神仏
八色の女心が班の雰囲気を和らげた後で、申し訳ないとは思う。それでも説明出来ない未知の衝動が胸を打つのだ。鳴り響く叶雨の声が、脳を叩いて止まないのである。
此処で動けないなら、紅雫叶雨は死ぬと。
「神代さん、お願いがある」
星河から無言の訴えを受けていた神代は、登山速度が落ちている責任を感じていた時とは、打って変わった表情で叶雨を見返した。
夜までは待てない。八色がパンの最後の一口を頬張り、行末を見守る。
「神代さんならもしかして、犯人を神様に聞けないかな?」
「……はあ?」
聞かれた神代が反応を示す前に、力富から素っとん狂な声が出た。一から説明するつもりだった、だから昼食後の全員の腰が下ろされている時を選んだのだ。
「もし雅の家系を知っていて適当な事を言っているなら―――」
「止めて南君!」
神代に強く制されれば、星河に打つ手は無い。
近付く初夏の熱が皮膚を炙る感覚。自然の屋根が無ければ、登山者の半数は熱中症で棄権していただろう。クリアな風で煽られる髪を耳に掛け、神代は静かに語った。
「―――私の実家は、代々神道と仏教を説く家柄です。古くから神仏習合を色濃く受け継ぎ、守ってきました」
「神仏、しゅう……?」
「昔は神様と仏様が一緒に祀られ、崇められていました。その際の教えを、神仏習合と言います。現代の日本は仏教を主としていますが、従としての神道も神代家は大切にしています。我が家系では仏教は男が、神道は女が教えを残す仕来たりです。私は幼い頃より、母から神道の心を何度も聞いて育ちました」
「マジか、大変ね?」
「いいえ。自然に宿る八百万の神々への祈祷は、私にとって苦ではありません。その家系故か、偶に直々の導きを賜る幸も授かっています」
「導き?幸?」
「―――神様の『声』が、聞こえるんです」
現代っ子女子の相槌で話しが進む、きっと多大な葛藤があっただろう真実が零れた。そこに込められた重みが、馬鹿にしようとする疑いの笑いを黙殺する。
神様の声。啓示とか信託とかの比喩だろうか。
「声と言っても、言葉ではありません。無言の訴え、のような……。すみません、ちゃんと説明出来なくて。けれど感じるものがあるのは確かなので、私は神仏の存在を疑った事はないんです。―――数日前初めて鉱石が反応を示した時、『声』が聞こえました……。まるでずっと見守ってくれていたような……、暖かい『声』でした」
「えーと、神代には神様が憑いている、てことか?」
「実は自分でもよく分かってないんですが……そうだと思います」
遠慮が入った言葉だが、断定に近い強さが籠っていた。おおよそ信じがたいが、真実だと言う人間が二人居る。
「界力で干渉出来るなら、銀賦で言う触覚型でしょ。力富、触覚型に会う鉱石って何だっけ?」
「あー……銅だ。青銅の像とかが多かったのは、それも関係してるんじゃないかとか言われてる」
「事前の申請で銅の鉱石を支給されています。正直此方からお言葉を望むのは初めてなので、自信はありません。しかし、これ以上の被害を抑えられるなら!精一杯やってみます!」
神代はリュックから赤褐色で拳大の石、銅を取り出し両手で包んだ。
銀賦の種類で一般的ではない型、その一つに触覚型がある。
触覚型は実在する外部エネルギーを操作、接触する事で未知に等しい力を得るのだ。教科書に書かれていた例には、日光に干渉し反射角度を操作して幻術を見せる技があった。
この型の使い手が少ない理由は、実在していても不明な点が多い現象に触れるイメージの難しさにある。
銀賦はようするに高度な思い込みである。妄想が深みに嵌り、本人の現実まで侵食した結果だ。人が作った物はまだ分かるが、元々世界に存在し構造も生まれ育ちも分からないモノとの接触は、銀賦のプロセス上とても難しい。それこそ生まれた時から知っていなければ、現実の改造は不可能だろう。
日光の反射操作でも、ただ知識が有るだけでは足りない。本来なら生造型ですら、洗脳でもしないと行使出来ないのだ。
その非道を人類が起こさない為に、銀賦学者は知識を捏造した。未来の子供たちが銀賦のシステムを常識だと思えるように、教育から緻密な改ざんが行われたのだ。それも世界規模で。
生まれた世界で全ての大人が白を黒と呼べば、数年後子供たちの中で白は世界から消えるだろう。
洗脳は駄目でも教育なら良いと言い切る世界に、反抗しようとは誰も考えまい。教育は真実子供を助け、世界の未来を守る行動なのだから。
生まれながらの教育。生まれた家が神仏を祀る家柄なら、子供から見た世界はそうなのだ。自然と心は敬う尊さを持ち、仰ぎ見た先が何かを知っている。
指の隙間から光が溢れる。陽の光を凌駕する輝きが、神代の祈りに応えているようだった。
数秒後か数十秒後か、光が消えていき神代は祈りの手を解く。飛んでいた意識を戻す為、深呼吸で自身を切り替えた。まだ事態が飲み込めない者も、神代の微かな後光を肉眼で捉え息を忘れる。
「―――魂が彷徨っています……」
「死んだ奴の?」
「現在と過去にこの山で亡くなった者の魂が、死を受け入れられず漂っているのです。……そして、そんな者達を嘲笑うように、悪意ある者が山中を闊歩している……」
「犯人っぽい人見つけたんだ?さて、どうするか」
叶雨は殺人犯が棄権した二年生の中に居るか、まだ山に居るかが知りたかった。前者なら安心が後者なら警戒が買える。前者であってほしかったが話しはそう旨くない。
これからどうするか、叶雨は唇に手を付けた。
「……何で、話してくれなかったんだ……雅」
五人の中で一人だけ、感情の消化が間に合わない男が居た。
星河にとって何よりも大事にしてきた神代の『声』発言は、それだけ衝撃的だったらしい。神代の全てを理解し、守り切って来た自負があったのだ。秘密にされていた頼られなかった事は、まさに寝耳に水だった。
「そんなこと……、今まで一言も、言わなかったじゃないか―――!?」
「南君……」
「何で、俺は雅を―――っ!?」
動揺が目の血管に浮いているが、痛まないように神代の両肩を掴んでいた星河。神代しか映らなかった頭に過ぎった考えが、手の力を弱める。
背筋が凍るような予感で、叶雨は咄嗟に身構えた。
「……お前か……」
掴まれる胸倉には神代へ掛けていた遠慮は一切無く、体操服の無事を心配する強引な脅しだ。食堂での無理矢理蚊帳の外にした時の事を根に持っているのか、怒りの矛先を向けられても困る。
「おい星河!」
「俺だったんだ……、ずっと雅を守ってきたのは俺だ。俺達の間に秘め事など無かった!それを頓に貴様は―――!」
「離せ!一旦落ち着け星河!」
「守って来た……?」
「そうだ!俺が守って来たんだ!!」
守ったと殊更に繰り返すが、守られた立場の少女の顔が今どうなっているか。大事だと言うなら何故、少女の言葉を聞かないのか。
実に勝手な話しだ。星河が守ったのは所詮星河の心の中の神代で、現実の神代を見ようともしていない。奪ったと騒ぎ立て、第三者に怒りをぶつけて発散する。季節を一つも超えていない期間で、二度も理不尽な感情を投げられれば叶雨も怒るのだ。
首を胸倉ごと締める手に、感情の力が乗る。
「お前は雅のなんなんだあ!!?」
何を言っているのだろう。星河は神代の何のつもりで、そんなセリフが出るのだろう。神代の今の表情を見れば一目瞭然なのに、何故頑なに自分の理想を貫くのか。
神代は星河を心配していた。
先の言葉に一度は絶望したのに、元凶を心配している。幼馴染だと思っていたのは、星河だけではなかったようだ。幸運な男である。八色が引く位の圧を与えながら、本人が愛想を尽かしていないのだ。
愛されている幸せに気付かない馬鹿な男に、何故ここまで責められなければならない。
ああ―――、腹立つ。
「うる――――――せえええんだよボケエエエエエエ―――!!!」
ゴンッ!!!
「ぶっ!?」
渾身の頭突きは会心の一撃だった。頭蓋骨に余韻が鳴り響く、手先まで痺れが伝わる。緩んだ手を払い除け、胸倉を掴み返した。
「ぺっちゃくちゃうるせえんだよボケ!!!テメエのヤンデレなんて知るか!!?他所でやれ!!」
「が……うぐぅ……!」
「だいたい餅焼く暇があるなら告白の一つ二つやってみろヘタレがあああ!!!」
「なん……ぉお……お」
「空回ってる自覚も無いのか!?このハイパーボケエ!!」
「紅、落ち着け!痛みで会話どころじゃないぞ」
星河を止めようとした力富の手が行先に迷い、宙に浮いている。良い所に当たったのか、頭を抱えてうずくまる星河。確かにかなりの衝撃ではあった。昼食で腰を下ろしていた石の上に座り直し、叶雨は感情を星河は痛みが過ぎるのを待つ。
荒波の心が平らになっていく、神代も力富も成り行きを見守る事にしたらしい。呆れている八色が一番落ち着いていた。
「…………取り敢えずさあ、登りながら話さない?かなり他と比べてロスしてるじゃん、色々あったし……」
「そうだな、よし。登ろう!」
回復した足で快調な登山、とはならなかった。神代は元気で叶雨の手助けもあり軽い足取りだが、足元を見て歩く星河を幾度と振り返り速度が落ちているのだ。
班の雰囲気を悪くしている自覚は有る。暴走した自覚も有るので、ここは大人にならなければいけないと理性を思い出す。
「あー、怒鳴ってごめん。けど少し考えて―――」
「ひっ!?」
「え?何で神代さんがビックリした今!?」
「あっご、ごめんなさい!ちが!その、ちょっと変な感じがして……」
グラ―――!
「キャア!?」
「またあ!?」
現実が忙しい。謝ろうとしたら神代が謎の直感で悲鳴を上げ、原因を聞こうとしたらまた地震がきた。
前触れが無く二足で耐えられない者は同じだが、後の行動は冷静である。丈夫な木で身を支え、落下物や余震の気配に感覚を尖らせた。
八色などこの機に乗じて、力富に急接近している。本人は全く見ていないが、色恋の鈍さを承知している女は強い。満足感を得ながら、許される接近距離を測っている。力富が困っていないなら、叶雨は手を出すつもりは無い。頑張れ。
力富の警戒レベルに合わせて動く、一息入れた班長に叶雨も木から離れた。しかしよく見ると神代はまだ、太い幹に汚れもいとわず抱き着いている。目も瞑りまるで、これから来る揺れに備えているようだ。
「神代さ―――!?」
グラッ―――!
「くそっ!?」
神代と同じ木にしがみ付きながら、悪態を口に出来る程度には回復したらしい。星河は体を固定し直す叶雨を睨みつつも、神代の安否に注視していた。ブレない行動原理にいっそ感服する。
一分と間も空けず強い揺れ。
グラア―――!
「何回あるんだ!?」
二・三回なら地震、で話しは済む。しかし四回五回と続き、最後の揺れから三分以上の静寂が訪れたのは、一回目から五分近く経った後の事だった。それでも更に三分間、厳重な警戒を保つ。
力富が長い息で弛緩した様子を確認して、叶雨は神代も見る。緊張状態の継続で疲れが出たのか、木を背もたれに座り込んでいた。叶雨も太い根っこに腰を下ろす。
精神の疲れで誰も口には出さないが、この地震も人の手による可能性が高い。特に先の殺人事件を知ってしまっていると、原因も推測出来てしまう。絶対にそうだとは言えないが、推測の一つとして誰も除外できないのも事実。
信じきれない部分もある。本当に山を揺らす程の出力を持ったEIDが、悪意ある者の手で広められているのか。さっきの被害者はEIDの出力を確かめる目的で山を揺らしたそうだが、今度の連続した地震はどういった目的があるのか。
一つだけ確かなのは、もう普通に登山は出来ないという事。
明日は今日より長い一日になりそうだ。
閲覧有難う御座いました。




