懐かしき鯉のぼり
とりあえず友達となった俺と仲山は学校で時々話すようになり、お互いの連絡先も教え合った事で連絡する機会も増えていた。
もっとも、大抵向こうから連絡してくるので俺は適当に返事をしているだけである。
主に仲山から送られてくるメールの内容は――。
『三浦君は今日の夕飯は何を食べましたか? 私はお母さんの特製ハンバーグだよ! 私もお手伝いしました』
と、料理の写真付きでこのようなメールが来る。
『今日は弁当だ』
と俺が返すと。
『お弁当? 駄目だよ、ちゃんとしたもの食べないと。栄養バランスも少しは考えなさい』
母さんかっ!? お前は俺の母さんなのかっ!?
そんなやり取りを二、三日おきに行っている。学校が終わって街をぶらぶらと歩き、帰ってきて晩飯を食べた後、タイミングが良すぎるくらいにメールが送られてくるので、もしかしたら家の中を覗かれているのかもしれないと、一人で挙動不審になってしまう。
そして今、ゴールデンウィークに入り部活に所属していない俺は特にやることも無く、晩飯のコンビニ弁当を食べ終え、食後に漫画を読み漁っていた。
漫画を読み耽っていると、机に置いていたスマホの着信音が鳴る。
『今日の夕飯は何食べましたか? ウチは海老フライでした! お母さんの海老フライ、カリッカリですごくおいしいよ!』
と、またまた写真付きでメールが送られて来た。
まあ、あいつの事だからこの話題しか思いつかないのだろうな。話題作ったりとか下手そうだし。
『今日は弁当だ』
と、漫画を左手に持ち、右手でスマホを操作して返信する。
スマホを床に放り投げ、左手で開いていた漫画に没頭しようとすると、一分も経たない内にスマホから着信音が鳴る。
『またお弁当なの!? そんなにお弁当ばっかり食べてて飽きないの? さすがになんだかかわいそうになってきたよ』
……余計なお世話だ。
……いや、俺も最近は自炊なんてする気も起きずコンビニ弁当ばっかりだ。正直今の学校に入学して一カ月、コンビニ弁当しか食べていない。俺自身あまり気にはならないのだがさすがにまずいのかもしれない。
と言う事でこう返信する。
『じゃあ料理教えてくれ』
素直に聞く事にしよう。……少しまずいだろうか? 連絡も取り合う仲だしそんなに俺の食生活が気になるならぜひ自炊の仕方を伝授していただこう、なんて考えてしまったが。
これはあいつか俺のどちらかが相手側の家に赴く事になる。そうしないと教えてもらえないからな。
いくら友達でも俺は男であいつは女だ。俺のアパートに来られるのも、俺があいつの家に行くのもちょっとな……。というかあいつと友達になった時、俺が自分でそういうのは駄目だって言った記憶もある。自分で言っておいてこれとは……、人の事言えないな。
そんなしょうもない後悔に駆られている内に返信が来る。
『いいよ! じゃあ明日私の家来る?』
俺があいつの家に行くのか。でも俺の部屋を見られるよりは十分ましだな。何しろ汚い。
『わかった。それじゃあどこかで待ち合わせするか』
俺はあいつの家がどこにあるのか分からない。学校の校門を出て俺とは逆方向に帰るということしか知らないからな。
『うん、じゃあ明日の十一時に学校、でどうかな?』
明日の十一時か。休日はいつも十二時くらいに起きてるから俺にとっては特に遅いという時間でもない。しかしたまには早起きしてみるのもいいかもな。
『わかった、十一時な。それじゃまた明日』
とりあえず、明日は十時くらいには起きておいた方がいいだろう。学校まで十分だし、充分に余裕がある。
『はい、また明日ね!』
と返信がきて、俺達のやり取りは終わった。
しかし、高校に入って最初に行く友達の家が女子の家になろうとは。
普通に男で話す奴もいるにはいるんだが、みんな部活でゴールデンウィークもひたすら汗を流しているんだろう。
小学生の内は異性に対してもあまり意識してなかったし、女の子の家に遊びに行くこともあったが、それ以来全くない。中学時代は野球しかしてなかったからな。
まあ別に仲山の部屋に入るわけではない筈だ、料理を教えてもらいに行くんだからな。
……興味が無くはないが。
仲山とのメールを終え、一緒に読んでいた漫画も読み終わった所で大きな欠伸が出る。
俺は眠気に滅相弱いのでなかなか抵抗できない。睡魔が襲ってくるこの心地よさにどう抗えばいいというんだ?
両方の瞼も重くなってきて、せめてベッドで寝ようと這いあがり、そのまま脱力する。
部屋の明かりもテレビもつけたまま俺の瞼は持ちあがることも無く、そのまま視界が暗闇で覆われ、意識を閉じた。
起床十時。
部屋の天井を見上げながら寝ぼけた頭を現実へと引っ張り起こす。次第に明るくなって来る意識が、仲山との約束を思い出させる。
寝起きで満足に働かない自分の体を浴室へと運び、シャワーを浴びる。熱めに設定したシャワーは寝起きの体にビリビリと突き刺さり、その刺激が未だ寝ぼけている俺の頭を完全に覚まさせた。
友達と言えど女の子の部屋にお邪魔する事になる。その事を考えてしまい、いつもは適当に洗っている髪も念入りに洗い、ボディタオルで体の隅々をいつもの三倍くらいは擦る。
擦り過ぎた、何だかヒリヒリする……。
風呂から上がり、私服に着替えてから家を出る。
余裕を持って学校へと歩いて行き、着いたのは十時五十五分。待ち合わせ時間は十一時だしいい時間だ。
とりあえず校門へと向かい仲山が居ないかどうかを確認するが見当たらない。
サッカー部が校門からぞろぞろと出ていき、大きな声を張り上げながら走っていく。これから学校の周りでもランニングするのだろう。ご苦労な事だ。
サッカー部を見送り、どうやらまだ来ていないようだと結論を出した俺は校門に背を預け仲山が来るのを待つ。
五月の太陽は冬の寒さを忘れさせるほど日差しが暖かく、肌を掠めてそよぐ涼しい風が心地よい。……心地よ過ぎて気を抜いたらこのまま眠ってしまいそうだ。
うとうとしていると、俺の肩に細いもので軽く突かれる感触があった。
「おはよう。――じゃなくて、もうこんにちは、の時間だよ?」
閉じかけていた目をゆっくりと開き、視界に飛び込んできたのは私服姿の仲山だった。
「ああ、すまない。日差しが気持ち良くてな」
仲山が着いたという事は……ちょうど十一時だな。
「そうだね~。今日はゆっくりお昼寝でもしていたい気分だよ~。でも今日は私の家で料理のお勉強です!」
ああ、そうだった。いや、忘れていたわけではないのだが自炊の仕方を教わるって予定だったな。そういえば腹も減ってきたような気がする。
仲山が「こっちだよ」と俺の家がある方向とは逆へと指差し、俺達はその方向へと二人並んで歩いていく。
「とりあえず今から商店街に行って、材料を調達したら私の家に行こう」
「了解。そういえば今日は何作るんだ?」
何をつくるのか聞いていなかったな。俺も全く料理した事無いし簡単な奴でいいんだけど。簡単に作れる料理というより手っ取り早く作れる料理がいい。
「今日はチャーハンを作ります!」
仲山は人差し指をピンと立て、朗らかに宣言した。
「チャーハン?」
チャーハンはコンビニ弁当でも偶に食べてるんだけどな……。我儘な事かもしれないけど、正直俺が普段あんまり食べない様な料理を作ってみたかったな。
「三浦君ってけっこうチャーハン食べる頻度多いよね」
そういえば、いつものメールのやり取りでは弁当の中身を詳しく聞いてきた時があったよな。おかずは何? とかお吸い物は? とか。
「チャーハンって結構作るの簡単だし、材料とか調味料を変えれば味なんかすぐに変えられるし、それにすっごい安上がりなんだよ!」
ぜひ! とでも言わんばかりの勢いでチャーハンを勧めてくる。
弁当で売ってるチャーハンも同じようなのばっかりだからな、簡単で味も調節できれば飽きる事なく結構続くかもしれない。
「そう考えてみればそうだな。俺もチャーハン結構好きだし、ぜひ教えてもらいたいな」
「はい! と言ってもいきなり応用した作り方をしても難しいかもしれないので、とりあえず今日は基本的なネギチャーハンを作ってみたいと思います」
「お、おう。よしやってみるか」
俺がそう言うと母性ある慈愛に満ちた頬笑みを千野は浮かべた。
今日俺が仲山の家に出向くのは自炊を教えてもらうためであり、基本から忠実に教えてもらうのはとても嬉しい。
だが仲山はこの俺を見くびっているのだろうな。
よし……正直に言おう。俺がどれだけ料理に関して無知なのか思い知れ!
「仲山!」
「え? ど、どうしたの急に」
いきなり名前を呼ばれたからか驚きを隠せない仲山。
そんな仲山に、恥を忍んで声を高らかに、正直に頼み込む。
「俺に飯の炊き方を教えてくれ!」
仲山の完全に意表を突かれた表情は、俺の中で今まで見た事が無くなんだか新鮮だった。
「……多分、小学校の頃に習ってると思うんだけどなぁ。で、でもせっかく三浦君がやる気になってくれてるし、やり方だけでも教えるよ! あ、ちなみに今日使うご飯は冷凍してあるのを使うから実際には炊かないんだけどね」
ちょっと焦りが混じった笑顔を浮かべる仲山だが、軽く流して承諾してくれただけでも俺にとっては正直に言った価値があり、素直にこう思う。
こいつ良い奴だな――と。
中学の時はいつも他人の顔色を窺って誰も不機嫌にならない様に、と周りに合わせる事が俺は多かった。言いたい事があったとしても、それが少数派の意見であれば言葉を飲み込み、自分の気持ちとは反対の、多数派の意見に賛同する。
でも中学三年の時、とある出来事がありそれ以来そんな事はしなくなった。と言うより、俺の周りに誰も近寄ってこなくなったから出来なくなったと言う方が正しいか……。
俺は周りに合わせる事を忘れてしまった。
そんな俺の隣で、仲山は地味に俺の歩幅に合わせて歩いてくれている。
本来ならば俺が仲山に着いていき、彼女の家まで案内してくれるというのが世間で言う普通なのだろうが、仲山は人差し指を掲げ、「次はあっちだよ」と、「次はこっち」と、決して前を歩かずに俺と肩を並べ、歩幅を合わせてくれる。
それは仲山が意図的にやっている事なのか、それとも、ただの彼女の癖なのかはわからないが。
俺には、その隣で歩幅を合わせて一緒に歩いてくれる事がなんとなく嬉しくて。
俺も仲山の歩幅に合わせてやりたいと、少しだけ歩幅を縮めた。
仲山の家に行く前に、材料を買い集め――ネギチャーハンにそんなに材料も必要ないのだが――仲山宅に辿り着いた。
仲山の家は、学校周辺に広がる住宅地に建っており、外見は世間一般的な一軒家である。学校からは俺のアパートと同じく、徒歩十分といったところだろう。
仲山が自分の家を視認すると、トコトコと走り出し、仲山と書いてある表札の隣に位置する門扉を開け「どうぞ!」と笑顔で招いてくる。
俺が門扉を通り抜けると、またトコトコと走り出し、今度は玄関を開けて、「どうぞ!」と招いてくる。
……ご丁寧にどうも。
「お邪魔します」
玄関を潜り、とりあえず挨拶を済ませると。
「いらっしゃい! 今日はゆっくりしていってね」
靴を脱いで先に家に上がった仲山が直々に返してくれた。
「ああ、それじゃお邪魔しま――」
お言葉に甘え玄関から上がろうとすると、おそらくリビングであろうその扉から若い女の人が出てきた。
「あら、いらっしゃい」
仲山と似た艶やかな黒髪、仲山によく似た顔立ちをしているものの、とても落ち着きのある雰囲気、その女性は仲山と似通っている点は何箇所かあるが、一目見て大人の魅力に翻弄されてしまいそうになった。
おそらくは仲山のお姉さんなのだろうと予想し挨拶を返そうとすると。
「――って、ち、千野! 友達って男!?」
「うん、そうだよ! 言ってなかったっけ?」
仲山のお姉さん? は俺が男だった事に驚きを隠せなかったようで、慌てて千野に問いただし始める。
まあ、確かに友達連れて来るって言って男一人連れて来ちゃうとなぁ……。やっぱり仲山は友達であれば男だろうが女だろうがあまり意識しないのだろうな。
「はぁ……。せっかく千野が友達連れてくるって言うから盛大にもてなしてあげようと思ったのに、まさか男を連れてくるとは」
明らかに落胆した顔をする仲山家の人。どうやら自分の妹? が男を連れて来るとは思わなかった様で期待はずれだったのだろう。それにしても先程までの気品が果たしてどこへ飛んでいってしまったのか? と言うほどの変貌っぷりである。
表情一つでこんなにも印象が変わるなんて……女って怖い。
「えっと~名前は?」
その変化は口調にも表れ、明らかに相手にするのがめんどくさそうな態度を示している。右手を腰に当て、左手で頭をかきながら、気だるげに俺の名前を聞いてきた。
「仲山さんと同じクラスの三浦優一郎です」
「三浦君ね、私は姉の千草。あんた私の妹に手出ししたらただじゃおかないからね」
いきなりそのセリフか! 会ってすぐ名前聞いたらもう俺は怪しい男かよ!? しかもこの様子じゃおそらく妹を溺愛している姉という構図か……。
「あ、いや、俺は仲山さんのただの友達でして。今日も仲山さんに料理を教えてもらいに来ただけなんですよ」
俺は本当のことしか言っていない……のだが。
「はぁ!? そんな適当な言い訳通じると思ってんの? 今時、高校生の男子が料理教えてもらいにわざわざ女の子の家まで来ないわよ普通。絶対になんか企んでるでしょ?」
何も企んじゃいないが、言ってる事が尤も過ぎて何も言い返せない……。
「お、お姉ちゃん! もう何言ってるの!」
仲山姉はキレ気味で俺の事を罵倒してくる。それを宥めるべく仲山妹が対抗しているのだが。
仲山姉超こえぇ……。
さっきの大人の魅力あふれる上品なお姉さんに戻ってもらいたいと、出会って数秒で願ってしまった。
「す、すみません、用が済んだら早く帰りますんで」
正直、料理とかもうどうでもいいからさっさと帰りたい……。
「はぁ、どんなかわいい子連れてくるのか結構期待してたのに……」
ブツブツとだがこちらへ聞こえる程度の嫌味を言いながら、仲山姉は二階への階段を足音をズンズンと大きく立て、登って行ってしまった。
「いやいや、さすがあのノートのアドバイザー、ポジティブと言うよりも気が強いって方向だったか。さすがにびっくりしたな」
「ご、ごめんね、いきなりあんな事言われても困るよね」
でも、追い返されなかっただけましなのか? ……恐らくそうだ、もっとチャラチャラした奴だったらあの仲山姉に目があった瞬間、「帰れ!」って言われてるに違いない。
「全然気にしないでいいからね! お姉ちゃんも本気で言ってるわけじゃないと思うから」
いや、完全に本気の目してたぞ。今でも仲山姉の形相を聡明に思い出せるくらい怖かったからな。危うく石化しそうになってしまった。
「ああ、俺もあんまり気にしてないから、仲山こそ気にすんなよ。それよりざ」
仲山姉の出現は俺にとってなかなか衝撃的ではあったのだが、まあとりあえず。
「そろそろ上がらせてもらってもいいか?」
俺は仲山家玄関のど真ん中で、靴を脱ぐタイミングを完全に見失ってしまっていた。
「ごちそうさまでした、まあ我ながら結構美味かったな。しかも作るの時間かからないし」
仲山家の台所を借りて、いざ料理……というものの自炊なんてまともにした事のない俺は予想通りに苦戦を強いられてしまい、指も何箇所か切ってしまう有り様。
ネギとベーコンしか切って無いのに……。料理が出来ない乙女か……俺は。
飯の炊き方も一応教えてくれたのだが、は? と言うくらいに簡単だったしな。
まさか米洗って、炊飯器入れて、ボタンを押すだけとは。なんだか知らなかった自分に羞恥心を感じ始める。
「ごちそうさまでした。――ね、簡単だったでしょ? 慣れてくれば工夫して、自分好みのチャーハンを作っていけばいいんだよ」
今回作ったネギチャーハンだが、具材としてはネギとベーコンを刻んで入れただけで、味としては一般的なものを作った。
しかし、自分で料理したからだろうか。なんとなくコンビニのチャーハンより美味しいと感じる。
まあ、ほとんど仲山が作るのを見ていただけなのだが、俺はというとネギやベーコンを刻んで、後は何もしていない。
だから美味く出来てるのは当然っちゃあ当然だ。
「だいたいチャーハンを作る流れは分かったと思うから、後は本とか読みながら作っていけば三浦君だけでも上手に出来ると思うよ」
「ああ、今度一人で作ってみるよ。その前に調理器具を揃えないとな……」
仲山家の食卓で向かい合いながら自作のネギチャーハンを平らげた俺達は、仲山の持って来てくれた麦茶で喉を潤しながらゆっくり寛いでいた。
料理も教えてくれた事だしそろそろ帰った方がいいだろうか? いくら友達とはいえ、女子の家に長居するのも気が引けるし、あまり話す事もないしな。
「それじゃ、そろそろ帰るよ。今日はありがとな」
食卓の椅子から立ち上がり、千野にお礼を述べる。
「う、うん。なんかごめんね。あんまりおもてなし出来なくて……」
なんだかそんなに申し訳なさそうに言われると俺の方も申し訳なく思えてくる。
「いや、気にするなって。料理するのも楽しかったよ。また今度、他の料理も教えてもらいたいくらいだ」
実際にいい勉強になった。逆に初歩的な事まで教えてもらったこちらの方が申し訳ない。
「うん! ぜひまた来てね! それじゃ少しだけ送ってくよ」
また来るとフォローしたのが余程嬉しかったのか仲山は嬉しそうな顔で玄関へと誘導してくれる。
仲山が先導し玄関を出て、すぐ目の前にある門扉を通り抜けようとすると――。
「きゃっ!」
「わわわ、ご、ごめんなさい!」
どうやら門扉を通り抜けた直後に少年とぶつかってしまったようだ。
「おい、大丈夫か?」
「私は大丈夫だよ、ちょっとぶつかっただけだから」
仲山の言うとおり、少年は全力ダッシュしていたわけではなく、ランニング程度に駆けていただけなので怪我の心配もいらない様子である。
「ほ、ホントにごめんなさい! ちょっと余所見しちゃって」
仲山にぶつかってきた少年は、ぺこぺこと謝り倒してくる。身長も小さく、顔立ちも幼いし小学生くらいだろう。
その少年に対し、仲山は中腰で目線の高さを少年に合わせると、少年の頭を撫で優しく微笑みかける。
「大丈夫だよ。あなたもどこか痛い所ある?」
さすがに小さい子供にまでは敬語は使わないんだな。『あなたも』っていうあたり言葉の丁寧さは抜けないみたいだが。
少年から話を聞いてみると、なんでも鯉のぼりを探しているらしい。
「鯉のぼり?」
「うん! 子供の日には鯉のぼり上げるんだって良く聞くから見てみたいんだけど……。僕んち鯉のぼり持ってないし、だから鯉のぼり探しながら走ってた!」
「鯉のぼりか、そう言えば今日こどもの日だよな、でもその割にはあんまり鯉のぼり揚がってないよな」
あんまりと言ったが、少なくとも仲山家周辺では一匹も泳いでいない。この時期は地元だと至るところで鯉のぼりが揚がっている。子供のいる家はどこも揚げてたしな。
都会の街と地方の田舎。双方は俺が思っていた以上にいろんな事がかけ離れている。
それは環境であったり、文化であったりするのだが、俺が一番田舎との違いを感じるのは人間関係である。
田舎の友達は友好的な奴ばかりで、口数が少なかった俺は周りの連中に散々引っ張り回されていた。でもそれが嫌というわけではなく、退屈そうに相手をしながらも今日はどこへ連れて行ってくれるのか? などと少し楽しみでもあった。
しかし、今の俺のクラスメイト達は、それこそ気軽に挨拶を交わしたり、休み時間に喋ったりするのだが、言ってもそれくらいである。部活なんかを抜きにしてもそうだ。
別に俺自身が寂しい訳ではないので別に構わないのだが、クラスの連中からは、線引きをされて、そこから先には踏みこませない壁みたいなものを感じる。
田舎から出て来ている所為で都会との差に敏感になっているのかもしれないな。
現に仲山に関してはもう家まで来ちゃってるし……。
「あ、そうだ!」
と、俺が田舎と都会のギャップについて考え込んでいる間に、仲山は何かを閃いたらしい。
「私の亡くなったお爺ちゃんがね、知り合いから貰ったらしい鯉のぼりが家にあるんだけど、よかったら見てみる?」
「え、ほんと!? 見たい見たい!」
仲山の提案に、少年は純真な欲求を抑えられず、目を輝かせている。
「せっかくだから三浦君も見ていかない? 鯉のぼりなんて結構レアかもしれないよ?」
俺の地元に行けばたくさん見れるんだがな。
どの家も子供が大きくなっていけば鯉のぼりが蔵から出てこなくなってくるのが必然なのだ。この仲山家もおそらくその部類だろう。
「そうだな、それじゃお言葉に甘えて」
まだ昼過ぎだし、この後特にやることもないしな。
仲山家の前を走って通り抜けようとした少年の出現により、俺は再び鯉のぼりを見るため仲山家にお邪魔することとなった。
「お姉ちゃーん! 鯉のぼりってどこにあったっけ?」
仲山は家に帰って早々、仲山姉を呼び出す。
ご両親は不在なのだろうか? まあ俺が気にしても仕方ないか。
「鯉のぼり? 何でそんなもの? っていうかあんたまだ帰ってなかったの? さっさと帰ったら?」
二階から降りてきた仲山姉は、鯉のぼりの所在について聞かれ怪訝そうな顔をした後、未だに家に居座っている俺に対し、悪態をついてくる。
一度は帰ろうとしたんですけどね。すんません。
「もう、三浦君は大切な友達なんだからいいでしょ! それよりもこの子が鯉のぼりが見たいんだって! 家にお爺ちゃんから貰った鯉のぼりあったよね?」
仲山が俺を庇ってくれた事に些細な優しさを感じてしまう。
仲山姉は、少年の頭を撫でながら母性溢れる笑顔を浮かべた。
「おー、少年。鯉のぼり見たい? 今すぐ持ってくるから庭で待っててね」
少年に対しては温厚な性格であるようだ。……俺に対しては?
「うん、わかった!」
仲山姉に言われ俺達三人は、一旦玄関から出て、庭へと移動する。仲山家の庭は俺が思ったよりも結構広く、子供一人が走り回れるくらいのスペースがあった。
仲山家のリビングの見える窓の下には濡れ縁があり、そこに俺と仲山が少年を挟むように三人並んで腰を下ろす。
「庭で待ってろって言われたけど、ここで鯉のぼり見るのか?」
普通はベランダにポールを立てて、そこに揚げるんじゃなかったか?
「庭に広げて見せようとしてるんじゃないかな?」
「こっいのっぼり! こっいのっぼり!」
少年は早く鯉のぼりが見たくてしょうがないらしい。俺と仲山の間で無邪気にはしゃいでいる少年が眩しいくらいに輝いている。
「はいはい、お待たせ。ちょっと待っててね~」
リビングに通じる窓から出てきた仲山姉は、白地の布袋から綺麗に畳まれた一匹の鯉のぼりを取り出す。スリッパを履いて庭へ出ると、整えられた芝生の上に鯉のぼりを広げた。
「おー! 鯉のぼりだ! テレビで見た事ある!」
仲山姉の広げた鯉のぼりを見て、少年は感動を隠しきれず興奮している様子だ。その少年と一緒に仲山も鯉のぼりに見入っている。
「私もちっちゃい時以来だよ。懐かしいなぁ」
「そうなのか? 俺は去年も見たんだがな」
「そうなんだぁ! 鯉のぼりを見ると、昔の頃を思い出さない?」
あぁ……思い出すよ。いや、思い出してしまうな。地元にたくさん揚がっていた鯉のぼりを。あの頃に戻れたら、なんて良く言うけど、今の俺がそうだ。
戻れるなら俺をあの頃に戻してくれよ。何も考えずに野球をしてたあの頃まで……。
「あんた、反応薄いわね~。千野? やっぱりこいつ性根が腐ってるから付き合うならもっと別の男にしなさい。っていうかあんたまだ帰って無かったの?」
仲山姉に批判されてしまった。不意に対抗心が芽生えてしまい、大げさに振る舞う事にする。
「この鯉のぼりすっげーなおい! 仲山こんな鯉のぼり持ってたのかよ! 俺ってついてんなぁ!」
「あ、あはは。どうも……」
半ばやけくそに仲山を褒めちぎる。でもよく考えたらそんなに頑張る事も無いのか? 別に付き合いたいわけでもないんだから。
「本当は高く揚げたのを見せてあげたいんだけどちょっと時間かかっちゃうから。ごめんね」
仲山姉は少年に顔の前で手を合わせて謝る。
「ううん、見れただけでも嬉しいよ! お姉さんありがとう!」
「まあ! なんてできた子なの! それに比べてこの男は千野に近づこうとして。って言うか鯉のぼり見たんならさっさと帰んなさいよ」
「俺……お姉さんに何かしましたか?」
そろそろ俺の心は壊れてしまいそうだ。 涙が出て来そうなのを必死に我慢する。
少年と仲山は鯉のぼりの傍に座りこんでいろいろ観察しているようだ。
「この鯉の色は黒だよね? 黒色の鯉は真鯉って言ってね、家族の中でお父さんを表していて鯉のぼりを揚げる時は必ず一番上にこの真鯉が揚がるんだよ」
「へ~そうなんだ~。それじゃあ黒以外にもいろんな色の鯉がいるの?」
仲山が少年に鯉のぼりについて教えている。少年も興味身心といった感じで仲山の説明に聞き入っていた。
縁側で鯉のぼりの勉強会を眺めている内に、隣に仲山姉が腰を下ろす。
「ねえ、あんたと千野が友達になったきっかけ。教えてよ」
「え? あ、はい」
いきなりどうしたんだろうか? さっきまで俺の事を仲山に集る害虫の様に見ていたのに。
「もし、あんたが本当に千野の友達として付き合ってるんだったら私だって応援したいのよ。あの子、中学とかじゃあまり友達いなかったみたいだし、あんたがあの子に仲良く接してくれるならそれに越したことはないわ」
姉として、妹の事を心配するのは当たり前だろう。でも、連れてきたのが男だったから警戒してしまったという事だろうか?
「わかりました。仲山と仲良くなったのは、まあ偶然が重なった結果でしょうか」
「ちょっと待ちなさいよ。ここは仲山家なんだから苗字じゃなくて名前で言ってくれない?」
確かに、ここの一家はみんな仲山なのか。よし、名前で呼ぶ事にしよう。
「あぁ、そうですね、それでは。放課後に俺は千野が無くしたノートを見つけて、千野は俺が無くした鍵を見つけたんです。それでお互いに助かったから、お互いに願い事を一つ叶える。という約束をして、千野の『友達になってください』という願いで俺達は友達になりました」
千野というのはなんか違和感があるな。普段は苗字呼びだしな。
「ん~なるほど。あの子から友達になってくださいと。あんたから近づいてきた訳じゃないのね」
そんなに仲山姉の目には俺が変態に映っていたのか?
「というより、最初に友達になってくださいと言う戦法はノートに書いてあるお姉さんのアドバイスらしいですが?」
「確かにそんな事を言った記憶あるわね。私の考えではとりあえず友達になるきっかけを作ってそこから仲良くしていけばいいと思ったんだけど」
やはり俺の考えた通りだった。気の強い仲山姉ならではの友達の作り方であろう。
「もっと気の弱そうな女の子を標的にすればいいのに、なんで男にしちゃうのかな? まああんたは別に下心があるわけじゃないのよね?」
女の子を標的にするって、仲山姉は仲山に何をさせようとしているのか?
「当たり前です。まあ、これから女子の友達作っていけばいいだけですし、男だってそんなに悪い奴ばかりでもないと思いますよ」
「そうね、まあ話を聞く限り、特に性欲がお盛んな狼ってわけでもなさそうだし、今後も妹をよろしく……と言いたいところなんだけど、最後に一つ」
よかった。仲山姉の俺に対する悪い印象がなんとか払拭された。などと気を抜いていたのだが、まだ何か質問があるらしい。
「さっき、お互いにお願い事を叶えるって言ってたわよね? あんたも何か千野にお願いしたんでしょ? 何をお願いしたの?」
おっと、さすがは仲山姉、俺的にもさらりと流したかったポイントを見逃してはくれない様だ。まあ、別に隠してる訳でもないから仲山にも聞いてみたんだし。この際、仲山姉にも聞いてみようか。
「俺が仲山にお願いしたのは、俺はどんな奴に見えるか? と言う事です。お姉さんからは俺はどんな奴に見えますか?」
「は? どんな奴?」
仲山姉に、こいつ大丈夫か? という憐れみに満ちた顔で眺められる。
無理もないだろうな。一つだけ願いを叶えてくれるって言われてどこにそんな質問を投げつけてくる奴がいるのだろうか? 逆に怪しい。
そうだ。という意味を込めて俺は頷いた。
「私からしたら最初は千野に近づいてきた悪い虫って感じかしら。そういう風にあなたが見えたわ」
仲山と仲山姉の意見は全く逆だな。性格の面ではあまり似てないのかもしれない。
「まあ、千野と仲良くしてくれるならそれに越したことはないわよ。家に来るくらいなら……まあ許容してあげるから」
「それは……どうも」
これからは何の気兼ねも無く仲山家に来る事が出来る! とは言うものの、正直また来るかどうかがまず怪しい。仲山ももしかしたら、他にも友達を作って俺とは関わらなくなってくるかもしれないんだしな。
再びこの家に来る事が果たしてあるのだろうか? そう思うと一抹の寂しさが風の様に俺の心の中をよぎっていった。
鯉のぼりの勉強会も終わり、満足げな顔の少年と、少年を暖かな眼差しで見ている仲山が、俺と仲山姉の前に立つ。
「今日はありがとうございました! またいろいろと教えてね! お姉ちゃん!」
「うん。またいつでも見に来てね!」
庭に広げた黒い鯉のぼりを俺と仲山姉が片付け、布袋へと仕舞う。少年は自分の家に帰るみたいだ。鯉のぼりも見た事だし、俺も今日は帰る事にしよう。
「それじゃ千野、俺も帰るよ」
「え?」
仲山はあっけにとられた顔で見つめてくる。何故だか顔が紅潮しているようにも見てとれた。もしかして熱でもあるのか?
「あ、あの……千野って?」
「あ」
千野の疑問に俺も気付く。さっきの仲山姉との会話で癖が付いてしまったらしいな。いかんいかん。
「いや、すまん。さっき仲山のお姉さんと話しこんでてさ、名字だとお前かお姉さんか分からないだろ? だから名前で呼んでたんだ。苗字呼びに戻すからあまり気にしないでくれ」
「別に名前で呼んでいいよ! だって私達……友達なんだし!」
言い間違えた事に少し恥ずかしい思いをしながら、訂正しようとすると仲山は俺の目の前にずんっと顔を近づけて必死に俺の間違いを受け入れようとしてきた。
「別にいいんじゃないの? それに私とだってまた会うかもしれないじゃない、私の事も名前で呼びなさいよ」
「お姉ちゃん?」
どうしようかと悩んでいたら仲山姉が名前で呼ぶ事を勧めてくる。何故だ?
「まあ、気づいてるとは思うけど、私も学年一個上なだけだからまた会う機会もあるでしょ? 仲山じゃ私と千野で区別つかないからさ」
「ま、まあそうですね」
確かにそれだと、二人同時に学校で遭遇する機会もあるかもしれないな。というか仲山姉は俺達の一個上だから二年生なのか、よく考えてみればそれもそうだ。でも仲山よりも結構大人びて見えたから三年生か、もしくはもう卒業しているのかと思っていた。
でもそれでいいのか? と多少疑問に思ってしまう。名前で呼び合うなんて距離が近すぎるような気がする。仲山姉の方はあまり会う事も無いだろうし、俺の方から名前を呼ぶ機会も少ないだろうが、同じクラスである仲山を名前で呼ぶという事は、もしかすると変な勘違いをする連中が出没しだすかもしれない。
少々不安だが、俺からはあまり仲山の事を呼ばない様に気をつければいいだけか。
「わかりました。じゃあ千野、またな。千草さんも今日はありがとうございました」
「うん! 優一郎君もまたね!」
あれ? もしかして名前で呼ばれるのは俺も同様なわけ?
少々の不安が多大な心配へと変換される。頼むから俺の名前を連呼しないでくれよ。
「ああ、そうだ。最後に」
別れの挨拶を済ませ仲山姉妹に背を向けて帰ろうとすると、千草さんから声をかけられた。
「最初はあんたが千野に近づく変態って思ってたよ」
なんでしょうか。千草さんはまだ俺の心を抉り足りないんでしょうか?
「でもあんたと話してみて、ホントに僅かだけどさ」
腕を組みながら真剣な眼差しで俺の事を見据え、先程までの軽い冗談を言うような雰囲気をどこかへ吹き飛ばしてしまったかのように、俺に告げる。
「あんたは何かに怯えてるように見えた」
「――えっ?」
一瞬だけ鼓動が激しく脈打った。まるで千草さんに自分の何もかもが見透かされてしまったかのように錯覚してしまう。
「あんたからの質問に真面目に答えてやろうと思ってね。まあ私の勘違いかもしれないから参考程度にしなさい。――それじゃ」
千草さんは掌を俺の方に向け別れの挨拶とし、自分の家に帰って行った。千野は姉の発言がよくわからなかったのだろう。頭の上に疑問符を浮かべている。
「んー? お姉ちゃんと何があったかよくわからないけど、今度こそまたね! 優一郎君!」
「あ……ああ、またな」
千野もこちらへと手を振り、再度別れの挨拶を述べ、家へと帰って行く。二人が家に帰って行ったあと、俺はゆったりとした足取りで帰路に就く。
千草さんの俺の質問に対する答え。
『あんたは何かに怯えてる様に見えた』
仲山家に上がり込んだ俺の事を未だ蔑んでいるだけかもしれないけど――。
もしかしたら、地元にはたくさん揚がっていた鯉のぼりを見て、思い出したくない過去を必死に心の奥底へ押し込もうとする俺の弱さが。
――千草さんには見えていたのかもしれない。




