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 おもむろに、ゼフは窓のそばへ。

 そして振り向く。

「ローバーさん、ちょっとこちらへお願いします」


 ローバーは訝しげに首をかしげる。

 それから、しぶしぶといった感じで、ゼフの隣へ。

 ゼフは小さく笑みを浮かべた。


「あなたは、窓の上の蔦を切るために、窓の下枠に足を乗せた、と言いましたよね?」

「は、はい」

「では、ここから窓の上に手を伸ばしてください」

「えっ?」

 ローバーは眉をひそめる。

「さあ、どうぞ」

 ゼフはローバーを促す。

 すこし迷った後、ローバーはその場で手を上に伸ばした。床の高さからでは、窓の上までは届かない。


「……ここからでは、届きません」

「もっと、手を伸ばしてみてください」

「……こう、ですか?」

 ローバーはつま先立ちになって手を伸ばす。それでも手はまだ届かない。

「では、窓枠に乗ってみてもらえますか?」

「えっ?で、でも……」

「かまいません。窓は開けなくても結構ですので。危ないですし」


 ローバーはしぶしぶ、窓枠に乗る。

 そこでつま先立ちになって、ようやく窓の上まで手が届いた。


 それを見て、ゼフは満足そうに口元をゆるめた。

「ありがとうございました」

 ローバーが降りてから、ゼフは丁寧に頭を下げた。


「いったいなんなんですか? ……上まで手が届くか、確かめたかったんですか?」

「いいえ」

 ゼフはそれだけ答えると、室内を振り返った。


「さて、みなさん」

 ゼフは順番に、レモン、ランブロン、アルマ、そしてアンジェの顔を見た。

「今のをごらんになりましたか?」


(え、なにが?)

 アンジェはぽかーんと口を開けた。


「ど、どういう意味だ?」

「なにを見せようとしたんですか?」

 レモンとランブロンも困惑したように眉を寄せたまま首を傾ける。


「今、ローバーは、窓の上のほうに手を伸ばしましたね?」

 ゼフはアンジェの顔を見る。

 アンジェは黙ってうなずいた。


「だ、だからなんなんですか!」

 ローバーがすこしイライラしたように言った。

「今日はたまたま靴の跡を拭きとるのを忘れただけです。いつもはちゃんと──」

「そこではありません」

 ゼフは静かに言った。


「今、あなたは手を伸ばそうとして『つま先』で窓枠に乗りました」

「そ、それが?」

 ローバーの眉間にしわができる。

 ふっ、とゼフは息を吐いた。

「ところが、窓の下枠に残っていたのは『かかと』の跡でした」


「あっ……」

 アンジェは思わず声を上げた。


「そうです」

 ゼフはうなずいた。

「高いところに手を伸ばそうとすると、人間は自然と『つま先』で立つんです。かかとじゃ、届きません」

 ローバーの顔がみるみる青くなっていく。

 ゼフは続ける。

「ではなぜ、かかとの跡が残っていたか。それは、ローバーがここに靴を置いたからです」


「靴を置いた……?」

 ランブロンが顎を撫でた。

「はい。分かりやすく言うと、ここで『靴を脱いだ』のです。だから、床にもラグにも泥がついていなかった」

「あっ……」

 レモンがハッとした顔をする。


 ゼフは笑みを作った。

「そうです。ローバーは靴を脱いで窓の下枠に置いて、室内に入ったのです」


 全員が一斉にローバーを見る。

「ち、違う!」

 ローバーが叫んだ。

 しかし、その声は震えている。

「そ、そんな証拠がどこにあるんだ!」

「証拠?」

 ゼフは小首をかしげる。

「そんなもの、必要ありませんよ」

 そして、じっとローバーを見据えた。

「私はただ、執務室に立ち入ることができた四人の中で、ブランデーの瓶を持ち出すことができたのはあなただけ、という説明をしたまでです」

「……っ」

 ローバーは赤い顔のまま、口を閉じる。


 ゼフが急にアンジェに笑顔を向ける。

「……ですよね、お嬢様?」

「そ、そうですわね! わたくしの推理と一致しておりますわ!」

 アンジェは慌てて取り繕うように笑った。


 ゼフはローバーに目を戻した。

「そして、あなたはすでに失言をしています」

「えっ?」

 ローバーが驚いた顔をあげる。

 ゼフは、静かな笑みをたたえたまま、言った。

「『手提げのカバンでも、手首に通せば持てるじゃないか』という問いに、あなたは『そんな重たいもの、危なくて持てませんよ!』と答えましたよね?」

「……そ、それがなんだっていうんだ!」

 ローバーは両手を握りしめる。


 ゼフは、そっと目を伏せて、言った。

「この部屋で瓶の重さについて話したのは、あなたとアルマが来る前。執事長から瓶の詳細を聞いた時だけです。それ以外は、私は瓶の大きさについてしか、話題にしていません」

「あっ……」

 小さく、うめくような声。

「あなたは、ブランデーの瓶が窓際に置かれているのを見た、と言いました。ガラス瓶ですから、ほとんど空なのは、見てすぐにわかります」

「それは……」

「それなのに、あなたは『そんな重たいもの』と言った。大きさを気にして持てない、と否定するならわかりますが、なぜ重さを理由にしたのですか?」


 ローバーは床に目を落とす。

 握りしめた両手が、力なく下ろされる。


 ゼフは目を細めて、ローバーを見た。

「中身がほとんど入っていない、空の瓶が『重たい』ことを知っている……つまり『瓶を持ったことがあるから』ではありませんか?」


 無言。

 ローバーは、うつむいたままなにも言わない。

 少し待ってから、ゼフは口を開いた。

「違うのであれば、否定していただいて構いません」

「……」

「ただ、そうなると──」

「──です……」

 か細く、震えるようなつぶやき。

 ゼフは口を閉じて、ローバーの言葉を待った。


「わたし、です。わたしが盗みました」

 下を向いたまま、ローバーは絞り出すような声を出した。




「お前だったのか」

 レモンが険しい顔で、ローバーの顔を見る。

「お前がそんなことをするとは思わなかった」

 ランブロンも苦々しい表情。


「……どうしてブランデーの瓶を?」

 アンジェが口を開いた。

「ほとんど空だったのでしょう?」

 ローバーはわずかに顔をあげ、アンジェに目を向けた。

「瓶が、綺麗だったからです」

 絞り出すような声。ぽつりと、涙が零れ落ちる。


「お屋敷のお給金だけでは生活が苦しくて、ついギャンブルに手を出してしまい……逆に借金を作ってしまったんです」

 ゆっくりと、ローバーは膝をついた。

「それで……蔦の手入れをしているときに、窓辺に置かれていた綺麗な瓶を見かけて……。それを売ればお金になるだろう、と……」

 そしてそのまま、床に崩れ落ちる。


「つい、魔が差してしまった……。ほんとうに、申し訳ない」

 うずくまったまま、ローバーは拳を握りしめた。

 誰も、言葉を発しなかった。

 背中を丸めて、震えているローバーを無言で見つめていた。


「ローバーは、悪くありませんわ」

 唐突に、アンジェが口を開いた。

 レモンとランブロンが、驚いた顔をアンジェに向けた。

 それからアンジェは、ローバーの前に進み出て、膝をつく。

「お給金が少ないのも、お屋敷が貧しいからですわ。つまり、これはお屋敷の罪ですわ」


 ローバーは驚いて顔を上げた。

「さすがにそれは……」

 言いかけて、ゼフは黙った。

「生活が苦しいのであれば……あまり沢山は出せませんが、多少の融通はできるでしょう。もちろん、お父様に確認したあとになりますが」

「え、で、でも……」

 ローバーは赤くなった目をぱちぱちとしばたたかせる。

「瓶を売る程度の小銭のために職を失うこともないでしょう?」

 アンジェはにっこりとローバーにほほ笑みかけた。


 ローバーの両目から、みるみる涙があふれた。

 そしてその場にうずくまり、大声で「ごめんなさい」を繰り返した。




「お嬢様の寛大さに助けられたな」

 レモンは、ふーっと長いため息をついた。

 ランブロンは、ローバーにつられたのか、目元をそっとぬぐった。

「私も、ちょっとお酒控えようかな」

 その横で、アルマはすっと目をそらした。


「これで、問題解決ですわね」

 アンジェは立ち上がって、にっこりとほほ笑んだ。


 隣にいたゼフが、クスッと笑う。

 すかさず、アンジェが口を尖らせた。

「今ちょっと笑ったでしょう!」

「いいえ、とんでもございません」

「絶対笑いましたわ!」

「そんなことはございません」

 ゼフはゆっくりと首を振った。


「お嬢様の推理が見事的中したので、感心していたのでございます」

「ほんとうですのー?」

 アンジェは、疑うような目つきでゼフを見る。

「犯人は、魔が差しただけ、と初めからおっしゃっていたのはお嬢様ではありませんか」


 そう言えば。

 ……そんなことを言った気もする。


「さすが、お嬢様でございます」

 ゼフは、うやうやしく頭を下げた。

「ま、まあ? わたくしは初めからすべてわかっておりましたわ!」

 ゼフの目つきが、いつになく優しい気がする。

 ちょっとだけ嬉しくなって、アンジェはふふん、と鼻を鳴らした。


 ゼフは、またクスッと笑った。




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