第1話 処刑台より、熱のある子竜
処刑台には、花が咲いていなかった。
王宮の薬園なら、冬でも何かを咲かせられる。けれど私の魔法で育つ花は、どれも毒がある。
だから、せめて最後に一輪、とも言えなかった。
毒を盛り、聖女を害した罪。
元婚約者のカシアン殿下が読み上げたその言葉を、私は聞いていた。
盛っていないと、何度も言った。
聖女様の熱を下げるための薬だったと、何度も。
誰も聞かなかった。
刃が光り、私は息を止めた。
目を開けると、枕が濡れていた。
自分の首を掴む。ある。呼吸もできる。
窓の外には、王都の朝の鐘が鳴っていた。
部屋の暦は、霜月の十三日。夢の処刑場で、刑吏が読み上げた日付より三か月前だった。
「ユリア様。朝のお茶を」
侍女が入ってきて、机へお茶を置いた。
私の手がその取っ手へ向いた瞬間、彼女の指が滑った。
白いカップが割れる。机の右側へ、三つの大きな欠片。
夢の始まりと、同じだった。
私は胸元の石に触れた。
母からもらった、小さな乳白色の飾り。真ん中に亀裂が入っている。
昨日まではなかった。
偶然でも、悪夢でも、私はもう、殿下の言いつけを待ちたくなかった。
午前のうちに、薬園の仕事を引き継いだ。
種は自分のものだけ持っていく。王宮の温室も、備品も、置いていく。
医官に休職を申し出ると、毒草係がいなくても困らないと言われた。
カシアン殿下のもとへも行った。
婚約を続けられないと告げると、彼は顔を上げた。
「リリアが現れたから、拗ねているのか」
聖女リリア様。春に王都へ来た、光の魔法を使う女性。
私は彼女と話したことが、ほとんどなかった。
彼女のために薬園を縮小すると言ったのは、殿下だ。
「拗ねているわけではありません」
「ならば、一度実家へ帰れ。冷静になれば、父親と一緒に詫びに来るだろう」
私は頭を下げた。
許可を待つと、父は私を王宮へ戻すだろう。伯爵家は王宮の薬草の納入に頼っている。
母には短い手紙を残した。
生きるために、少し遠くへ行きます。
詫びに行くための馬車には、乗らなかった。
王都の北門へ向かう途中、市場に人だかりがあった。
最初は、見ないつもりだった。
でも、石畳の上に落ちた小さな翼を見て、足が止まった。
黒い子竜だ。犬ほどの大きさで、胸が早く動いている。
そばにいる女性が、布で包もうとしていた。
「触るな、魔物だぞ!」
誰かが棒を出した。
私は、人の輪へ入った。
「熱があります。棒を下ろしてください」
「人を噛むかもしれない」
「噛めるほど元気ではありません」
女性が顔を上げた。
額の脇に、黒い鱗がある。竜の国から来た方だった。
薬師だと名乗り、触ってよいか尋ねた。
彼女は頷いた。
子竜の口元に、白い泡が少し出ている。足は冷たいのに、翼の根元が熱かった。
人間用の解熱薬を出しかけ、手を止めた。
同じ熱なら、同じ薬でよいわけではない。
「いつからですか」
「今朝、宿を出てから。冬鱗への交換が始まったばかりで」
私は鞄から、青灯草の乾いた葉を出した。
竜医の書いた本に、幼い竜の鱗の交換を助けるとあった。人には毒のある草だ。
すぐ飲ませるのではなく、女性に見てもらう。
「この子が前に使った薬に、入っていましたか」
「はい。その草です」
瓶の水で葉を湿らせ、冷たくなった脚の付け根に薄く置いた。
母親はそのまま翼を支え、私は人垣の影を避けてもらった。
子竜が細く鳴いた。
「あつい」
言葉だった。
私は目を伏せ、翼の根元に触れないよう、外れかけた鱗を指で確かめた。
「わかっています。少しずつ、楽にしましょうね」
人垣が割れた。
黒い髪の男性が来た。長い外套の下から、金色の目が子竜を見ている。
女性が、レオニス様と呼んだ。
彼は膝をつき、私へ言った。
「君が、その薬を持っていたのか」
「はい。まだ、これだけで治ったとは言えません。竜医の方へ連れていってください」
彼は頷いた。
「君も、一緒に来られるだろうか」
北門の鐘が鳴った。
私は荷馬車の切符を握っていた。国境へ行くために、初めて買ったものだ。
子竜の前脚が、私の袖を掴む。
「はな、あおい」
私は切符を鞄へ戻した。
逃げる途中なのに、熱のある子を置いては行けなかった。




