第2話 亡命先には、竜の診療所がありました
馬車の屋根は、最初から畳まれていた。
子竜が息をしやすいようにと思ったのは、半分だけ正しかった。
北門を出ると、レオニス様は外套を御者へ渡し、私に大きな肩掛けを差し出した。
「高いところは、平気か」
「梯子でしたら」
「もう少し、高い」
私は、竜の国の使者だという言葉を思い出した。
次の瞬間、彼の姿が黒い光の中へ沈み、大きな竜になった。
馬より大きい、などという話ではない。馬車を二つ並べても、首の付け根ほどしかない。
子竜の母親も、細身の黒竜へ変わった。
「私はサーヤ。この子はククです。助けてくれて、ありがとう」
そう言って、彼女は人の姿へ戻った。
幼い子を支えるのは、こちらのほうがよいらしい。
二人で背へ乗ることになった。
革の帯を、私の腰と鞍に留める。子竜は母親の腕の中。
「国境を越える。君が望まないなら、宿までにする」
レオニス様の声が、下から響いた。
私は黒い鱗に手を置いた。
「越えてください。私は、王都へ戻りたくありません」
竜が振り返った。
大きな金の目に、自分の顔が小さく映っていた。
理由を今ここで話せとは、言われなかった。
飛び立つとき、空気が重くなった。
次に、足の裏から石畳が消えた。
王都の屋根が、箱の蓋のようになる。
私は息を止め、帯を握った。
サーヤさんが、肩へ手を置いてくれた。
「目を閉じても、落ちません」
だから、目を閉じた。
遠くで、ククがもう一度、あおい、と言った。
午後には山を越え、ヴェルナへ着いた。
竜の国。怖い岩の城を想像していた。
実際に見えたのは、斜面に階段のついた町と、湯気を上げる水路だった。
屋根の上に竜が寝ていて、屋台からパンの匂いがする。
人間も歩いている。角や鱗のある人も、ない人も。
降りた場所は、町の上の診療所だった。
白髪をひとつに束ねた女性が出てきた。
私の手と、ククの脚を順番に見る。
「青灯草の外用ね。まず、飲ませなかったのはよかった」
竜医長のネラ先生だった。
子竜は冬鱗がうまく開かず、内側に熱を溜めているという。
先生は別の薬を用意し、母親に確かめながら少しずつ飲ませた。
脚に置いた葉は取り替え、翼を支える台の高さを直した。
私は道具を渡し、何をどこで使ったかを話した。
ククの呼吸が、ゆっくりになった。
私の袖を握る力も弱くなったので、怖くなって先生を見た。
「眠ったのよ。今度は、よい眠り」
膝から力が抜けた。
私は椅子に座り、子竜の胸が上下するのを見ていた。
レオニス様は、人の姿へ戻って部屋に来た。
私の肩掛けを外し、椅子の背へ掛ける。
「泊まる場所が必要だろう」
「はい。お代は、お支払いします。種を売れば」
言ってから、鞄を抱えた。
自分で育てた種まで売ったら、次の薬を作れなくなる。
先生が、私の鞄を指した。
「まず、種はしまっておきなさい。薬園に空き部屋がある。泊まるなら、今日した処置を私にもう一度説明して。それが今晩の仕事」
レオニス様が頷いた。
「滞在の手続きは、明日でいい」
今日の仕事が、一つできた。
王都では、毒草しか育てられないと笑われていた。
ここでは、その毒草を見せてよいと言われた。
部屋へ案内されたとき、私は窓を開けた。
冷たい山の空気の中に、土と湯気の匂いがある。
鞄から青灯草の種を一つ取り出し、小さな鉢へ置いた。
指から魔力を流す。
土の表面に、青い芽が出た。
毒のある、私の得意な芽だった。
私はその前に座り、やっと、まだ生きていると思った。




