愚者
あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。
「ムリ!もう歩けない!」
小型の火起こし器でレトルトカレーを温めながら、八色が班員の心の一部を代弁した。泡を吹いている飯盒から注意を逸らさない力富も、この訴えには半笑いである。
夕日が沈んだばかりの時間帯だが、力富の一日目終了宣言は諸手を挙げての賛成だった。結果だけ言えば連続地震は昼過ぎの一度だけ、その後は一度も揺れず静かに夜を迎えている。
しかしそれは終わっている今だから一言で済むが、日中の叶雨達は警戒心を常に保持していた。足元は勿論、頭上に注意を払い他の班との接触には最大限の警戒を持って当たっていたのだ。通常の登山の数倍は疲労が溜まるのは道理、不寝番を決める流れは実に自然だった。
女子用テントを組み立てた叶雨は、考えていた不寝番の順番を提案する。
「三等分しよう。ただし神代さんと八色さんは抜いて欲しい」
「ちょっ!?」
「大丈夫です!」
「悪いけど、疲れが顔にまで出てる。単純に任せるのが怖いから寝て、明日よろしく」
「……まあ、寝て良いなら寝るけど」
「うぅ、すみません……」
班長意識高い系と幼馴染激愛系はこれを了承。なんとなくダブルデートに巻き込まれた、第三者的立ち位置に居るような気がする。
最近のレトルトは普通に美味しい。夜の帳で十分満足した叶雨達は、軽くなったカレー臭の口で今日の反省をした。反省というより考察だ。
「俺はあの二年の人らは殺してないと思う。証拠はねえけど……、あいつらにそんな度胸は無い」
「失礼だけど同意、つまり犯人は別に居るか自殺。先輩の話しが本当なら、犯人はまだ山に居る」
「けど手掛かりも無くこのデカい山ン中犯人捜しは無謀だわ。大人しく山登って、もし見付けたらぶっ潰すって方針でオッケー?」
「力富のカッコイイとこ見たい!」
「分かった。明日も揺れるのかね……?」
半分寝ていても力富押しポイントを聞き逃さない八色は凄い。
「昼過ぎの地震もわざとだとして、理由が分からん。山揺らして何がしたいんだろ?土砂で自分が危なくなるかもしれんのに……」
「犯人に会ったら聞いてみっか!」
そんな授業で分からなかった所聞いてみるか、みたいな軽さで言わないでほしい。
食事中も男子テント建てていた時も静かだった星河が、顔を上げる。
「紅雫」
周囲の緊張が日中のそれに戻った。初めて呼ばれたかもしれない。
「正直に言うと、もの凄くお前が気に入らない」
「あっそ」
「生まれた時から一緒なんだ、いきなり割って入られたらムカついて当然だろう」
「へえー」
「真剣に聞け。……入学試験で雅が助けられたのは聞いた、怒鳴って悪い。有難う」
あ、こいつ何も聞いてない。
百歩譲って、告白や嫉妬の話しは聞かなかった事にしても良い。だが空回っていると言われた件は要検討事項だ。
あまり他所の事情に首を突っ込むのは良くないが、星河の態度は叶雨の癇に障る。
「……あのさ、冷静に話し終わらせようとしてるとこ悪いと思うけど―――」
「どうした?」
「神代さんに甘え過ぎじゃない?」
星河と、神代の表情が固まった。火の弾ける音が遠ざかり、叶雨の耳が鳴る。
「神代さんが何も言わないからって、庇護と独占が過ぎるわ。勝手に神代さんを自分の物にするなよ、気持ち悪い」
「紅―――!」
「悪いけど言わせて、力富。それとも欲求の捌け口だと思ってる?そういう勘違いを含めて、神代さんは……、神代って呼んでいい?さん邪魔になってきた」
「え?あ、はい……」
「ありがと。えっと、神代が大事なのは分かるけど、アンタが一番神代蔑ろにしてるって事」
また掴みかかられるのを承知で、大分大袈裟な単語を使った。喧嘩売っているようなものである。しかし目を充血させるだけで抑えている星河の頭は、冷静な部分をちゃんと確保できているらしい。それとも言われ慣れていない思考が破裂寸前で、それどころではないのだろうか。
「―――仮に」
「うん?」
「仮に、その話しが本当だとしても……。部外者が口を出すな、遠回しに雅も侮辱しているぞ」
怒りが立ち昇っている。肉眼が不要なほど、星河の感情は心眼にまで映った。
叶雨もそうだ、腹を立てている。自分勝手な理由だが、昔の自分を見ているようだ。
「侮辱してるつもりは無いけど、ただアンタにムカついてるだけだから。後で謝っとく。本当に守りたいなら、もう少し会話をする事だね。部外者だからこれ以上は言わないでおくよ……」
叶雨の真意が分からないという表情だ、十数年の勘違いは深い。しかし奥歯に物が挟まっている。もしかしたら全く心当たりが無い訳ではないのか、だとしたら救いは有るだろう。昔の叶雨よりよっぽど賢い。
灯りを持ち、団らんの場から立つ。
「そこで見張りする、四時間後交代するから男子次決めといて」
「分かった、疲れたら言えよ!」
立ちはしたが、テントを張った場所から大きく離れない。頭を芯から冷やす必要があると思ったのだ。叶雨の子供丸出し暴言が誰の為にもなっていないと、理解している。理解していても抑えられないなら言い訳にもならない。
四人に背を向ける様に座っているが、声は聞こえた。どこか重量を感じる声だ。
「雅。寝る前に、少しいいか?」
「うん、私も話しがしたい」
叶雨とテントを挟んだ方へ、神代と星河が灯りを持って離れた。普通の声量なら聞こえない距離だ。
完全ではないか力富と二人っきりだと考えた八色から、見えなくても分かる気合が伝わってきた。本格的に登山ダブルデートみたいな状況である。妬けばいいのか呆れればいいのか、節度は守ってくれ。
テントの近くに一つ、叶雨の横に一つ。それ以外の光源は、見える範囲に無かった。
二組の会話は一時間程で終わり、明日に備えて皆就寝している。山の音は静かで、虫の声もしなかった。星の瞬きが聞こえる夜空だ。これも登山の醍醐味だろう、眠気の心配はしなくて済みそうだった。
力富と八色の会話は、片方のやる気が空回っていた。仲を深めるには共通点を見付けるのが手っ取り早い。会話をあっちこっちと転がしながら密かに、時に大胆に探ったが結果は惨敗である。
力富は分からない話題だと全く付いて行けなくて八色が一方的な会話となり、逆だと八色が付いて行けない知識量を持っていた。努力の女に相応しい健闘だったが相手が悪かった、否、良過ぎたと言うべきか。
応援はしてるけどちょっと笑った、ごめんなさい。
会話を終えた神代と星河が合流して、数少ない共通点のクラスメイトネタも終了。敗北した八色は短く就寝を告げ、すごすごとテントに沈んだ。
八色を心配する神代は、これから寝るだけだと思えない程の気力で満ちていた。何を話したかは分からないが、星河の雰囲気にも何か違ったものを感じる。
二人の上手い着地点を見付けたのだろう。双方が話し合った末納得できたなら、最良の結果だ。
後は明日の朝までに、叶雨が自分の気持ちの落としどころを定めるだけだった。
「あーーーーーー……」
静寂の夜に、叶雨の葛藤は全く響かなかった。遮る物の無い場所で、声は空に吸い込まれる。星がチカチカと応えてくれた。
「はっ。あほらし」
問題の先送りに自身を罵倒する。人に聞かせるつもりの無い独り言は小さく、力富の寝息にすら負けそうだ。
頭を使おうと意識を切り替える。その時、叶雨の説明出来ない感覚が他人の気を捉えた。
「っ!!」
体は完璧な反射をもって、制圧行動を取った。師が見れば拍手の一つでもしてくれるだろう。
相手の態勢を考える前に肉眼で判断し、足下を払った。虚を突かれ浮いた体の手を正面から倒れる様に引き、後ろ首を掴み地面に顔を押し当てる。
「がっ!?」
無力化が完了してから、叶雨の頭は敵か味方かを考えだした。地面に無理矢理倒した後で遅いと言われようと、真夜中に無言で他人に近付く相手を許す程、現状を安全だと思っていない。そもそも灯りも持たず接近してきたのだ、悪意が有ると思われても仕方がない行動である。
黒寄りのグレーと決め、態勢を固定したまま相手の後頭部に声を掛けた。
「誰。何か用?」
「―――俺だ」
「だから誰……待て、この声……!?」
星灯りで顔を見れば、今朝会っている人物だ。そして明後日まで会わない筈の人物だ。
「近嵐、先生―――!?」
「静かにしろ、俺が此処に居るとバレるのは避けたい」
解放されて土汚れを払う近嵐は、今朝と変わらない白衣姿で鞄を肩に掛けている。
此処に居る筈の無い男、一瞬馬鹿な予想が頭を過ぎった。身形を八色に整えられた近嵐は、顔を隠せば生徒に化けられるのではないか、と。
顔がハッキリしない暗闇で、叶雨は腕の神経を尖らせる。近嵐の言動に違和感を覚えれば、瞬時に手がその体を抑えにかかるだろう。指先の痙攣は夜に消えた。
「あの、何でここに?」
微かな星の光が近嵐の瞳を照らす。無機質な硝子のような反射に、唾液が大きな音で嚥下された。
「―――念力計測器第一号が完成した」
「……はい?」
「幾度と観察し複数回の実験を行ったが、ただ念力の限度を記録しても意味は無い。それは念力の作用の調査であって、原因の調査ではない。活動領域を把握する作業は重要だったが、根幹に迫るには別の視点とアプローチに挑むべきだ」
「………………ぶふっ!」
「記録と推測を重ねた機器なので、試作と付けるべきだろうが……。俺は試しに、という低姿勢の単語が嫌いだ。個人的な好き嫌いではあるが、この世に意味の無いモノは無いと俺は考えている。なら試しだろうが何だろうが、一度作り上げた機器にはそれなりの価値が備わっているだろう」
「ふふっ、ぶははっ!」
「つまりこの念力計測器にも失敗成功に関わらず、意味を持つ結果が出る。結果が出る物を試作とは呼ばない。故にこの計測器で判明した情報を解析し、反映させた物を二号機として再発明する。その進歩こそが科学の……いつまで笑っている?」
「ご、ごめ……あっはは、はあああ―――」
体の内を巡っていた緊張が解け、くすぐったさに笑いが止められなかった。日中に目撃した死が、遠い世界の出来事だったかのようにぼやけていく。忘れはしない、上手く叶雨の中で馴染むのだ。否応なく刻まれた他人の常識が、道徳と折り合いをつけ叶雨の常識と混ざった。
紅雫叶雨が世界に適応していく。
異物である事実を認めても、この世界で生きるなら現実を正しく受け止めるしかない。
焦って恐怖して飲み込めなかった苛立ちを、星河に八つ当たりしてしまった。次は謝れるだろう。
自分並に存在が異物な人を見ると、逆に落ち着くらしい。軽くなった精神に体が引っ張られ、自然と口が開いた。
「折角来たなら、少し話さない?」
「いや、会話ではなく完成した計測器を用いた実験の提案に―――」
「まあまあまあまあ。はい、座って。念力なら座ってても使えるからさ」
渋々座る近嵐の手には、計測器が掲げられたままだ。実験がしたくて仕方がないらしい。実に知識欲に忠実な様子が、叶雨の硬直を和らげる。この男が居るだけで部活中と同じ精神状態が維持され、十分な余裕が確保された。
叶雨自身への興味が全く無さそうな近嵐に、悪戯心が顔を出す。
「私が小学生の時にさ―――」
「待て、突然何の話しだ?」
「まあまあまあまあ、ちょっとした私の頭の整理に付き合ってよ。大した話しじゃないから、直ぐ済むよ」
具合の良い聞き手を得た叶雨は、後ろを振り返る事にした。
閲覧有難う御座いました。




