三十五
『やっと来たね』
感情の一切現れない声が背後から聞こえた。とても懐かしい感じがする。
「よう、黒いの。……と、お前が三冬か」
振り向いて、何度も鏡で見た少女が黒い少年の隣に立っているのに気付く。
俺は軽く手を挙げて挨拶をした。
「初めましてだな」
「えっと、どうも」
三冬燐火はぺこりと頭を下げる。
そして、軽く首を傾げた。
「……あれ? 凧は化け物の方の参だよね?」
「そうだが……。それがどうかしたのか?」
「いや、どうして私と同じ姿形でいるのかなー、って」
『それは君が彼に身体を貸したからだよ。魂と身体は二つで一つと言うしね、今回は魂の形が身体の形に合わせて変化したようだよ』
「なにっ!?」
恐ろしいことを黒い少年が口走る。
魂の形が変わるという事はつまり、人格が変わるという事ではないのだろうか。そうなると、今ここにいる俺は『参幅霧凧』ではなく、『三冬燐火』に近い存在として存在するという事なのだろう。
ヒトとしての、個性を持ちたがる本能的な理性がその事実を拒否従っているのに気付いた。
「元に戻れないのか!?」
俺は慌てて黒い少年に問うた。
黒い少年はゆっくりと首を真横に振る。
『なにを今更……。その必要がないこと自体わかっていないのかい?』
「は? どういうことだよ」
俺は意味が分からないと首を横に振る。三冬も不思議そうに首を傾げていた。
『わからないのかい? 覚醒だよ、覚醒』
「覚醒?」
「覚醒って、ビーが言ってた、あー、魂の昇華みたいなあれか?」
『そうそれ』
凄いテキトーな感じに返答をされた気がした。イラっとしたぞ。
「覚醒ってったって、どうやりゃあいいんだよ」
『なんだか口が悪くなってきたね』
「魂だけの状態だからな。素に戻るわな、って話逸らすんじゃねえよ」
『悪いね』
黒い少年は肩を竦めてそう言った。無表情だが、何処となく楽しげな雰囲気で、俺は少し不思議な気分だった。
「とりあえず、覚醒すれば、皆の役に立てるってことかな?」
三冬が首を傾げながら言う。
それに対し、黒い少年は頷き返し言った。
『覚醒して、君達の自我をある程度のレベルに保っていられるようならね』
「はあ?」
「え?」
俺と三冬の声が重なる。
それに黒い少年は口の端だけで笑うと、黒革の本を抱えていない手を挙げた。
『すぐにわかると思うよ』
黒い少年は右手だけで本を開き、えーと、と呟きながらパラパラとページを捲っていた。
『ああ、やっと見つけた』
「すごい台無し感があったぞ」
『さてね』
黒い少年は開いたページに手を置いて、俺達に並ぶように指示を出した。
『いくよ。準備はいいかい』
「大丈夫だ」
「いいと思います」
俺達が頷くのを確認すると、黒い少年は大きく頷き本に視線を落とした。
集中しているのが良くわかる。
視線をページの上で目まぐるしく這わせながら黒い少年が口を開いた。
『せーの。さん、はい』
「いや待てよ、なんだそりゃ」
そうツッコミを入れようとした瞬間、世界が白く染まり、いつの間にか闇に飲まれていた。
奇妙な浮遊感。
不思議な一体感。
はて、俺は何と一つになるのだろう。
そんなことがどうでも良くなるぐらい、眠かった。
眠い。
どうしてこんなに眠いのだろうか。
その理由を考えるのも、億劫というやつだ。
俺は全てを忘れてしまいたいという、不思議な欲求に身を任せ、目を閉じた。
「………………!」
声が聞こえた気もするが、勘違いだろう。




