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4/7

第四話 黄色い傘

物が一つ増えただけなら、


たぶん、見間違いで済ませられる。


問題は。


家族まで、それを昔からあったと言い始めた時だ。

朝から雨だった。



窓を細かく叩く雨音で目が覚めた。


時計を見る。


いつもの時間。



昨日の夜。


スマートフォンに保存された卒業写真へ、一瞬だけ現れた赤い靴。



朝になって確認しても、写真は元のままだった。


昭和四十三年度。


三年二組。


神谷千鶴。


そして、その隣にある不自然な空白。



赤い靴はもう写っていない。



「……ほんと、何なんだろ」



スマートフォンを伏せる。



考えても答えは出ない。



メアへ聞いても、たぶん。



『知らない』



と言う。



それが嘘ではないことも、少しずつ分かってきた。



     ◇



玄関を出る前。



母が傘立てから一本の傘を取り出した。



「今日これ使い」



黄色い傘だった。



「私の?」



「前からあるでしょ」



「こんなのあったっけ」



「あるある。透明のやつ、この前骨曲がったって言ってたじゃん」



「ああ……」



そうだった。



普段使っているビニール傘は、先日の風で一本骨が曲がっていた。



黄色い傘は昔使っていたものらしい。



持ち手には小さな傷。


黄色い布地も、少しだけ色褪せている。



「子どもっぽくない?」



「雨に濡れるよりマシ」



「まあいいけど」



開いてみる。



何の変哲もない傘だった。



黄色。



ただそれだけ。



私はそのまま学校へ向かった。



     ◇



雨の日の学校は、いつもより少し暗い。



教室の窓には水滴。


廊下には濡れた靴の跡。



昇降口の傘立てには、色も形も違う傘がぎっしり並んでいた。



自分の黄色い傘は目立つ。



間違えることはなさそうだった。



一限目。



二限目。



昼休み。



昨日みたいに図書室へ行くこともなかった。



神谷千鶴について、もう少し調べたい気持ちはある。



でも。



毎日怪談のことばかり考えているのも変な気がした。



だから今日は何もしない。



普通に授業を受けて。


友達と話して。


帰る。



夜の学校にも行かない。



そう決めた。



「最近さ」



昼休み。



向かいに座っていたクラスメイトが言った。



「何?」



「お前、三階の西側よく見てない?」



箸が止まる。



「見てないけど」



「昨日も窓から見てたじゃん」



「たまたま」



「赤靴さん?」



「違う」



「絶対そうじゃん」



笑われる。



私は弁当へ視線を戻した。



「今日行けば?」



「行かないよ」



「雨の日って出そうじゃない?」



「その発想、小学生みたい」



「怖いんだ」



「別に」



「じゃあ行けばいいじゃん」



「なんで行く前提なの」



相手が笑う。



私も笑った。



普通の昼休みだった。



     ◇



放課後。



雨はまだ降っていた。



昇降口へ行く。



傘立てから黄色い傘を探す。



すぐに見つかった。



一本。



持ち手の小さな傷も同じ。



手に取る。



その時。



隣にいた生徒が言った。



「それ目立つね」



「でしょ」



「なくさなそう」



「逆に恥ずかしいけど」



傘を開く。



校門を出た。



黄色い布越しに見る空は、少し明るかった。



雨粒が傘を叩く。



ぱらぱら。



ぱらぱら。



コッ。



足が止まった。



振り返る。



誰もいない。



「……」



違う。



今のは。



傘に大きな雨粒が落ちただけだ。



私は歩き出した。



コッ。



また。



今度は二回続かなかった。



パ、もない。



ただの雨音。



そう思う。



今日は行かない。



学校へ戻らない。



そう決めたんだから。



     ◇



午後七時四十三分。



私は家にいた。



夕飯を食べていた。



テレビでは天気予報。



明日の朝には雨が止むらしい。



「明日傘いらんな」



父が言う。



「よかった」



私は答える。



黄色い傘は玄関。



普通の夜。



スマートフォンを見る。



19:44。



いつもなら。



あと十六分。



考えてしまう。



八時。



三階西側。



メア。



「今日も来たんだ」



たぶん。



行けばそう言う。



でも今日は行かない。



毎日会う必要なんてない。



そもそも。



相手は怪異だ。



私は何を普通の友達みたいに考えているのだろう。



「何ニヤニヤしてんの」



母に言われた。



「してない」



「してた」



「してないって」



私はご飯を食べる。



時計を見る。



19:51。



見ないようにする。



19:56。



また見る。



20:00。



何も起きない。



当然だ。



学校じゃない。



メアもいない。



白い輪もない。



赤い靴もない。



私は少しだけ。



本当に少しだけ。



物足りないと思った。



     ◇



午後八時十三分。



玄関の方で音がした。



ガタン。



何かが倒れたような音。



母が台所から顔を出す。



「何?」



「見てくる」



私は立ち上がった。



玄関へ行く。



何も倒れていない。



靴。



傘立て。



荷物。



全部いつも通り。



「何もないよ」



奥へ声をかける。



「じゃあ外かな」



「たぶん」



戻ろうとして。



私は立ち止まった。



傘立て。



黄色。



一本。



今日使った傘。



その隣。



黄色。



「……え?」



もう一本あった。



同じ黄色い傘。



二本。



並んでいる。



私は近づいた。



今日使ったものはどっちだ。



右。



左。



両方とも同じ形。



同じ色。



持ち手。



右側の傘には傷がある。



今日見たものと同じ。



左にはない。



「お母さん」



呼ぶ。



「何ー?」



「ちょっと来て」



「今手離されへん」



「黄色い傘って何本ある?」



台所から返事。



「二本やろ?」



息が止まった。



「……二本?」



「そう」



「前から?」



「前から」



私は二本の傘を見る。



「誰の?」



「一本あんたので、もう一本……」



そこで声が止まった。



「もう一本誰の?」



「え?」



「だから、誰の傘?」



母が台所から顔を出した。



「何?」



「黄色い傘」



「ああ」



玄関を見る。



「二本あるやろ」



「それは見たら分かる」



「じゃあ何?」



「誰の?」



母は口を開いた。



止まる。



「……」



「お母さん?」



「何やったっけ」



笑った。



「まあ昔からあるやつやろ」



「誰が使ってたの?」



「知らん」



「知らんのに昔からあるの?」



「そんな傘一本一本覚えてないって」



そう言って、台所へ戻っていった。



私は玄関に残った。



二本。



黄色い傘。



右。



左。



同じ高さ。



同じ形。



一本は持ち手に傷。



もう一本は傷がない。



試しに左を持つ。



少し重い。



閉じたままなのに。



布が濡れていた。



「……」



今日は。



この傘は誰も使っていないはずだ。



私は傘を開かなかった。



そのまま元へ戻した。



     ◇



夜。



自分の部屋。



何度か玄関へ確認に行った。



黄色い傘は二本。



消えない。



母へもう一度聞いても。



「前から二本」



父に聞いても。



「そうやったんちゃう?」



はっきり覚えていない。



でも。



誰もおかしいと思っていない。



おかしいと思っているのは私だけ。



私はベッドへ座る。



スマートフォンを見る。



午後十時二十二分。



メアへ会いに行けば。



何か分かっただろうか。



いや。



『知らない』



と言う気がする。



それでも。



聞きたかった。



     ◇



翌日。



雨は止んでいた。



玄関へ降りる。



傘立てを見る。



黄色い傘は。



一本だった。



「……」



傷のある方。



昨日使った傘。



もう一本はない。



母が横を通る。



「何してるの?」



「黄色い傘」



「うん」



「昨日二本あったよね」



母が傘立てを見る。



「一つしかないけど」



「昨日は二本だった」



「そうやった?」



「お母さん、前から二本あるって言ってた」



「言った?」



「言った」



「勘違いちゃう?」



「誰の傘か聞いたら分からないって」



母は少し考えた。



「覚えてないなあ」



それだけ。



「急がんと遅刻するで」



台所へ戻っていった。



私は黄色い傘を見る。



一本。



普通。



持ち手の傷。



何も変わっていない。



傘の下を見る。



床は乾いていた。



     ◇



その日の夜。



午後八時。



私は学校にいた。



もう。



来ない理由を考えるのはやめた。



西側廊下。



今日は白い輪が七個。



一番奥。



メアがいた。



私を見る。



いつものように笑う。



「今日も来たんだ」



「来た」



私は輪を見る。



「今日は七個?」



「七個だね」



最初の輪へ入る。



何もない。



二つ目。



少し冷たい。



三つ目。



遠くで誰かが笑った気がした。



でも。



確認しても誰もいない。



四。



五。



六。



七。



最後まで進む。



今日は何も痕跡が残らなかった。



メアのところへ着く。



「ねえ」



「なに?」



「昨日、私来なかったでしょ」



「うん」



「何してた?」



「遊んでた」



「一人で?」



「うん」



普通の答え。



私は少し迷ってから聞いた。



「昨日さ」



「うん」



「黄色い傘使ってたんだけど」



メアが笑った。



「うん」



私は止まった。



「……なんで知ってるの?」



「黄色かったね」



「待って」



メアを見る。



「見たの?」



「うん」



「どこで?」



「分かんない」



「昨日、学校から出た?」



「出てないよ」



「じゃあどうやって見たの?」



メアは少し考えた。



「見えたから」



「どこに?」



「分かんない」



また。



知らない。



でも今回は。



少し違った。



「前は見えなかった?」



聞く。



メアは首を傾げた。



「前?」



「学校の外にいる私」



「うん」



「見えたことあった?」



少し考える。



「なかったと思う」



「じゃあ昨日から?」



「たぶん」



「何が変わったの?」



メアは廊下を見る。



白い輪。



私。



自分の裸足。



それから。



「前よりいっぱい見える」



と言った。



「いっぱい?」



「うん」



「何が?」



「あなた」



背中が冷えた。



「学校にいる私以外も?」



「うん」



「家にいるところも?」



「分かんない」



「昨日は何してるところを見たの?」



「歩いてた」



「どこを?」



「傘さしてた」



「それだけ?」



「うん」



メアは少し笑った。



「黄色、目立つね」



昼間。



昇降口で同じことを言われた。



『それ目立つね』



偶然。



ただの言葉。



なのに。



妙に嫌だった。



「メア」



「なに?」



「私の家、分かる?」



「知らない」



「家族は?」



「知らない」



「私が学校にいない時、ずっと見える?」



「ずっとじゃないよ」



「じゃあ、いつ?」



メアは困った顔をした。



「分かんない」



そこで。



私は質問をやめた。



分からないものを聞き続けても仕方がない。



メア自身も。



昨日初めて起きたことを、説明できないのだ。



「昨日ね」



私は言った。



「黄色い傘が家で二本になった」



「二本?」



「うん」



「増えたの?」



「たぶん」



メアは少し笑った。



「輪みたい」



「やめてよ」



「なんで?」



「嫌だから」



「そっか」



笑うのをやめた。



そして。



少しだけ考えて。



「増えるの、輪だけじゃないんだね」



そう言った。



それだけだった。



メアにも。



理由は分からない。



     ◇



その日は早めに帰った。



玄関。



黄色い傘。



一本。



変化なし。



部屋へ戻る。



鞄を置く。



何も起きない。



机。



ベッド。



本棚。



いつも通り。



私は少し安心した。



制服のポケットからスマートフォンを取り出す。



画面が点く。



通知が一件。



写真アプリ。



『一年前の今日』



自動で表示された昔の写真だった。



何気なく開く。



去年の同じ日。



家族で出かけた時の写真。



私は中央に立っている。



父。


母。



私。



背景には玄関。



傘立てが少しだけ写っていた。



黄色い傘。



一本。



「……」



拡大する。



一本。



やっぱり昨日の母の記憶がおかしかった。



そう思った。



画面を閉じようとする。



その時。



写真が一瞬だけちらついた。



もう一度見る。



黄色い傘。



二本。



「……え?」



目を離さない。



二本。



並んでいる。



右側。



傷のある傘。



左側。



もう一本。



昨日と同じ。



私は写真の日付を見る。



一年前。



そんなはずはない。



スクリーンショットを撮った。



すぐに確認する。



スクリーンショットには。



黄色い傘が一本しか写っていなかった。



元の写真へ戻る。



そこにも。



一本。



私はしばらく画面を見ていた。



それから。



玄関へ行った。



傘立て。



黄色い傘は一本。



その横。



何もない。



ただ。



傘立ての底に。



小さな水溜まりができていた。



黄色い傘は乾いている。



ほかの傘も乾いている。



雨は。



昨日の夜には止んでいた。



水溜まりの中央に。



白い粉が。



ほんの少しだけ浮いていた。

第四話を読んでいただき、ありがとうございます。


学校から出ていないはずのメアが、

初めて学校の外にいる主人公を「見た」夜。


同じ頃、家では黄色い傘が一本増えていました。


メア自身にも、なぜ見える範囲が広がったのかは分かりません。


学校へ近づいているのは主人公なのか。


それとも。


学校の方が、少しずつ主人公の日常へ近づいているのか。

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