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鰻重

 



 肌がじっとりとしてきた、夏服支給は間も無くだろう。島の三分の一が山林地帯なのだ、季節の変わりゆく姿は全ての島民が目にしている。完全に散った桜は名残すら消し、青々と漲る自然の息吹で景色を埋め尽くした。


 ブレザーを脱いだ生徒の横を通る叶雨は、食堂への道すがら浴びた風に梅雨の気配を思い出した。待ち合わせに遅れないよう足は止めないが、時間が有れば中庭で自然を感じながら昼食を取ろうと決める。夏休みに入っても、家には帰らないだろうから。

 お洒落レストランな食堂は連日人が多い。テーブルは外にも相当数揃っているが、食券機前で列が成されるのは当然の流れである。メニュー表は料理受け取り口上部にも描かれているので、そこで買う食券を決めておくのが食堂の使い方だ。前日の昼から決めている叶雨には関係ないので、一直線に食券機前に参列する。


 料理受け取り口が騒がしい。

 元々昼時は高校生の自由時間、騒がしい事は知っているが種類が違う。まるでお忍びアイドルでも見つけたような女子の黄色い声、群れの隙間から見えた男に叶雨は直ぐ納得した。


「やっぱ私ヤバくない!?」


 先日一仕事終えた八色の言葉は真実だ。人が変わったレベルで顧問の、近嵐未尋の印象は激変したのである。

 食堂の殆どの女子の心境は、あのイケメン誰マジヤバイ、だった。


 放置されていた頭の天辺から爪先まで、美意識と流行を栄養に生きる八色蜜葉の手が加わっていた。

 髪は器用にも完全八色の散髪技術のみ。首が隠れる長さで整った黒髪は、八色の強い要望で昨日より水気が増している。ネット注文した流さないトリートメントの効果か、潤艶とまで行かずとも洗髪感が現れているだけで映えるのだ。

 鼓膜に攻撃する口煩さで頷かせたスキンケアを実行したのか、前髪から解放された肌が明るく見えた。生まれつき不衛生に負けない肌質なのだろう、一日で効果が分かる体質に仮にも女子として羨望が抑えられない。

 顔面のパーツの良さは自前なので割愛。薬品の沁みがデザインになっていたシャツは即燃やされ、現在は濃紺のワイシャツとシンプルな黒のスラックスだ。生活スタイルを一新出来るとは考えていないのか、お手入れが難しくないお高目の物を速達で発注。皺や汚れが目立ちにくい濃い色を中心に、組み合わせの選択で大失敗が少ないよう上下の統一感を徹底した。

 革靴は実用性を言い含められ諦めたが、見た目だけでも真面目な教員空気を醸し出すフォーマルなシューズをチョイス。靴底が上がり姿勢も僅かに改善された。

 靴の中の爪も手も、最低限の手入れ方法を教えられている。露出が増える夏まで続ければ、この注目度は持続するだろう。習慣となれば八色も煩くならないし、第一印象は格段に向上する。

 性格は矯正出来ないが、外見の変化が内側に影響を及ぼす事もあるだろう。気長に待つ。


 やっと食券が買える。高校生の寮暮らしに優しい値段なので、安心して財布から小銭を出した。タッチパネル式だが音声での選択が出来るし、厨房の状態で今頼めば通常より早く提供出来るメニューも表示される。唐揚げ定食の揚げたてに揺らぎ掛けたが、一子貫徹で誘惑に耐えた。


「唐揚げ定食一つ」

「だから今日は(うな)(じゅう)に、す……る……」


 お札投入口に吸い込ませた万札の主は、最初から居ましたと言わんばかりに叶雨の横から口を出した。内緒話と寸分違わぬ距離に、息を呑む動作さえためらってしまう。明るい赤茶色の瞳が、鋭くメニュー画面を見据えていた。

 タッチ直前で固まった叶雨を不審に思いながら、近嵐が代わりにうな重の選択画面をタッチした。


 ギャアアアアアアアアアアアア――――――!!!???


 悲鳴が喉を通らなかったのは、頭で混乱が一周してしまったからだ。逆に冷静になった叶雨が、吐き出された食券二枚を受け取った。

 最先端のファッションを知る女子高生の理想イケメン教師が、耳元で喋ったら普通に驚く。しかも大勢の生徒が居る食堂で集約した視線の意味を理解せず、というか気付きもせず単体女子高生に繰り出すには破壊力がデカすぎるのだ。最初の心臓の跳ねはイケメン教師に対してだが、現在は集まった視線の量に心臓が苦しかった。極普通の女子高生がこの衆人環視の中平常心で食券を厨房の人に渡せている奇跡を誰か褒めてほしい。そもそも元の素材に少し飾っただけでコレなのだ学生時代はどう乗り越えたのだろう例え性格が研究一辺倒でも顔が良ければと寄って来る異性の一人や二人いなかったのか処世術も天才なら直ぐマスターしただろう卒業を同時に高校へ置いて来たのかまた学び直さないと自前の顔面レベルがコレでは絶対第二の巻き込まれ事件が発生する早速契約の見直しと近嵐の出方によっては力づくで―――いかん、混乱してきた。クールになれ、クールに……。


 セルフの水を用意している間に出来たらしい。蓋をされた丼にすまし汁が付いたセットを受け取り、まだ席に余裕がある外のテーブルを目指した。視線の針山から逃げたい欲求も有り、足の動きは滑らかだが速い。

 丁度植えられていた木が陰になっているテーブルに着き、携帯を取り出す。待ち合わせ相手に場所を教えなければならない。そして謝罪文も添えた。


「体感温度が下がる場所だ、屋外の食事だが此処なら快適に済ませられる」


 すみません、余計なモノまでテーブルに居ますが無視して来て下さい。

 鰻重はとても美味しかった。




 食事を終え待ち合わせ場所に来た神代は、ようやく落ち着いてきた周囲の視線に過剰な怯えを見せている。虎に睨まれた猫のような震え具合に、最初から居たら心臓発作で倒れていたなと、用意していた水を差し出す。

 自分用ともう一つ神代用に持って来ていた物だが、一度間違えた近嵐が飲んだので新しく用意させた。本人には教えない、知らずにいた方が良い真実もある。

 冷たい水を飲み震えが収まった時を見定めて、話しを切り出した。隣の男は無視する。


「こないだはごめん、変な奴多くてゆっくり話しも出来ず……」

「そんな事は!……忙しい時にお邪魔した私が悪いんですし、部活動を詳しく知りもせず、勢いで押し掛けてしまって……」


 タイミングが悪かったのは否定しないが、部活動については部員の叶雨もよく分かっていない。学校側暗黙の近嵐教授実験室、別名新発見部だ。実験の余波で怪我したり、実験体になって倒れたりしないようにする以外の活動は、ブランコからは聞かされていない。

 一旦部活での失敗は忘れ、本題に入った。


「えっと、ちなみにそちらは?」

「お前こそ誰だ、話しとは?」

「ちょっ、(みな)君!」


 入りたかったのだが。眼光の強さが毎秒で増していく圧力に屈し、つい斜め前の男も話しに加えてしまった。この気の強さなら切っ掛けが無くとも話しに割って来そうだ。

 初対面の人間にここまでの強気、神代の苦手そうなタイプに見えるが当人は物怖じしてはいなかった。叶雨への態度に慌てている様子は窺えるが、心理的距離はかなり近い。恐らく相当近しい立場なのだろう、それこそ身内と言える程。

 神代の引っ込み思案が控え目になる要素の存在は嬉しい誤算だ。互いの立ち位置を明確にし、落ち着いた話し合いに持ち込みたい。


「神代さんと同じクラスの、紅雫叶雨です。先日神代さんにある相談を受けたんだけど、部活動中だったから曖昧で終わってしまって。詳しい話しが出来る時間を聞いて、今日この場を設けた」

「相談って何だ!?何で俺に相談しなかったんだ雅!」

「だ、だって……」

「あのー、今は私が彼女から相談を受ける時間だから。別の話しがしたいなら、また別の時間作ってやって」

「うるさい!今は俺が雅と話しているんだ!」

「ご、ごめんなさい!この人は、みな……えっと、二組の星河(ほしかわ)南斗(みなと)君です。子供の頃から同じ学校で、その、家のお付き合いもあって!」


 クラスの女子がランキングしていた一年のイケメン男子ベストスリーに、そんな名前があったような気がする。確かに顔は整っているが、イケメンの怒り顔は迫力が有って素直に格好いいと思えなかった。

 緩いパーマのショートヘアーは夜の山に似た緑で、瞳は髪色を水晶に溶かしたような翡翠である。目や鼻・口の位置の比率は素晴らしいが、本人の性格がそれらを歪めていた。


「大体クラスが別れてから全く時間が取れなくなった、何で俺を避けるんだ!?」

「避けてるわけじゃ!自分の問題だから、自分でなんとかしたかったの……!」

「けど他人に相談する位なら俺に相談しても良いだろう?俺の何が駄目なんだ?」

「駄目とかじゃないよ、私がこれ以上南君に頼りたくないだけ」

「そんな……!?何でそんな事言うんだ!?」


 何を見せられているのだろう。

 本来木々のざわめきに心癒される場所で、何故痴情の縺れみたいな場面を眺めなくてはならないのか。彼女から言い渡された別れ話に納得出来ない彼氏が、未練たらたらで話しを引き延ばしているようにしか見えない。

 家が近くて学校も一緒、探せば異性の幼馴染は存在するらしい。仲が良い者と同じ学校なのは、羨ましいような気の毒のような状況だ。

 昼休みは有限だ、関係無い者なら早々に退場してほしい。


「あのさ。神代さんはこの相談に星河君が入ってもいいの?駄目なの?」

「……駄目、です。聞かれたくないです」

「な!?雅!?」

「近嵐先生、お願いします」

「何故俺が手伝わねばならん」

「相談事が伸びると部活に影響しますよ?」


 部活イコール実験と解釈したのか、渋い顔でポケットサイズのパソコンを閉じた。一年の授業は担当していないので誰かは分からないが、教師なのは気付いたらしい。星河は大分渋ったが、引っ張られた手を無理矢理外そうとはしなかった。

 去り際の目には敵意と嫉妬が宿っていて、嫌なデジャヴを覚えたが一旦置いておく。掘り下げたら、折角の鰻重エネルギーを消費しきってしまいそうなのだ。安心したのか疲れたのか、息を漏らす神代。


「実はストーカーだったりする?」

「ストーッ!?違います違います!本当です!南君はあの、ちょっと、心配性なだけで……。私昔から暗い性格で、よく近所の男の子とかにいじめられてたんです。南君はそんな私を助けてくれました」

「外堀から埋められてない?」

「大丈夫です!本当に大丈夫です!ただ……、やっぱり昔から頼ってしまっていたので、高校に入ったら距離を置いて、大丈夫だって示せたらと思ってます」


 あの心配性に入学試験合格していない事を告げれば、確かに手は貸してくれるだろう。その助けが神代の望むものではないと、星河が自覚できる日は来るのか。


「……話し逸らしてごめん、試験の件だよね?」

「はい……。中間試験は実技が無く、筆記が二日に亘って行われるそうです。その二日目の午後六時までが期限だと、言われました……」


 もう一週間程しかない。銀賦の特性を考えれば、意識の仕方さえ変われば時間は関係ないのだ。神代が銀賦を特別扱いしているか、頭の隅で常に()()()()()()を想像しているのではないか。

 座学の先生曰く、常識を持っている人間には銀賦が作れない。

 非常識で頭が可笑しい者程、現実に馴染めない程銀賦は使い手に新しい世界を見せる。まるで星が今の世界を全否定しているような話しだが、少女の貞操観念に罅でも入れば十分のはずだ。純粋な心の向きを曲げればいい。別に悪行をやらせるつもりはない、全く新しい価値観が人間を変える事もあるだろう。

 まずは神代雅という人間を知る事からだ。


「神代さん、もしかして実家は寺?」








 風に揺れる木が日差しを輝かせ、心地好い自然との一体感を与えた。もう少し暑くなると増える虫の声が、鳥の鳴き声に混じって聞こえている。鳥が止まる木の根元には、まだ咲いている春の花が残っていた。時期が過ぎると知っていても、応援したくなる小さい白の花。


 その花を土ごと掘り、少女は背後へ投げ捨てた。


 細く白い手が汚れる事も省みず木の根元を掘り、深さ三十センチになる頃には爪の間まで土塗れだった。少女はプリーツスカートのポケットから布に包まれた何かを取り出し、穴に入れ土を被せる。

 掘り返した跡は明確だが、この木を見付けるのは難しいだろう。なにせ道も何も無い山の中の一本の木、別の者に見つけてもらうなら目印は必須だ。木の幹を凝視して数分、考えが定まったのか拳から人差し指だけを伸ばし幹に近付いた。


 バキッ。


 人差し指の爪が伸びて、木の皮を刺した。そのまま指を横に動かせば、幹には傷が横線のように刻まれる。書き終われば最初の爪の長さに戻り、少女は満足げに目印を眺めた。


 軽く両手の土を払い、少女は消えた。誰かが見ていればそう錯覚する速度でその場から居なくなった少女は、山を降りた場所に建つ巨大な校舎を一瞥し、最後まで無言のまま去っていった。




閲覧有難う御座いました。

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