幸せな日常
この世界に転生して、初めて感じる温もりと平凡な日常は、今までの痛みや苦しみを徐々に癒してくれた。勿論、未だに夜、誘拐されていた日々の記憶が蘇り、恐怖で目覚めてしまう日もある。
「やああ!!」
この幸せな日々が夢で、目を覚ましたら格子の牢の中。コツコツと響く指導者の足音が恐怖を増長させ、逃げ出したい、皆に会いたいと願い、手を伸ばした所で目覚める。
実際に手が天井に伸び、両目からは大粒の涙が溢れる。
そこは冷たい石の天井ではなく、温もりのある木目に花の彫刻が咲いている天蓋。
「ニア!」
そして、そんな悪夢を見た夜は、フィリアが直ぐに駆けつけ、傍にいてくれる。
「フィリア…」
天井に伸ばした腕を、優しく大きな手が握り、そのままフィリアの方へ引き寄せ包み込んでくれる。
「大丈夫です。私が傍にいますから」
規則正しく、子供をあやす様に背中をトントンと叩かれる。
「ううぅ…」
ただ、優しく温かで、この世界で一番安心できる胸に顔を埋め、幸せな今の日常が現実であると、自分で乱れた心を落ち着かせる。
その間にも、フィリアの心の声は優しく、一層安心できるものだった。
(大丈夫、大丈夫。ここにいます)
(一人ではありませんよ。ニアは皆に愛されているんですよ)
(今は思いっきり涙を流しましょう)
「ひっく…ふぃ、フィリア」
埋めていた顔を上げ、月夜に照らされ星が舞う夜空をそのまま瞳に宿した藍色を見つめる。
眉が下がり、口角が柔らかく孤を描く。
「はい?どうしました?」
「今日…一緒にいて」
そうお願いすれば、ゆっくり横にされフィリアも隣に横になる。
「はい。一緒に寝ましょう」
右腕を私の首に回し、左手で頭を撫でてくれる。
穏やかで、大きくて少し重みのある掌は、徐々に私を夢の世界へ導いてくれる。
瞳が自然と落ちていく中、低い声が耳に入る。
「きっと、良い夢をみますよ」
▽▼▽
「そう、体に巡る魔力を想像して――放って」
アイリアナが今日は光魔法の指導をしてくれる日。
言われた通りに、リリィが怪我した指に向かって光魔法を放つ。
黄色い光が放たれ部屋が一瞬真っ白になり、瞼を閉じた。
数秒の沈黙――
ゆっくり瞼を上げると、片方の眉を上げ、口を横に結び、難しい顔をしているアイリアナと対照的に、目を輝かせているリリィ。
「凄いです!!体全体が漲ってます!!」
嬉しそうに、力拳を見せるリリィに小さなため息を漏らすアイリアナ。
「うーん…まだ難しいね」
困った表情のアイリアナは腕を組みつつ首を傾げる。
「あ…ごめん、なさい」
上手くできなかったのだと、視線を落とすと、慌てて優しく頭を撫でてくれた。
「ああ、違うの。回復魔法はちゃんと使えてるから」
と同時にアイリアナの心の声が流れてくる。
(子供なのに、これだけの溢れる魔力量を調節するのは難しいか…)
(しかし、指の傷に対して、リリィの体全体の回復をしてしまうのは…些か心配だ)
「ニア様は魔力量がとても多いのですね」
リリィが純粋にアイリアナに質問を投げかける。それに大きく頷き
「ええ。ただ…多いといっても限度はあります。
一度に多くの魔力量を放出してしまうと、突然空っぽになることもあるから…」
視線が私に向けられる。色白の手が私の両肩を掴み決意した、はっきりした声で
「難しいと思うけど…調節できるようになろう!私が教え込むから!!」
その綺麗なエメラルド色の瞳の奥が燃えているように見える。
「あ、えっと…はい」
迫力に押されて返事をする。
「まぁ!同じ光属性のアイリアナ様なら安心ですね」
きらりと笑うリリィも眩しくて、一瞬不安になった。
(私…できるかな)
季節はすっかり暑い季節から肌寒い季節に移り替わり、今日は午前はアイリアナに光魔法の指導をしてもらい、午後はフィリア、アイリアナ、リリィの四人で街に行く予定だった。
「今の時期は葉が橙色や黄色に彩られていて散歩するだけでも楽しいですよ」
馬車に揺られながら、隣に座るリリィが景色を指さす。
促された景色に視線を送ると、確かにこの世界にきて初めて見る紅葉が美しく、どこか懐かしい気持ちになった。
(なんだか日本の紅葉に似てる)
窓に手を添えて流れる景色に見惚れている私にリリィも向かいに座っているフィリアも嬉しそうに顔を綻ばせた。
馬車が止まり、街に着いた事を知らせる。
一瞬体に緊張が走った。それを察してかフィリアは、凛々しい顔立ちで告げる。
「ニア、今度は絶対に怖い思いをさせません。君にも神にも誓います」
着けていた白い手套を外して、掌を差し出す。
恐る恐る手を重ねると、強く大切に握られる。
――流れる優しい声。
(大丈夫です。絶対に守ります)
その声に、緊張が解ける。
「うん」
頷いてそのまま馬車を降りた。
リリィが後ろから大きな白い帽子を被せてもらい、前にもつけた瞳の色を隠す眼鏡を付けて。
「おいしい!」
石畳の通りは、人の波であふれていた。
通りの両脇には色とりどりの布を張った露店が軒を連ね、呼び込みの声が絶え間なく飛び交う。
リリィがお勧めしてくれた、少し辛い魚の串焼きを差し出され口に頬張る。
舌先がピリッとして旨味が広がる。反射で瞳が大きく開き笑顔になる私に嬉しそうにする皆。
「ですよね!絶対好きな味だと思いました」
リリィも嬉しそうに、魚を頬張る。
「確かに…この辛みは癖になるな」
アイリアナも頬をリスのように溜め込みながら話す。
「よかったです」
フィリアは微笑みながら三人を見つめる。アイリアナが首を傾げる。
「フィリアは食べないのか?」
一瞬フィリアの肩が跳ねた気がしたが、話題が移った。
「ええ、そうです。この先にある小間物屋は面白い物が多いので行ってみましょう」
(フィリアは辛いの苦手だものね)
いつかの心の声で知ってしまった事実を私は思い出し、にやりと口角が上がった。
通りの喧騒から一歩外れた場所に、その小間物屋はひっそりと佇んでいた。
重厚な扉を押し開けると、外のざわめきが嘘のように遠のき、代わりにほのかな香の匂いが静かに満ちてくる。
店内は決して広くはないが、隙間なく並べられた品々が目を惹いた。
「わぁ」
棚に並んだ硝子で出来た置物に心が躍った。繊細な形に、透き通った色が染められている。
「好きな物は何でも言ってください」
私の後ろにいたフィリアは、にこやかに言う。――しかし、普段は散財などしないのに、それが誰かの益となるのならば――彼は迷わない。惜しみなく財を費やすのを前回の買い物で私は知っている。
「う、うん」
曖昧な返事だけして引き続き見回す。
すると、一点の置物に目を惹かれた。
(綺麗――フィリアみたい)
私の両手で持つほどのサイズ感で雫の形をしている硝子細工。
思わず手で触れた。
夜空を閉じ込めたような雫は、いつも魘される私をあやしてくれる時のフィリアの瞳のようだった。
見惚れている様子をフィリアはじっと見つめ、静かに片手を挙げて店主を呼ぶ。
「これを」
その言葉が聞こえ慌てて棚に戻す。
「いい!綺麗だなって、みてただけ!」
私の言葉に微笑み頷きながら
「ええ、私も綺麗だと見惚れました。それに――」
言葉の途中でフィリアは私が見つめていた隣の硝子の置物を手に取る。
「こちらと一緒にほしいのです」
その手には、同じ雫の硝子細工。色は夕焼けを閉じ込めたような赤だった。
私の瞳と交互に見つめ、ふいに頬にフィリアは優しく触れ、親指で目の下をなぞる。
(お揃いですね)
その声に頬に熱をもつ。
言葉が出てこず、そのままお揃いで硝子細工を買ってっもらった。
小間物屋を出て、少し歩くと橙色や黄色の色づいた木々が等間隔に植えられており、地面に絨毯を作っていた。その景色を眺めているだけで、穏やかな気持ちに包まれた。
「また、来ましょうね」
隣で言うフィリアに私は笑顔で返事をした。
幸せで平凡な日常が、とても心を潤し癒してくれる。




