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建物の南側にあるテラスは、アンジェのお気に入りの場所だ。
グレーのタイルが綺麗に敷かれたテラスの床は、吹き込んできた落ち葉が散らばっている。
「あとでお掃除をお願いしなくては」
そうつぶやいて、アンジェはテラスの中央へ向かった。
今日のお茶会は、ここですると決めてある。
アンジェの後ろを、ゼフがついて歩く。
「ところで、そのおリボンは?」
ゼフの言葉に、アンジェは嬉しくなってパッと振り向いた。
「気が付きまして? 街で流行の柄なのだそうですわ」
「少々大きい、というか……子どもっぽくありませんか?」
たちまち、アンジェは顔をしかめる。
「そんなことありませんわ! ……せっかく、フロイドさまが贈ってくださったものですのに」
「……それは失礼いたしました」
ゼフはわずかに目を細め、それから頭を下げた。
(お世辞でも「可愛い」とか「似合ってる」とか言うものではありませんの?)
アンジェは口を尖らせたまま、ぷいっと横を向く。
ゼフはいつも、そういうことは言ってくれない。
それがちょっとだけ憎らしい。
テラスの中央には、白塗りのテーブルとイスが二つ置かれている。
「花壇のそばに、とアルマに頼んでおきましたのに。これでは建物に近すぎますわ」
テラスの隅、二段ほど降りたところに、アンジェがいつも世話をしているマリーゴールドが綺麗に咲いている。
どうせならその近くがいい。
そう思って振り向くと、ゼフは「かしこまりました」と言って、すっとテーブルを持ち上げた。
「あ、手袋──」
汚れてしまう、と言いかけて、アンジェははっとして口を閉じた。
ゼフは右手に古い傷跡がある。
(隠さなくてもいいですのに)
とは思うけれど、ゼフはそれを気にして、いつも手袋を外さないのを知っている。
「あ、もっと右の──そうそこ! 日当たりのよい場所がいいですわ」
言われるまま、ゼフはテーブルを運んで、ゆっくりと下ろした。
「そこでよろしいですわ」
ちらっと振り向いたゼフに、アンジェはにっこりとほほ笑む。
「ゼフ、ありがと──」
その言葉が終わるより先。
突然、ゼフが走り寄り、アンジェに覆いかぶさるように両手を広げた。
同時に鈍い音。
続けて、ガシャン! となにかの割れる音。
「ゼフ──!」
アンジェは顔を青くして叫んだ。
ゼフはその場で膝をついたまま、動かない。
テラスの床には、土と鉢植えの欠片、半分枯れたゼラニウムが散らばっている。
「……大した怪我ではございません」
そう言いながらも、ゼフは動けないまま。アンジェの顔から血の気が引いていく。
──どこに当たった? ……背中? 頭?
心臓が痛いほど跳ねる。
目の前が暗くなっていくような気がして、アンジェは恐る恐るゼフに手を伸ばす。
と、ゼフはおもむろに立ち上がった。
「ゼフ?」
「問題ありません」
ゼフは表情一つ変えず、大きく右腕をまわして見せる。
それから、左肩についていた土をぱっぱっと払った。
それを見て、アンジェはやっと胸をなでおろした。
「よかった……すごい音がしたから、心配いたしましたわ」
「お嬢様にお怪我がなかったことが幸いでございます」
「幸いじゃないでしょ!」
アンジェは思わず声を荒げた。
「いつもそうやってかばってくれるのは嬉しいけれど、自分も怪我しないようになさい!」
アンジェはじっとゼフをにらんだ。
「……善処します」
ゼフはわずかに目をそらして、つぶやくように言った。
ふと、ゼフは建物を見上げた。
アンジェもつられて上を見る。
ちょうど、テラスの真上。
三階は書斎。窓の下部の張り出しにはなにも乗っていない。窓は閉まっていて、人の気配はない。
窓ガラスの内側に鉢植えの影がいくつか並んで見える。
その真下、執務室の窓は左右に半分ほど開いていて、言い争うような声が聞こえてくる。
もめ事。トラブル。
間違いなく、なにか起こっている。
「事件の匂いがいたしますわ!」
ちょっとだけ興奮しながら、アンジェは言った。
「……事件でございますね」
ゼフは目を細めた。それから、アンジェに目を向ける。
「……まさかとは思いますが、お嬢様自ら犯人捜しをしよう、などとお考えではありませんよね?」
「犯人捜しをしようと考えておりますわ!」
アンジェは即答した。
「ゼフに植木鉢を落とすなんて、たとえケンカのはずみだとしても放っておけませんわ!」
お屋敷での出来事。つまり事件。
(まさしく名探偵の出番ですわ!)
ウキウキする気持ちを抑えきれずに、アンジェは二階の窓に目を向ける。
ゼフは一瞬困った顔を見せ、それから諦めたような表情になり、いつもの表情に戻った。
「ではご一緒いたしましょう」
建物の正面から、中へ。
中央の階段から二階へ上がり、左右に伸びた廊下の突き当り。
執務室のわずかに開いたままの扉から、怒鳴り合う声が聞こえてくる。
「おやめなさい!」
アンジェは、躊躇なく扉を開いた。
室内にいたのは、執事長のレモンと父の従者であるランブロン。
二人は今にも掴み合わんばかりの姿勢で、入ってきたアンジェに驚いて固まった。
「いったい、なにがあったんですの?」
意外に思いながら、アンジェは問いかけた。
二人とも、声を荒げてケンカをするような人たちではない。
「お嬢様、聞いてください!」
すかさずランブロンが叫んだ。
「執事長のレモンが、私がブランデーの瓶を盗んだと言うんです!」
「お前以外に誰がいるというんだ?」
レモンは不満顔のまま腕組みをした。
「ブランデーの瓶?」
アンジェは首を傾けた。
「はい。旦那様の秘蔵の品で、以前はよく飲んでおられたものです」
そう言って、レモンはランブロンをにらむ。
「旦那様が御病気になられてから、ずっと執務机の上に置かれておりました。それが今しがた、執務室の施錠に来たときに無くなっていたのです」
「私が執務室に入った時にはすでにありませんでした!」
ランブロンはレモンをにらみ返す。
レモンはフン、と忌々しそうに鼻を鳴らした。
「ランブロンは酒好きだから、ついブランデーに手を出したのでしょう」
「私は旦那様の言いつけで、執務室に本を戻すために来ただけです!」
「二人ともおやめなさい!」
二人の声が次第に大きくなり、アンジェは慌てて叫んだ。
同時に、ゼフが二人の間にスッと割って入る。
なだめるように、アンジェは続けた。
「とにかく、落ち着きなさい」
レモンとランブロンはしばらくにらみ合っていたが、やがてお互いに顔をそらした。
アンジェは、ふーっと大きくため息をついた。
(さて……困りましたわね)
右手を頬にあて、目を閉じる。
執事長のレモンは、お屋敷に長くいる人。
ただ、割と緩いというか……少々だらしがないところもある人。けれど、悪い人ではない。
ランブロンは、離れに移ってから雇われた従者。
仕えて長いわけではないけれど、物を盗むような人間には見えない。
「これは、難事件ですわ」
思わずアンジェはつぶやいた。
ゼフは顔をしかめる。
「ですがお嬢様、これは使用人同士の問題なので──」
「お屋敷の使用人が困っているのですから、わたくしの出番でしょう?」
ゼフは執務室の窓辺に置かれている小さな鉢植えにちらっと目を向け、それからため息をついた。
「……お嬢様がお望みとあらば」
アンジェは満面の笑みをゼフに向けた。
「わたくしが事件を解き明かして、もめ事を解決してさしあげますわ!」




