先輩の『ファイター』
背中から流れている汗が、さっきよりも増えているような気がした。
(たった一本の"ペットボトル"。先輩はそれだけで犯人を特定しようとしているのか。でも一体どうやって?)
そんな疑問ばかりが頭を巡り、僕の頭は真っ白になっている。
「人が残したら最後、隠すことができないもの。清澄お前は何だと思う」
不意に隼先輩がそんなことを聞いてくる。
「えなんだろう。"いたずら"とか…… いや、すみませんわからないです」
「正解は"匂い"だ。人は思っている以上に"匂い"に囲まれている。衣服や香水の匂いはもちろん体臭や外気の匂い。さらには食べるものでさえもわずかながらに匂いを持っている」
そして隼先輩は「これもだ」と言わんばかりに僕へ持っている飲みかけのペットボトルを軽く振ってみせる。
僕はようやく先輩が"もの"にこだわっている理由を理解できた。先輩の"鼻"が常人よりもはるかに優れているのなら僕が今日食べたものも、汗を掻いているかも分かるわけだ。そして、人を探し出すことも。
「でも先輩、ペットボトルに匂いって付くものなんですか?」
「それはおまえが"人間"だから感じないだけだ」
先輩は僕の質問に対しそう冷たく返事を返す。その言葉に僕は思わずムッとしてしまう。そして「先輩だって同じ"人間"ではないか」と、僕が言いかけたその時だった。
突然先輩はジメジメとしたアスファルトに右膝をついた。完全に膝を付くと今度は何もない路地裏の奥へと手を伸ばす。その行為は、僕が『ファイター』を呼び出す"指鉄砲"に似ていると僕は感じた。
「こい、『エド』!」
先輩がそう叫ぶと、僕が瞬きする間に先輩の『ファイター』は出現していた。
大きさは大体三十センチ程。優しそうな顔立ちにクリクリとした茶色の目。そして何よりも毛玉のようなモコモコで丸々した体型…… そんな天使のような犬が今、先輩の足元で"お座り"していた。
「何なんですか先輩この可愛さの塊り!!」
気づけば僕はその天使を抱きかかえ、頭を撫でまわしていた。先輩は一つため息をついた後に顔を赤らめ恥ずかしそうに口を開く。
「小さい時から動物アレルギーだったんだ。でもその、動物は好きで……」
「好きで?」
「好きで……」
これ以上その先を先輩は言うことをしなかった。だが僕にはちゃんと分かる。
『ファイター』が発現するきっかけとして、何かを叶えたいという強い"欲"が関係するという。
これを僕達『特殊部隊』は『欲望型』として呼んでいる。先輩も例に漏れず"動物に触れたい"という欲が生み出したのだろう。
「──そんな事は置いておいて捜索を再開するぞ」
先輩の言葉に僕はハッとし、また身を引き締める。
今はあくまで任務中。一刻も早く涼川 任儀 を探さなくてはならない。
先輩は座っている『エド』の鼻にペットボトルを近づかせ匂いを嗅がせた。
「俺の『エド』は人間の何倍も鋭い嗅覚を持っている。一度匂いを覚えてしまえば最後、どこまでも追跡できる」
「でも涼川の通った後をずっと追うのなら、ものすごい時間かかりませんか?」
「確かにそうだ。だが俺達には他に頼もしい道具があるだろう」
そう言って先輩は自分の左耳に触れる。うっすらと輝く白い『イヤホン』が目に留まった。
「動物の犬は空気中に漂う匂いを嗅いでいるのではなく、その場に残った匂いを嗅いでいる。だから嗅げる範囲はせいぜい三メートル。だが俺の『エド』はそれをはるかに超える百メートルの範囲を嗅ぐことができる」
「あの、この子本当に犬…… ですよね?」
「犬とは言っていない。犬のような"ナニか"だ」
二人から視線を向けられても、『エド』はきょとんとした顔でこちらを見つめている。
「最初は普通の犬程度の力だった。けどジェイクさんが鍛えてくれたんだ。戦闘は苦手だが、その分得意な分野を伸ばしてくれた」
『エド』は僕達が来た方とは反対の方へと向きを変える。どうやら東側の方角から匂いがするらしい。
「よし、清澄そろそろいくぞ」
隼先輩が路地の先へと歩き出す。いよいよ捜査も大詰めを迎えていると、僕はそう感じながら急いで先輩の後を追うため駆け出した。
(そういえば匂いを嗅ぐ能力は『エド』のものだとして、それなら先輩が似たような事をしたあれは何なんだろう……)
一瞬そんな考えが頭をよぎったものの、僕はその考察を胸にしまい込み捜索に集中することにした。
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こうして、賢明な捜索の末ついに『エド』はある建物の前で足を止め一声鳴き始める。だが僕達にとってそこは予想もしない場所であった。
「先輩ここって……」
「いやエドがミスをすることはありえない。ここで当たっている、はずだ──」
軽音サークルのスタジオから実に徒歩15分。近くのスーパーやコンビニからも離れていて、ついでに来たとは言いにくい。そこは住宅街の中にあるシャッターが半分降りているような年季の入ったコインランドリーだった。
「まずは俺が先に行く。清澄はいつでも『ファイター』を出せるように準備をしておいてくれ」
隼先輩は『エド』に向けて肩を叩く。それに答えるかのように『エド』は先輩の肩へ嬉しそうに飛び乗った。
先輩はシャッターの前に立ち、一度深呼吸をする。そうして深呼吸の直後勢いよくシャッターを開けた。
すると中にいた一人の男が驚いてこちらに振り向く。茶色に染めた髪に整った顔立ち……それは僕達が聞いているあの男の情報と一致していた
「涼川 任儀 さんですね」
「はい…… そうですが」
それを聞くと隼先輩はゆっくりとポケットから何かを取り出す。それは先輩自身の顔の映った"手帳"だった。
「我々は『特殊部隊S.J.S』です。あなたの持つ力について少しよろしいでしょうか」
チカチカと光る蛍光灯が三人を照らし、不気味なほどの沈黙が訪れる。今は止まっている洗濯機がいきなり動くのではないかと、僕はそう思った。
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