役割
「…この木」
フィリアが最後まで読み上げた後の最後のページには大きな樹木が描かれていた。
その絵が視界に入った瞬間。夢の中で出会った樹木がこれだったと確信した。
胸が震え、何か分からないものが込み上げる感覚に襲われる。
「ニア?」
樹木の絵から視線が外せず凝視する私の様子を心配して皆の視線が集まっている。それでも視線を外せない。
無意識に、絵本に手を伸ばす。フィリアはされるがまま絵本を渡してくれた。
(温かい…)
ただの絵本なはずなのに、胸に抱き締めると絵本には体温があるかのように、じんわり温かさを感じる。
気付くとぽろぽろと勝手に涙が零れ落ちた。
思わず膝から崩れ落ちる。咄嗟にフィリアが支えてくれる。
「ニア?」
名前を呼ばれる度に心が落ち着かない。この感情の正体が何なのか分からない。
ひとしきり泣いた後、絵本をフィリアに返す。
「…夢で、見た木」
ようやく話し出せて、フィリアに視線を向けたまま伝えると小さく頷かれた。
「陛下、この絵本の木は、たまにニアの夢に出てくるんです」
「…そうか、やはり関係あるか」
その後、陛下は自分自身の解釈を説明してくれた。
「幼い頃から、父にレオンと一緒に読み聞かせられていたんだ。
誰にも話してはいけない、秘密の童話の絵本だということで。
私とレオンハルトはこう解釈した。
かつて今の種族以外にニュムペー族という種族もいた。
しかし、あまりに恵まれたその才は他種族から狙われてしまった。
なので、我ら龍人族はニュムペー族を守る役割を担っていたのではないかと考えている。
そして我がフィシオロゴス王家の本当の役割は「世界の理を記録する国」なのだと…
我らでも、まだ読み切れない歴史書がこの王城の秘密の図書に眠っている。
この絵本もその一部だ。
そして…私の予想だが
一輪の花は…ニア。
君のことを指していると思う。
そして…ニュムペー族を守る役割を担っていた龍人族は…」
そこまで言うと私以外の人々の視線がフィリアに移される。
「…ガラディオス家、ーフィリア、君ではないか?」
(え?フィリアがニュムペー族を守っていた龍人族?)
陛下の言葉に誰も異論を唱えなかった。フィリアさえも、何も言わなかった。
沈黙が続き。陛下がまた話し出す。
「ニア、君をフィリアの元で保護することを国で決定する。
もちろん身分も公表しないし、このことはここにいる者だけの秘匿とする」
凛とした声ではっきりと告げられた。続けて
「また王家でも絵本の解読を進めていくが、君達も協力してほしい。
まだ明かされていないことは多い。
ニア、君が十六になったら、何かが起こるのかもしれない…
それが良いことなのか、悪いことなのかも、規模も現状不明だ。
そして大きな樹木がどこにあるのかも…」
▽▼▽
いつの間にか、頭上で一番高かった太陽が傾き始めていた。青かった空は、ゆっくりと橙色へと移り変わっていく。行きとはまったく違う気持ちのまま、私は馬車に揺られていた。
目の前にはフィリアが座っている。けれど、彼は何も話さない。
ずっと無言のままだ。
それでも、不思議と重たい空気ではない。むしろ、どこか柔らかい沈黙だった。
私は膝の上で手をぎゅっと握る。――自分の正体。
私が、ニュムペー族の最後の生き残りかもしれないということ。
その事実が、胸の奥をざわつかせていた。こんな感情、今まで感じたことがない。
驚きなのか。不安なのか。それとも――怖いのか。
自分でもうまく整理できないまま、私はただ、揺れる馬車の中で俯いていた。
「おかえりなさいませ」
従者が迎えてくれ、その中にいるリリィが微笑んでくれている事に安堵した。
フィリアが王宮を出て初めて声を出す。
「ニア…着替えたら私の部屋へー」
私の表情を見ると、眉は下がったままだけど、口角を柔らかく上げて
「…リリィと一緒に来てください」
「…はい」
(何かあったんだ…しっかりニア様を支えなくちゃ!)
落ち着かない様子の私にリリィは静かに着替えを手伝ってくれる。時折触れる手から気遣いの声が聞こえる度に、泣きたくなった。
リリィに手を引かれながら、フィリアの書斎へ向かう。
扉を開けると、そこにはアルティアとエドワードも到着していた。
「おう、さっきぶりだな」
笑顔で言うアルティアに、こくりと頷く。
フィリアは立ち上がり私の元まで来ると、優しく頭を撫でてくれ
「先程まで何も口にしていませんでしたね。軽食があります。食べながら少し話しましょう」
(大丈夫ですから。泣きそうな顔、しないでください)
フィリアの声と重なるように、もう一つの優しい声が聞こえた。
そのやわらかな響きが胸に届いた瞬間、さっきまで重く沈んでいた心が、ゆっくりと溶けていく。
自分の正体。
ニュムペー族の最後の生き残りかもしれない――
その事実に、不安を覚えて混乱していたのは確かだった。
けれど。
それ以上に、私の胸をざわつかせていたものがあった。
フィリアが、今なにを思っているのか。
それが分からないことが、怖かったんだ。
今、こうして彼の心に触れて、私はようやく、そのことに気づいた。




