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敗残兵

「出陣の兵が戻ったぞー!!!」

その悲鳴のような大声が人吉城内に響いたのは、雪がちらほらと舞っている日であった。

「長寿丸様! 内城(うちしろ)様がお呼びでございます、すぐに参られるようにと」

ちょうど手習いをしていた長寿丸のところへ、顔面蒼白になった近習の樅木宗兵衛が駆け込んできた。それと同時に、部屋の中へ冷たく張り詰めた冬の冷気が一気に入り込んでくる。

宗兵衛は長寿丸が物心ついた頃より側に仕えている男で、諱は重行、年は十八。普段は冷静沈着なこの男が、いつになく取り乱している。

その姿を見た長寿丸の背に、寒さとは違うぞくりとしたものが走った。

考えられることといえば。

「まさか、まさか、父上が……」

最悪の可能性が頭をよぎる。未だ八つとはいえ長寿丸は武家の生まれ、戦が何たるかは教え込まれている。

「わかりませぬ。されど、まずは、内城様の元へ」

宗兵衛の声は、これまでに聞いたこともないほど震えていた。

*****

内城様――長寿丸の祖母にして当主、義陽の母であるその女性は、庭に面した広縁に堂々たる佇まいで立っていた。側には、相良家の奉行を務める深水宗方や犬童美作守頼安など、家中の主だった者が控えている。

長寿丸は、兄の亀千代と共に、祖母の横に立っていた。弟の藤千代は幼すぎるためか呼ばれてはおらず、母や姉たちの姿もない。

そして広縁の前には、泥と血にまみれた、見るも無残な一人の兵の姿があった。城内の侍が一人その肩を支え、気付の水を飲ませようとするが、その男は頑なにそれを拒んでいた。

城の中で大切に育てられた長寿丸にとって、初めて見る、戦の生々しい姿である。

長寿丸は衝撃のあまり一瞬気が遠くなりかけたが、兄に腕を強く引っ張られ意識を保つことができた。兄の顔からは血の気が引き、唇を引き結んでいる。おそらく自分も、兄と同じような青ざめた顔をしているのだろう。

「申し上げまする!!!!!」

男は息も絶え絶えに、最後の力を振り絞るように叫んだ。

「益城郡、響野原において、我が軍勢大敗!」

周囲の者たちが息を飲む。

そして、男は嗚咽と苦しそうな呼吸が入り混じった声で、続けた。

「我が殿、修理大輔義陽公、御討死!!!」

そこまで言うと、男は力尽きたように崩れ落ちた。

*****

長寿丸は、男が何を言っているのかわからなかった。確かに、知識として戦のことは知っていた。万が一の覚悟をするようにも言われてきた。だが。

「父上、が……」

信じられない。ついこの間まで、近くにいたではないか。共に、霧の晴れた城下を眺めたではないか。

「よくぞここまで……。丁重に弔うてやりなされ」

その凛とした女の声に、長寿丸は我に返った。

息子を失ったばかりの祖母、内城(ぎみ)は、命尽きた兵に静かに手を合わせ、彼の亡骸は数人の侍の手によって、城内へと運ばれていった。

兵が運ばれていくのを見届けた内城君は、兄、亀千代に向かって膝をつき、頭を下げた。

周囲の重臣たちもそれに習い、長寿丸も慌てて膝をついて兄に頭を下げる。

兄はくるりと平伏する重臣たちの方へ向き直り、それをじっと眺めている。

「亀千代殿。……いいえ、殿」

内城君の言葉が、重く響く。

殿。これまで父がそう呼ばれていた。家中でただ一人にしか使われない、その呼称。

分厚い雪雲の合間から、光が漏れる。

「これよりは、この亀千代が、相良の当主である。皆、これよりよろしゅう頼む」

声を震わせながら、幼い声で気丈に当主就任を宣言する。相良亀千代、時に十歳。

重臣たちの中から、徐々にすすり泣く声が聞こえてきた。

長寿丸は、少し顔を上げ兄の顔を見ようとしたが、雲間の光でその表情を伺うことはできなかった。

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