四十八
ふと、軽い調子で後ろから肩を叩かれた。
「やあ被。久しぶりであるな。実に、千二百八日振りだぞ。元気にしていたか?」
その言葉に心臓がドキリと跳ね上がる。寒い季節にも関わらず背中に大量の汗を掻き始めた。寒気を覚えつつ口を開く。
「あ、ああ。まあな。千夜はどうだ?」
ギクシャクとした動きにならないように注意しながら振り向く。
「うむ、遠征から帰ってきたら被がいなくなっていたのでな、いや、被だけではない、九重殿に言秀殿、矢掛殿までいなくなっていた。言秀殿は四方山とか言う輩と交代して近畿の見張りについたようだが、しかしその警備隊とも連絡が取れなくなっていて、実質中国地方は長くて二年近くもぬけの殻だったそうではないか。それに被とも全く連絡が取れなくなっていて私はとても心配したぞ。しかし、先日雀から連絡があってだな、このスラム街に被がいると言うではないか。だがそれはひと月ほど前の話。それまで私は被が死んでしまったのではないかと不安で不安で……。ろくに眠れはしなかったぞ」
「お、おう」
「だがこうして被に会えたのだ、これ以上嬉しいことなど無い」
ああ、さっきの連続した破壊音は千夜の足音だったのかー。……わかってはいたが、正直、怖くて振り返れなかった。
しかし、本当にろくに眠れていないようであった。長い黒髪も手入れが行き届いておらず、至る所が痛んでいた。ぼさぼさである。また、頬も若干ながら削れ、目の周りには直視できないほどの隈が出来ていた。
「さて、一緒に帰るぞ被。皆、被の心配をしていたぞ。なにせ、被のみ行方不明という状況であったからな」
「……オレだけ?」
「ああ、ここに来たとき調べたのだが、警備隊は一人残らず何者かによって暗殺されていた」
「じゃあ、言秀さんも……?」
「ああ、間違いない。ほら、行くぞ」
そう言うと、千夜はオレの手を掴み踵を返す。オレは母親に手を引かれる子供の様について行った。
「言秀さん……?」
脳の裏側が激しく明滅する。人の死なんて、今の時代ではなんてことの無い出来事のはず。
だが、不知火まことは言っていた。アレは今の時代を生きる人間の目ではないと。
自分の都合だけで生きている、力を持った人間だと。
しかし、ならばなぜ……。
「そう言えば、四方山殿と九重殿の殺され方と矢掛殿の殺され方がどうも違う様であったのだが……」
「っ!?」
思わず立ち止まる。そんなオレを心配したようで、千夜が慌てて言葉をつなぐ。
「いや、被を疑っているわけではない。ただ、何か知っていないか、と」
「さ、さあ……。どんな違いだったんだ?」
あの二人は形も残らないほどだったが……。
「ふむ、四方山殿と九重殿は形も残らないほどに切り刻まれていたが――」
そこじゃない、そこじゃないんだ。矢掛さんは誰に殺されたか、どうやって殺されたか……!
「――矢掛殿は鈍器のようなもので頭を砕かれていたのだ」
「――――!」
頭の中が真っ白になる。
同時に、胃から酸っぱいものが逆流しようとしてくる。
「どうした、被? 顔が青いぞ?」
「……言秀さんだ」
「…………? 何が言秀殿なのだ?」
「っ! 千夜! 警備隊はどんな殺され方をしていたんだ!?」
「……何故それを今聞く?」
「いいから!」
訝しげな顔をするが、千夜は丁寧に教えてくれる。
「包丁による刺殺が多いが、何人かは机の角で頭を叩き割られていたな」
「そうか……」
この情報から、言秀さんだと断定するには材料が足りなさすぎる。
だが、これは言秀さんの仕業だと本能が騒いでいる。
『言秀誘は敵だ』、と。
「千夜、ありが――ッ!?」
踵を返し、走り出そうとしたが千夜に手を掴まれたままで、前につんのめってしまった。
見ると、千夜の表情から若干ながら笑顔が消えていた。
「……何処へ行く気だ?」
「どこって、雀から聞いてないのか? 壱乃樹のところへ……」
「あの猫なら半殺しにしておいた。今頃土の中で眠っているだろうよ」




