小さな反抗
(貴方ね…知らないわよ)
(ごめんなさいペリ…でもお願い)
最初は嫌がって、怒られたけど、最後は根負けしてペリは私を乗せてくれた。
いつもフィリアが抱えて乗せてくれていたから、一人で乗るのは大変だったけど、ペリと心を通わせられたから、乗ることができた。
そして今も尚、私が振り落とされない速度で、伝えた森に向かってくれている。
(なんで急に無茶をするのよ!もう直ぐ陽が傾くのよ!)
(ごめんなさい…どうしても今行きたいの)
景色がゆっくり流れる中、ペリのお説教はずっと流れてくる。
(フィリア達に甘えて…自分で行動できなかったの…)
(今しかないって思ったの…)
そう言い訳するも、ペリは全く怒りを納めない。
(貴方ね!もう少し大人になってからか…フィリア達とでもよかったじゃない!)
(だって…)
そう苦しい胸の理由を、きっとペリは敏感に感じ取っている。
(…そういう所が子供なのよ)
とどめの一撃で完全に半べそになる私。
子供が一人で馬に乗っているのは、他者からみたら驚かれる光景だろう。
ペリは気を遣って人の気配が少ない道を選んでくれている。
最初に出会った時は、フィリアが支えてくれていたから、もう少し速度があったとしても、確かそう時間は掛からなかったはず。
記憶を呼び起こしながら、レンガの道から土の道へと移るのを確認して、森まであと少しだと確信した。
(…あーあ)
ペリが突然呆れたような深いため息のような言葉を吐いた。
(なに?)
(…知らないわ)
ブルルと鼻を鳴らしてからは、一言も話しかけてくれなかった。
(ここ?)
(ええ)
ペリが大きな岩の横で立ち止まる。その岩を使って、ひょいと飛び降りた。
(少しいった森の中よ)
(ありがとう…待っててくれる?)
(ええ、はやく行ってきなさい)
小走りで木々を抜けると、もう橙色だった空も半分以上藍色に飲み込まれつつあった。
(あった…え?)
間違いなくフィリアと初めて出逢った場所。木々の中にぽっかりと空いた空間。
季節は、たくさんの花が咲き乱れる春の季節。
同じ季節なのに、目覚めた時に咲き乱れていた花がそこには無い。
慌てて中央に向かい立ち止まる。
(花は?緑は?)
ただ、荒い土と大小の石が無造作に転がっている。
戸惑いながらも、試しに外套のフードを被り仰向けで寝転ぶ。
つい最近冬が通り過ぎたばかりで、風が頬撫でた時、一気に体温を持ってかれた気がして体が震える。
ゆっくり瞼を閉じる。
(お願い。樹木の夢を…見せて)
寒い、どんどん気温が下がっているのを感じる。
外套に包まれているとしても、顔が外気に触れているせいで、体が冷えていく。
寒い…
ふわっと意識が遠のく。
▽▼▽
白い霧の海の中。
その中心から、一本の大樹が天へ向かって伸びていた。果てしなく高く、空を突き抜けるように。
足元はやわらかく温かい。
無数の花が咲き、風に揺れながら、かすかに肌をくすぐる。
花の香りが満ちるその場所で、どこからともなく鳥のさえずりが響いていた。
――ここは、夢。
けれど。ただの夢ではないと、分かっていた。
ゆっくりと、閉じていた瞼を開く。
「……来れた」
小さく呟くと、胸の奥に溜まっていた緊張が、ふっとほどけた。
そのとき――
「こちらに来たくなったの?」
澄みきった声が、静かに響く。見上げた先。
大樹の奥から、確かにその声が届いていた。
「あ……」
私は一歩踏み出す。
「あの……貴方に、会いに来たの」
霧をかき分けるように、ゆっくりと大樹へ歩み寄る。
「嬉しいことを」
声が、少しだけ近づいた気がした。
「聞きたいことが……たくさんあって」
「なぁに?」
やわらかな声音。けれど、その奥には底知れない深さがあった。
歩くたびに、大樹はさらに大きく、さらに近く感じられる。圧倒的な存在。
それでも――不思議と、怖くはなかった。
「……貴方は、誰?」
足を止めて、問いかける。わずかな沈黙のあと。
「人々は、私を――エルディオンと名付けてる」
その名を聞いた瞬間、胸が微かに震えた。
「エルディオン……?」
「ええ」
静かな肯定。
その響きだけで、この存在がただの何かではないと理解してしまう。
「私は、どうして――」
言葉を重ねようとした、その瞬間。
強い風が吹き抜けた。花弁が舞い上がり、頬をかすめる。霧がざわめく。
「いいですか」
先ほどまでとは違う声だった。やさしさの奥に、はっきりとした意志が宿る。
「私に会える時は……貴方が危険な時だけ」
その言葉に、胸が強く鳴る。
「人の世界に居ては危険と判断した時、私は貴方を――ここへ導きます」
(え……?)
思考が追いつかない。
(私は、今……危険なの?)
(あの場所に行ったからじゃなくて……?)
視界が、ゆっくりと白く染まり始める。霧が濃くなる。世界が遠のく。
「待って!」
思わず声を上げる。
「私はどうして、十六になったら――」
その問いに、かぶさるように。エルディオンの声が響いた。
「気を付けて……」
一瞬の静寂。
そして――
「もうじき、彼奴が動き出す」
ぞくり、と背筋が震えた。その言葉を最後に、すべてが白に溶けていく。
体に微かな振動を感じて、瞼を上げた。
意識がはっきりしない中、視界には夜空が広がっていて、月夜に照らされた水色の髪が美しく靡いている。
(さっきまで寒かったのに…温かい)
安心する香りに、体温、はっきりしてくる意識に視界。
(え?!――フィリア?!)
体の振動は、私がフィリアに抱き抱えられながらペリに乗っているからだ。
片腕で支えながら、手綱を握り走るフィリアと視線が合った。
その瞳は一瞬大きく開けられたが、ゆっくり細く、鋭い視線に変わる。
外套とフィリアの上着に包まれているせいで心が聞こえない。それでも分かる。
(…怒ってる)
静かな怒りが瞳に宿っている。
(あーあ、言ったでしょ)
ペリの呆れた声を最後に、横で抱き抱えられたまま、ひょいっとペリから降りる。
そのまま何も言わずに、フィリアの部屋まで連れていかれる。
その間、一言も発さない。
フィリアの部屋には暖が焚かれていて、入った瞬間に全身がじんと温まる。
逃げ場を失うように、ゆっくりとベッドへ沈められる。
「あ…あの」
そう声を出しても、フィリアは私を見ない。
背を向け、ベラが用意したであろう温かな紅茶を淹れてくれる。
重い空気に我慢できず、上半身を起こす。
すると、ベッドにフィリアは腰を下ろしギシっと音が鳴る。
「…これを」
そう低い声で出された温かな紅茶を受け取るときに、手に触れようとしたら、ひょいと直ぐに手を引かれる。心が読めず不安になる。
飲むのを躊躇っていると、フィリアの藍色の瞳がじっと見据えてくる。
肩が震えながらも紅茶を口に運んだ。
良い花の香りが鼻から抜け、体の中もじんと温まる。緊張が少し解れて肩を下ろす。
その様子を見て、フィリアが口を開いた。
「どうして…何も言わず出ていきましたか?」
その声は、いつもの柔らかい声色ではなく低く抑えた声で問いかけられた。
「…お、怒って、る?」
小さな声しか出なかった。ふうと小さな息が吐かれ肩が跳ねた。
「…怒っています」
返答に思わず視線を泳がせる。
「どうして、出て行ったのですか?」
同じ質問に、空になったカップに視線を落とす。
「…出て行ったんじゃ、ない。夢を…樹木の夢を、見るために、行ったの」
「…それは、黙って行くことですか?」
「だって…私は、ずっと皆に…甘えてたから」
「…甘えてた?ですか」
「うん…」
どんどん小さくなる声に、静かなフィリアの声が徐々にいつもの声色になっていく。
「それで…初めて会った、あの場所なら…見れる気がして」
そこまで言うと、飲み終わったカップをフィリアは私の手から取る。ベッドサイドへ置くと大きな手が背中に回った。
――じんわりとフィリアの体温が伝わると同時に声が流れてくる。
(心配しました。とても。姿をみるまで生きてる心地がしないほどー)
(屋敷からニアの気配が消えて、どれだけ焦ったか…不安だったか)
「ごめんなさい」
静かに言うと抱き締められている腕に力が入る。
「二度と黙って外には行かないでください」
大きな手が頭を撫でてくれる。
「はい」
「いいですか…ニアは私に甘えるのが仕事です」
「え」
「なので、思う存分甘えてください。……何でも言ってください」
「…」
「…ニア」
「…はい」
じっと藍色の瞳が私を捕らえると念を押す。
「約束です」
「…はい」
その後は、フィリアが気が済むまで、ずっと抱きしめられていた。
どこか安心して、胸が騒いだ。




