く分からなかった。両親の少女に対する接し方を見て、そう思える少女の方が可笑しい。箱入り娘を純粋培養したいのかと思う程、行き過ぎた甘やかしにいつも気持ち悪くなる程だ。
信じられない気持ちと早く去ってほしい態度を隠しもしない兄を前に、少女は俯いて枕を抱き締めた。
「……いつ、あのぼよぼよが自分に当たるか、ふわんで。いっしょにねたくないから、へや変えたの……」
「ふわん?ああ不安な。ぼよぼよねえ……」
少女の言うぼよぼよが、以前スプーンを曲げた力だと分かる。数か月前学校から帰って来る兄に早く見せたいと、玄関先で待っていたのだ。子供だった己が妹の真似をして、スプーンを一週間持って離さなかった事は墓まで持って行く、絶対に。
ぼよぼよを見せられた日の夜。深刻な顔で妹と兄を呼び、両親はぼよぼよを秘密にしろと強要した。
二人共あの時はただ頷いたが、社会を知る機会が多い兄は薄っすらと意味を理解する。異質な者はこの社会から弾かれる、弾かれた人間を人は同類と思わない。とても恐ろしい未来を想像した両親の決断が正しいかは分からないが、六歳児を一人部屋にしたのはその一環か。甘やかすのは何時かその力で、暴力を振るわれる心配でもしていて、一定の親密度を保ち予防線を張る為。
自分の子供に恐怖する親、それをなんとなく察している妹。
兄は妹をうざいと思うが、別に嫌ってはいなかった。何処にでもいる普通の妹。スプーンを曲げられる力を特別だと感じても、迫害したいとは考えない。最近話すようになったクラスメイトは、こういうネタを面白がりそうだ。
世話をするのは嫌だが、子供を遠ざける両親と同じになるのはもっと嫌だ。
深い息を吐くと、少女の肩が跳ねる。
「……今日だけだからな」
「あ……ありがとう!」
「静かにしろ。勉強してるから、先ベットで寝てろ」
乱暴な言い方になってしまうが、予定が狂った弊害だ。言葉使い位多目に見てほしい。
結局後数回は寝台に潜り込まれた。
友達が出来た、親友と言ってもいい。
翡輝ちゃんは頭が良く、クラスで一番の成績だ。誰にでも優しく、明るくて可愛い女の子。お洒落さんで服もアクセサリーも、見た事が無い物ばかり。家はお金持ちなのかもしれない。
引っ込み思案の少女が、クラスの人気者と仲良くなれたきっかけは単純だ。ぼよぼよを見られた。
「スゴーイ!本の片付けもあっという間だね!」
「えへへ」
体育の授業で顔面目掛けて飛んできたボールを、咄嗟にぼよぼよで止めてしまったのだ。勿論すぐに正気に戻り当たったふりをしたが、その瞬間を見た翡輝ちゃんに問い詰められた。クラスの人気者で人格者、口は簡単に割られそれ以降よく話すようになる。
図書係になった少女が本を図書室に戻しに行く、翡輝ちゃんはその手伝いを買って出た。誰もいない図書室で少女は翡輝ちゃんに褒めてほしくて、本の片付けにぼよぼよを使う。
成長に連れぼよぼよは規模を増し、十数冊の本を浮かせても余裕な程だ。一人部屋内でしか使えなかったぼよぼよを存分に使えて、しかも凄いと言ってくれる親友が居る。少女は幸せを感じた。
「調べてみたんだけど……、こういう物を浮かしたりする力を、昔は超能力って言ってたんだって」
「ちょうのうりょく……そっか!翡輝ちゃんすごい!」
「それを使える方が凄いよー」
ぼよぼよ―――超能力を見せてから両親は少女を殊更甘やかしたが、どこか距離を作っていた。少女の意志を尊重する行動をとりながら、少女のしようとする事に一々過剰な反応をみせている。兄と接する時とはまるで態度が違った。
良い点を取ったテストを見せても何処か困惑した表情で、少女には褒められている気がしなかったのだ。
だから余計に翡輝ちゃんの言葉は嬉しく、少女はそれに全力で応えたいと思った。
「ねえ、お願いがあるんだけど―――いいかな?」
「いいよ、なあに?」
「コレ開けてほしいの!」
翡輝ちゃんが指したのは図書倉庫の扉。生徒は基本立ち入りを許可されず、普段図書の先生が鍵を管理している。つまり普通の方法では入れない部屋。
しかし鍵は複製が困難な型なだけで、指紋認証や虹彩認証でもない単純なもの。扉の内側なら子供でもつまみを回して鍵を掛けられる。公共の施設でも大半は似た鍵を使用していて、田舎の学校なら型の古さは致し方ない。
ガチャリ。
超能力で外からこれを開けた少女は、公共施設に何の痕跡も残さず侵入出来ると証明した。
その重大さを知ろうともせず、親友の笑顔が見たかっただけの理由で。
少女は数日前のクラスメイトの言葉を思い出していた。愕然とした頭が現実から逃げたいと願う防衛本能に従い、肉眼が捉えたモノを一時忘れる。
少女に声を掛けたクラスメイトは変な子だった。方言がとかではない、行動力が極端で一か百なのだ。
両親が医者だと人伝に聞いたが、本人も医者志望らしい。医学に少しでも関わる授業や行事は積極的だが、それ以外は体力消費を最小限にした動きしかしないのである。
教師の頭痛の種だが、医者志望だけあって専門分野なら教師も顔負けの賢人だ。転校してきた時の自己紹介で、人間観察が趣味と公言。
将来の希望医科は精神科なのか外科なのか分からないそのクラスメイトが、ある日話し掛けて来た。
「なあなあ、さっき自分が喋ってた翡輝ちゃん?やっけ?あんまツレんときぃ」
言葉の意味を理解するのに、時間を要した。
簡単に訳するなら「ねえねえ、さっきあなたが話していた翡輝ちゃん?あんまり一緒に居ない方が良いよ」だろう。後半は本人に意味を確認する。
少女は腹を立て、少ない語彙で懸命に抗議した。あんなに良い子は他に居ない、何でそんな事言うんだと。関西弁の子はさらりと怒りを流し、
「多分やけど……、あの子あかん方にいちびっとるで」
神妙な顔を作った。「悪い方向に調子に乗っている」と言いたかったらしい。
悪い方向とは何か尋ねれば、誰でも分かるやってはいけない事だろうと言った。遠回しに言ったが、ようするに翡輝ちゃんが犯罪に関与していると伝えたいのだ。
少女は今度こそ怒りが頂点に達した。親友の悪口を聞けば当然、反論の十や二十は口を出る。家族よりも信頼している親友を、証拠も無く馬鹿にしたのだ。
「翡輝ちゃんは絶対そんなことしない!!」
証拠は無くても真実だ。
少女の親友は優しくて賢くて、絶対に悪い事なんてしない凄い人なのだ。
関西弁の子は一瞬目を細めるも元に戻し、追撃も無く去って行った。少女は頭が良いクラスメイトに勝ったと思い、後ろ姿へ舌を出し背を向ける。
翡輝ちゃんと待ち合わせをしているのだ。今日の日直だった翡輝ちゃんを、玄関で待たないといけない。何でも寄り道がしたいらしい。最近は学校帰りの寄り道が日課になる頻度で、家までの間をウロチョロしている。公園だったりお店だったり、行先は様々だ。
昨日の寄り道はよく分からなかった。少女の人生に関わらない類の高級宝石店、田舎に構えているが別荘持ちを標的にしているのだろう。その店の店員と会話していた老人の腕時計を、外してほしいと翡輝ちゃんに頼まれた。壊すとかではないので、店の向かい道路を挟み腕時計を外す。
翡輝ちゃんは跳ねて喜び少女を抱き締めて、その日は上機嫌で帰って行った。
今日の寄り道先もよく分からなかった。色んな種類の硝子瓶が棚に並んだ、薄暗い照明だけの店。座っている大人は、少女の身近にいないタイプの人ばかりだった。
学校から此処までの道順も店の名前も分からなかったが、何も怖くない。翡輝ちゃんが一緒で怖い事なんて無いのだ。
迷わず店の奥に進む翡輝ちゃんを尊敬の目で見ながら、早足で着いて行く。暗い店の奥に進む程、少女の頭に謎の警報が大きく鳴った。濃くなっていく苦い香りに、産毛が逆立つ嫌な寒気。
どれだけの違和感に襲われても、心が恐怖を生む気配は無い。
そして防衛本能が現実に負けた瞬間、紅雫叶雨の心に関係なく肉眼が捉えた。
床に転がったグラスから酒が零れる。乾いた赤黒い滲みの部分だけ、酒の色が変わって見えた。横並びの椅子に座る男の手から落ちたらしい。カウンター席で突っ伏す男の腕には、見える範囲全てに刺青が彫られていた。穿いているジーンズの後ろポケットから、拳銃のグリップが覗いている。
耳障りな笑いの発声先を見た。カタカナのコの字のソファーで、複数人の男女が笑って戯れている。中央のテーブルにはやはり酒が散乱し、昨日宝石店で見たような装飾品が放置されていた。口の端から酒を零す男は、真っ赤な顔で隣の女を抱き寄せると、背中から服の中に手を差し込んでいる。女も同じ顔色で笑いながら身をくねらせ、拒否を欠片も露わにしない。
酒と煙草とは違う煙で満ちた部屋には、叶雨の知らない世界が広がっていた。
正面には離れるように歩く親友。キリキリと削られる思考が、最後の望みと手を伸ばす。
親友は奥のテーブルでお札を数える男に、笑顔で声を掛けたのだ。場違いなのは叶雨だけだ、親友の表情は驚く程この場に馴染んでいる。
「お兄ちゃん!昨日言ってた子連れて来たから、盗品の分け前は三割ね!」
視界から色が消えた。
ふた昔前の白黒テレビが、叶雨の瞳となる。画面からは親友と男が会話をし、叶雨を指さしていた。教室で他のクラスメイトと話す時の笑顔と変わらない顔だ。兄と呼ばれていた男は立ち上がり、叶雨を一瞥すると腕を掴む。
叶雨は兄が好きじゃない。しかし兄はこれ程まで、妹を冷たい目で見た事は無かった。
優しくはなかったが、決して両親と差別しなかった。両親は反抗期だからと兄の振る舞いを無視していたので、反論できず今日に至る。寂しかったが、両親より余程頼りになった。
兄と同じか年上位のこの男は、妹の同級生を完全に見下し掴む手の力加減も、一切考慮しない。誰も座っていないソファーに叶雨を投げ、他の者達に話し掛けていた。
意識以外が死んだように、体が動かなかった。人は予想を遥かに超える現実を受け止め切れないと、機能不全を起こすらしい。微かに指がボロいソファーに爪を立てる。
二人の男が嫌な表情で近付いて来た。頭の中の警報は痛覚に作用し、全身の神経を弄る。その痛みで少しだけ腕が持ち上がった。無意識に腕は叶雨を連れて来た少女に伸び、震えながら高さを維持する。
翡輝ちゃんは此方を一度も見なかった。
見ようともしなかった。
落ちる寸前、腕は近寄って来た男に握られる。もう一人は制服の釦に指を掛け、笑みを深くしながら外していく。白黒だったテレビの画面は真っ暗になり、生きた感覚は一つだけになった。
ゴミ溜めのような部屋に充満する五感ではない感覚。上着の最後の釦と同時に、それは解放される。
消えた痛みは、頭から弾け飛んだ。
「―――――――――――――――――――――!!!!!!!!!」
そこから後の事は、コマ送りの記憶だった。さっきまでの叶雨のように震えながら腕を伸ばす倒れた男、雲一つ無い青い空が土埃の隙間から覗く。汚れだけで傷一つ無い叶雨を抱える腕を触覚が捉え、反撃する気力が残っていない体が脱力した。
現代社会の視点で知れば、なんてことのない。田舎で起こった未解決事件。
現在も犯人は発見されず、ガス爆発と推察されている。
その事件の唯一の生存者は、学校帰り謎の爆発に巻き込まれた、ただの女子小学生だけだった。
閲覧有難う御座いました。




