第4話 竜王様のお名前を、知らずに呼んでいました
レオニス様は、花に触らなかった。
覆い越しに青い釣り鐘を眺め、少し困ったように笑った。
「いい花だ。だが、今晩のうちに庭へ移そう。音で眠れないかもしれない」
「音が、聞こえるのですね」
「この草には、熱に応じて鳴る性質がある。私の魔力が、君の育てた花とよく合うらしい」
呪いではなかった。
私は肩の力を抜き、鉢の下へ皿を置いた。
彼が自分で持つと言ったので、私は覆いの留め具を確かめた。
二人で庭へ出る。
夜の水路から、温かい空気が上がっていた。
「国へ戻れない理由を、明日話します」
「私も、同席していいだろうか」
私は頷いた。
ここまで連れてきてくれた人にだけは、先に話したかった。
翌朝の部屋には、役人と、通訳を兼ねる書記がいた。
私は自分の名と、伯爵家のことを話した。
薬園での仕事。王太子との婚約。休職と、婚約を終えたいという申し出。
役人が顔を上げた。
「王太子の婚約者なのですね」
「終えたいと言いました。まだ、終わっていないのかもしれません」
言ってから、自分の手を見た。
婚約の名前がついている限り、私の行き先も殿下が決めるものだと思ってしまう。
役人は、本人の希望をもとに外交の窓口へ確認すると言った。
いますぐ王都へ送り返す話にはならなかった。
処刑の夢のことも、話した。
証拠にできるとは思わない。でも、危険を感じる理由にはなる。
胸元の割れた石を見せると、レオニス様が息を止めた。
「それを、どなたから」
「母です。母の祖母から受け継いだそうです」
彼は、古い竜の石かもしれないと言った。
専門の方へ確かめてもらうことになった。
私はそれを預け、受け取りの札をもらった。
話が終わると、役人が立ち上がった。
レオニス様へ、陛下と呼びかける。
私は、一度瞬きをした。
「陛下?」
役人がこちらを向き、彼を見る。
当の彼は、少し気まずそうだった。
「最初に名乗るべきだった。私は、この国の王だ」
私は立ち上がろうとして、椅子の脚を鳴らした。
王様に、種を売ってお代を払うと言った。
屋根より高いところは無理だとも言った。
さっき庭へ、薬草の鉢まで運ばせた。
「も、申し訳ございません」
「鉢は重くなかった」
「そういうことではありません」
彼が小さく笑った。
私は笑えなかった。レオニス陛下と呼び直すと、彼はわずかに目を細めた。
「診療所では、今までの名で構わない。君がやりにくくなければ」
私は役人の顔を見た。
その方は、王を蹴らなければ大体許されるという顔で頷いた。
そんな決まりは口に出していない。
でも、私にはそう見えた。
午後、庭でネラ先生に会った。
青灯草が鳴いたことを話すと、先生はため息をついた。
「あの子が花を見て立ち止まるのは、珍しいわね」
「あの子、ですか」
「小さいころから面倒を見てきた王を、急に大きく呼べないでしょう」
先生のほうが、王よりずっと年上だった。
レオニス様はまだ三十一歳だという。竜族は長く生きるが、大人になる速さは人とそれほど違わないらしい。
その晩、温室の水路が少し冷えた。
リタさんが留め具を確かめ、山のほうを見た。
上の塔に黒竜が降りる。王の姿だった。
次に水路が、元の温かさを取り戻した。
「火脈へ、魔力を足しているの」
彼女が言った。
町を温めているものにも、足りなくなることがある。
私が庭で見た王は、自分の息まで冷たくしながら、誰かの眠る部屋を温めていた。




