灯っていた恋心
平凡で幸せな日常が気づけば、二年の歳月が流れていた。
フィリアとニアが出会って二年半経った。
あどけなさを残してはいるが、その面差しには確かな変化があった。
二年前にはなかった、静かな美しさの兆しが――今の彼女には宿っている。
身長は少し伸び、元々長かった髪の毛も腰まで伸び、目つきや、表情が少し大人びたように感じる。
しかし、内面は変わらず、無邪気で屈託のない笑顔を向けてくれる。
「フィリア」
相変わらず、弱音を吐かず習い事に対して努力を惜しまない。
今日も午前はリリィに刺繡を習い、午後は私から教養を教える。
書斎に入ってくると小走りで私の前までくる、恥ずかしそうに白布を差し出してくる。
「これは?」
私が受け取ると頬を染めながら
「リリィに教えてもらって、刺繡布を作ったの」
少し不器用な我がガラディオス家の家紋の龍が刺繡されている。
(なんて可愛らしい)
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
「…器用じゃなくて、あんまり上手くないけど…」
視線が落ちて唇に力が入っているのが分かる。
私は膝をつき、ニアと同じ視線になると、頭を撫でる。
「素敵ですよ。家紋の龍は難しいのに、直ぐに分かりました」
(私を想って作ってくれたことが、何より嬉しいです。大切にします)
その言葉に、ぱっと表情が明るくなる。
「よかった」
そのまま向かい合って、龍人族の歴史の話に入る。
「――こうして長いオーフィス国との戦争に決着がつきました」
本を開きながら、解説していく。ニアは帳面に万年筆を走らせる。
時折質問をしながら、理解を深めている。
「でも…まだ仲は良くならないんでしょ?」
不安そうに、本の挿絵を見つめるニアに私は頷きながら話す。
「はい。元々、闇魔法を得意としているオーフィス国は…その力を悪用することを悪だと思っていないので」
困ったように笑みが漏れる。
「価値観の相違でしょうか。人の心を操ったり、貶めたり、人の欲を掻き立てたりと…」
続ける私に真剣な眼差しを向けるニア。
「我々フィシオロゴス国では悪と認識している行為が日常的に行われているので…」
「そこが合わないと…仲良くはなれないね」
ニアが私の気持ちを代弁する。それに頷く。
そこから、ページを捲り話を進める。
「龍人族は伴侶を一人とし、離縁は認められていません。生涯愛するのは一人と決めています。
また、龍人族は他種族よりも愛情が深い事で有名です」
婚姻制度について話している時、不意にニアが質問を投げてきた。
「龍人族は…他種族と結婚することはあるの?」
首を傾げるニアに素直に答える。
「ええ。実はフィシオロゴス国の王妃はエルフ族です」
「え!!」
その返答に目を丸くする姿が可愛らしく、つい声が出た。
「ふふふ。ニアも知っていますよ」
「?」
「…アイリは第一王女であり、殿下やレオン様の妹です」
「えええ」
驚いてぽかんと口が開いているニアを見つめながら続ける。
「まぁ…騎士団の医療班である事の方が異例なのですが…本人がそれを望み陛下達も認めているのです」
そう、エルフは寿命が龍人族より遥かに長い。
その分、医療分野に興味をもったアイリアナは、光属性というのも相まって、人々の回復魔法や医療知識を研究し増やす事で、より平和で苦しむ民を減らすことを選んだ。
立派な王女だ。
「凄い…素敵な人だと思っていたけど、やっぱり凄い人だった」
嬉しそうに言うニアに私も幼馴染が褒められて嬉しく心が温かくなる。
しばらくして、ニアが龍人族の文献を静かに読んでいる。
私は向かいで職務資料を書いていた。
陽が少し傾き、高い天井窓から陽光が影を落とした。
(休憩の時間にして、お菓子でも…)
書類から視線を向かいのニアに向ける。
(…女神)
陽光が彼女の銀髪を照らし、長い睫毛が神秘的に落ち、赤い瞳を隠している。
手から滑り落ちそうな本を、ひょいと掬い上げる。
椅子の背に背中を預け、首が傾いて自分の肩を枕にしている。
(これでは起きた時に首が痛くなりますね)
そっと立ち上がり、起こさないように横に抱き上げる。
ニアの部屋へ運ぼうと、そのまま廊下を歩く。
二年前より少し体重が重くなったが、まだまだ軽い。もっと健康的な体重になってほしいと思う。
ベッドに横にさせ、自分も腰を下ろした。
習慣になってしまい、無意識に頭を撫でる。
ニアは私が頭を撫でると、安心するのか、体の力が抜けるのを感じる。
(こうしていられるのも…あと四年ほどですか)
(未だにニアは夢を見られていない…このまま十六になり、突然あるべき場所へ帰るかもしれない)
(その時は、ちゃんと見送らないと…)
頬を撫でて、毛布をかけ、部屋を出る。
廊下を歩く足取りは重い。
そう心に留めておかないと。――いつかの別れで私は手放せるのだろうか。
正直、彼女を守りたい。守らねば。という使命感が強い。
帰るべき場所があるのなら、帰ることが正しい選択だろう。
しかし…胸の中に何か違和感があるのも確か。この違和感が何なのか…分からない。
▽▼▽
パタンと静かに閉まった扉。
ゆっくり瞼を上げた。
(こうしていられるのも…あと四年ほどですか)
(未だにニアは夢を見られていない…このまま十六になり、突然あるべき場所へ帰るかもしれない)
(その時は、ちゃんと見送らないと…)
温かくて、安心する香りに包まれていると感じた時、薄っすらと意識が現実に戻ってきていた。
大好きなフィリアの手が頭に触れた時、流れてきた心の声。
あと四年…
その現実に、私は無性に焦りと不安に飲み込まれそうになる。
ずっと続けばいいと思っていた。
この平凡で幸せな日常が。
それでも…今日習ったこと。
(龍人族は生涯の伴侶を一人選ぶ。…きっとあと四年の私は)
自分でも分かっていた。
この二年半、恋心が芽生えるのに充分であったこと。
その相手がフィリアであることが当然だということ。
(私は…フィリアの相手には、なれない)
フィリアは私を守ると安心を与えてくれた。
優しい眼差しに、熱はない。妹のような感情で私に接しているのだろう。
その熱の違いに、胸が苦しくなる。
そう、今の私は、まだ十二歳なのだ。
前世の記憶があっても、精神的にも、外見的にも自分が幼いと感じる場面はいくつもある。
起き上がり、ベッドから降りる。
本棚に仕舞ってある一冊の手帳を取り出す。
〇〇〇年〇月〇日 晴れ
今日はフィリアと一緒にペリに会いに行った。
一緒に乗馬して、草原に敷物をしてサンドイッチを食べた――
体が回復してから、ふと始めた日記。
記憶が無い。ということは、いつか同じことが起こるかもしれないと思い立って始めた。
幸せな日常が綴られている。
読み返していくと、胸が苦しくなってくる。
(いつの間に…こんなに大好きだったんだろう)
皆との日々と必ず書かれているフィリアとのこと。
私にできることは…最初に皆と話し合った時に自分で言っていたのに…すっかり幸せな日常を手放したくなくて真剣に取り組まなかった。
(樹木の夢をみること)
私はクローゼットを開け外套を纏った。
(初心にかえることは大事よ)
前世でもよく言われてた。初心忘るべからず。
急に、フィリアと出会った、あの花畑の場所に行きたくなった。
そして、私は静かに屋敷を抜け出した。




