五十
千夜の来襲のおかげで思った以上に時間が……。
本当は千夜の活躍なんて三話程度だったんですよ?
なのにこうも粘られるとは……。
「化け猫! 壱乃樹でもいい! どっちか出て来い! 壱の化け物は引っ込んどけ!」
オレは街中を走り回りながら叫ぶ。
「無駄な抵抗をするでない! さっさと投降しないか!」
「『南無・壱』!」
「くっ!」
後ろから迫る千夜の足元に水を使って小さな窪みを作り転ばせる。しかし、千夜は前方に一回転することですぐに体勢を立て直した。
「うっ」
変な寒気がした。
「とうっ! 化け猫参上!」
何か空から降ってきた。
「やっぱ壱乃樹と変われ」
「酷いですよご主人!」
「壱乃樹の体で言うな! 気持ち悪いぞ!」
化け猫。壱乃樹が精神内に住まわせているという人格らしい。壱の化け物の代償だと言っていた。突発的に現れる『化け猫』の人格と、発現させると歯止めがきかなくなる『壱の化け物』。
厄介な代償だと思うが、これは自分では絶対に気付けなかったという。じゃあどうやって知ったんだと聞いたら、黙ってしまったが。
怪しいやつだ。別に殺しはしないが。
「くっ! 殺したはずなのに!?」
半殺しじゃなかったのかよ。
「あまい甘い! 内臓引きずり出されたって、心臓破裂させられたって、僕は絶対に死にはしないんだから!」
……中性的な顔立ちで、中性的な声。うん、たぶん、化け猫は女だな。身体は男だけど。
「ならばもう一度死ぬがよい!」
「頑張ってー」
そう言うと、化け猫がフードを外す。おそらく、優と交代するのだろう。
「――っとと、やっと繋がった」
「あ? 何がだ?」
優が意味の分からないことを言う。なにがあったんだよ。精神がこの世界から分断されてたわけ?
「いや、こっちの話」
「そうか」
とりあえず、ふざけた奴がいなくなったので、真面目に逃げる。別にオレがふざけていたわけではない。
「『私は貴様等ごときなど容易く捕まえることが出来る』!」
「『オレは千夜に触ることだけでなく触られることすら出来ない』」
オレと千夜が同時に叫ぶ。
バチバチバチィ!
「へ?」
「おい、被……?」
千夜が近づいてくると、オレ達と千夜の間の空間のなにか異様な力が生じ、しかもそれがしだいに強くなり始めている。
嫌な予感しかしない。
「ちょ、被! ヤバいヤバいヤバい! 死ぬってマジで!」
「いや、オレもどうしてこうなったかよくわからないんだが、これは本気で走らないと死ぬと思う……」
しかしオレ達の本気以上の速度で千夜が迫ってくる。
「千夜! 離れろ!」
「出来るわけがなかろう!」
「じゃあさっきの『言葉』を『取り消せ』!」
「被がすればよかろう!」
「できるか!」
ビシィ!
空間に罅が入った、とでも言うのだろうか、黒い亀裂が空中に生まれる。向こう側に何か見えていて、宇宙でもあるんじゃないかと錯覚させられる。
「これは……」
「物理的に距離を取るぞ、壱乃樹!」
「おう!」
驚く千夜を他所に、オレは優を担ぎ上げる。意外に軽かった。
「『水式七々九防御壁第三号』!」
両脚のつま先で地面に陣を書く。陣に沿って水が地面からあふれ出し、オレ達と千夜の間に幾重にも水の膜が張られる。一度に壊そうとしても、たとえ千夜でもおそらく時間がかかることだろう。
「簡易移動術式改!」
足の陣と並行しながら片手で印をきり、左手を地面へ向ける。左手の掌に大気中の水が水球を造る。ある程度大きくなったところで後方に跳び、左手を鋭角で地面にかざす。方角は近畿。適当に中継地点を決めて同じようにすればそのまま北海道へ行けるだろう。
勢いよくオレ達は空中へ放り出される。
「くっ! 待たぬか!」
何故か、そう叫ぶ千夜の声が近くに聞こえた。
「――え?」
やはり、飛んでいた。体質による極端な補正も無しに、こちらへ向かって一直線に飛んできていた。
「追い付かれるぞ!?」
「被! 俺をあいつに向かって投げろ!」
「はぁ!?」
何言ってんだ!?
「いいから早く! 投げてくれ!」
切羽詰まった声で優が繰り返す。
「くっ!」
優のズボンのベルトを掴み勢いよく投げ飛ばす。ちょうど、千夜とぶつかり角度で真っ直ぐ飛んでいった。
「チェンジだ! 化け猫!」
すぐさま優がフードを被る。どういうことなのか知らないが、化け猫の時は絶対にフードを被っていて、しかもフードが外れない。優はよくフードを被りたがるので、見分け方はあいつ以外の誰かが直接フードに触ることだ。
「はいっ! いくよご主人、よく見てて!」
……あと、一人称とオレの呼び方な。
「『化け猫☆パ~ンチ』!」
「無駄なこと!」
化け猫は柔らかい口調でそう言い放ち、左手でゆるゆると拳を前方へ繰り出す。しかし、千夜にそれを受け止められる。
何かが崩れ落ちる様な、しかし、それにしては軽く、硬質な音がした。
しゃくり、と。
「お前の負けだ」
いつの間にか交代した優が冷たく言い放つ。次の瞬間、優の右拳が千夜の顔面にめり込んだ。
「――――! 千夜ぉ!」
思わずオレは叫ぶ。水で空中に足場を造り、その上を滑って一時停止する。
「……みっともないな、被」
「っ!? こいつ……!」
見ると、千夜はとっさに左手で優の拳を掴み防いでいたようだ。これで優は両手を千夜に捕まれる体勢になってしまった。
オレは慌てて二人の足元に水で足場を造る。
「いい加減私から離れたらどうだ、被」
「うぐっ……!」
優の拳がミシリと嫌な音を立てる。
「それとも私が恋しいか?」
「いや、違う」
「そうか。ならば、なぜ私の心配などする? 関係を断ちたいのだろう?」
「他人の心配しながら生きちゃ悪いかよ。たとえそれが真っ赤な他人だったとしても!」
優の足を払いながら仙流を下段から斬り上げ、優の右腕をバッサリと斬り落とす。
「っ! サンキュー!」
優は足を払われた時の勢いをそのまま、左腕を軸に一回転する。それを見たオレは仙流を腰の鞘に納め、水で封をするとそのまま後ろに退いた。
優はてこの原理を利用して千夜の右手の束縛から逃れる。
そして、左手で斬り落とされた右腕の残骸を『喰った』。即座に優は体勢を整えつつ、左手で右腕の切切断面に触れ、その負傷したという事実すら『喰らい』、元通りにしてしまう。一体どういう原理なのかわからないが、そういう能力らしい。
「……悪いわけ、ないだろう?」
千夜はそう呟くと、ゆっくりと目を閉じた。そして、そのままの後ろに下がり、真っ直ぐ下へ……。
「え?」
眼下に広がるスラム街の一角。どう考えたって、助かる筈が無い。
「『水式護身……』!」
しかし、オレはそれ以上言うのをやめた。
何故ならば。
「『私は被を止めることは出来なくても、無傷で、笑顔で被を待ち続けることなら出来る』」
千夜がそう呟くのが聞こえたから。
千夜の「何でも出来る体質」と被の「何もできない能力」の矛盾が生んだ『世界』の歪みです。
被が水を操り始めた時点で矛盾は無くなっているのですが、結果だけがそこに残ってしまい、亀裂は残り続けます。
なお、この後千夜によって亀裂は処分されました。具体的には、『私はこの亀裂を修復することが出来る』、らしいです。
便利ですね!




