第三話『ビトー』(十七)
鎧蜥蜴の棲む山岳地帯までは、魔族の集落から三日もあれば着くらしい。この集落まで数週間を掛けて移動してきた儂等にとっては、それほどの遠出では無い。
儂等、というのもドガー達もついて来ると言って聞かないのじゃ。別に鎧蜥蜴を討伐しようという訳ではないので、それほど危険ではないと思うが、それでも相手は魔物じゃ。なにが起こるか分からん。
「そんな事言って、また俺達を置いて行く気じゃないっすか」
どうも王都で儂一人警察隊に連れて行かれたのが、心に残ってしまっているようじゃ。ドガー達は一様に心配そうな表情を浮かべている。
「なにがある訳でもねえだろう。魔物の住処に行くんじゃぞ? お前ら自分の身が守れるのか」
警察隊相手も出来なかった奴らじゃ。魔物相手に戦えるとも思えんかった。
「師匠、俺達を舐めてもらっちゃ困りますっすよ。そこいらの傭兵どもにも負ける気はしません」
「……そりゃ戦えりゃあ、そうだろうがな」
儂はもとより、ドガー達も日頃巨大な鎚を振るっており、その身体は並の傭兵では敵わないような膂力を持っている。しかし根本的な問題じゃが、こいつ等は戦いが出来ん。今まであれだけ武器を作っていながら、自らがそれを使った事がないのだ。
儂も同じ様なもんじゃったが、王都での魔物との戦闘を経て、身体が戦いを思い出したように剣を振るう事が出来るようになった。儂一人なら鎧蜥蜴が何匹来ようが、どうにかする自信が今はある。以前ミリャトから聞いた話では、儂でも充分に戦える相手らしいからの。
「お前らじゃ、まともに武器も振るえないじゃろうが。……いや、別にお前らを責めておる訳じゃないぞ。適材適所じゃ、と言うとるだけじゃ」
「師匠の言う事もごもっともっすが……」
ドガーは尚も食い下がろうとするが、世の中、どうにもならん事もある。それに。
「これは仕事の一貫じゃ。儂の言う事が聞けないってえのか!」
と言やあこいつらも引き下がざるを得ん。
「そう言う訳で、儂一人で鎧蜥蜴の住処に行くことになった」
儂は次の日、ミリャトを訪ねていた。
ミリャトは集落でも一際立派な建物に逗留しておる。魔族の中でもやはり上位の存在なのじゃろう。
「まあ、あの子達じゃ魔物の相手は出来ないでしょうからね。いつ出る?」
広すぎる応接で、ミリャトはいつも通り悩ましい格好で寛いでいる。
派手な服ではないくせに、身体の線が妙に浮き彫りになる服装を好むこいつの趣味は、儂の様な男には目の毒じゃ。
「明日にでも出発するつもりじゃ。このままここで鉄を打っていても進捗はなさそうじゃからの」
「分かったわ。ゴルガン殿下にも報告しておく?」
「いや、何か出来上がった訳でもないからのう。わざわざ時間を取っていただくのも申し訳ない。お主から伝えておいてもらえるか?」
ゴルガン殿下は王都に戻った後の、魔物の処理について心を割いておる。ここしばらくこの集落のまとめ役と会談を重ねている。
両者の橋渡しであるミリャトなら、機会を見て殿下に伝えてくれるじゃろう。
「え、私も一緒に行くわよ?」
じゃがミリャトは心底考えになかったという様な顔で言った。
「そりゃお主が来てくれれば心強いが、殿下の補佐をせんといかんじゃろう」
「そんなの良いわよ」
所属も種族も違うミリャトにとっては殿下への気遣いなど、どこ吹く風じゃろうが、儂はそうはいかん。
「いやいや、しばらくしたら殿下も王都に戻るんじゃろう。お主がおらんでどうする」
「だって、私が殿下と一緒にいて何をするのよ」
「何ってそりゃ、お主……」
それを答えようとして突然、身体の芯に激しい痛みが襲ってきた。あまりの痛みにうずくまろうとするが、それさえも出来ない。体が自由に動かない。
儂は混乱しながらも、唯一、儂の意思が自由に反映する頭を使って、先ほどのミリャトの言葉を考える。
言われてみれば、ミリャトは何を目的に殿下に近づいたのか。始めはネルメと行動を共にしていたはず。ネルメがゴーレムに殺された時からゴルガン殿下に鞍替えしたという。
「……お主、の目的? 何を、するか……」
分からない。何故、すぐに思い浮かばないかが、分からん。ついさっきまで、全く疑いもせず、同じ部屋に居たというのに。
何かが、儂の頭の片隅をかすめる。それはミリャトに対する信頼を根底から揺るがす何か。じゃが、それを言語に直す事が出来ない。
それでも儂は、頭蓋骨の裏側にこびり付いたように揺蕩う何かを、必死で視線に乗せる。
と、それを受けたミリャトは大きな瞳を糸のように細め、妖しく艶やかな唇を湿った舌で舐めた。その官能は、まるで人間の生命がいかに美味であるか、それを知っておるようじゃ。
ミリャトから放たれる女を感じさせる薫りを介し、儂にも快楽を運んでくる。見ているだけで、あまりの気持ち良さに昇天してしまいそうになる。
「人間に戦う力を付けさせる、と前に言っておったが。本当か? あまりにも遠回り過ぎるような……」
ミリャトに見惚れる儂に代わり、冷静な儂の身体が、どうにか口を動かさせ、ミリャトに質問を投げ掛ける。
そもそも振り返ってみれば、ミリャトが儂ら人間にもたらしたものがあったじゃろうか。ネルメが得たゴーレムは破滅に向かうだけのものじゃった。
なぜ儂は、ゴルガン殿下は、ミリャトを「味方」だと断定しているのか。本来が敵であるはずの魔族に、どうしてこうまで気を許しているのか。
儂はなぜ、王族でこれから大将となってもらうべきゴルガン殿下の「側に」居て欲しいと願っているのか。
「やっぱり、貴方には効きが悪いみたいねぇ」
ミリャトの呟きには、冷たい喜色が滲んでいる。
「なんのことじゃ?」
「昔っから貴方だけは私の魅力が通じないのよね。種族的なものなのかしら」
ミリャトは儂の質問に応えるでもなく、独り言を続けている。なんの事を言っているのか分からない。昔、というほど儂とミリャトの関係は古くはないはずじゃが。
「なんのことだと聞いているんじゃ!」
儂の荒げた声が耳に入る。いや、儂は声を荒げる。まるで怒鳴るように、怒っているのだろうか。
「ん? ああ、ごめんなさい。貴方と話していたんだったわ」
そう言ってミリャトはこちらに目線を向けた。
その大きな瞳に映っているのは儂の青白い顔じゃ。女が儂に注意を向けているのを感じる。いや、向けていない。鏡のように映り込む儂が、この女には本当に見えているか。
おんな。目の前にいる女は誰じゃ。急にその正体が曖昧になる。魔族、じゃったはずなのじゃが、それは誰に聞いた事だったか。
儂はあまり出来の良くない頭で思考する。何故か儂の身体で一番信用出来るのが 、頭だと直感する。あれ程信頼していた「腕」が今は他人のように思ってしまう。
「……どう、なっとるんじゃ? 儂らは、お主をいつから……」
曖昧になる意識。この女は誰じゃ。ただ放たれている気配に、安心を儂にもたらしてくれる要素はない。まるで、ない。ない、と儂の身体が強調する。
女のことを考えると、脳の奥の方で、甘美な快楽が渦巻くような感情を覚えるが、それを身体が、本能で否定する。強く、否定する。
今なら足掻らえる。この女の誘惑を打ち払い、儂の聞かなければならない事を、聴ける。
「お、お主は……、「ところで!」
儂が真正面の見知らぬ女に真意を問いかけようとする。と、すぐ目の前に居るミリャトが突然上げた大声で、儂の声がかき消された。
「な、なんじゃ、」
「本当について行かないで大丈夫? 殿下を放っておくのは冗談にしても、事情を説明すれば分かってくれると思うけど」
再び身体の自由が戻って来る感覚がある。先程までの、頭と身体が別人のような窮屈さが嘘のようじゃ。
それと同時に何かが霧散した気配がするが、それが何かは、分からない。
じゃから、ミリャトの問いかけに、昔からそうしているように、答えた。
「まあ、危険もそれほどあるまい。鎧蜥蜴というのはそんなに強い魔物ではないんじゃろう?」
「まあ、駆け出しの傭兵でも数人いればどうにか出来るでしょうね。もっとも討伐出来てもその証を持ち帰る事が出来ないから、積極的に伐とうとする人間も居ないでしょうけど」
「工房でムウルスに教えて貰ったのう。人間では皮を剥ぐ事が出来んとか」
確か死んだ後に瘴気が抜ける事で皮膚が硬化するんじゃったか。素材にも出来ず、報奨金も出ないのでは、傭兵達の食指も動かんじゃろうな。
「人間が解体するのは無理でしょうね。貴方ならやり方を覚えられるかも知れないけど……。教えましょうか?」
「儂なら? 無理だと思うがのう……。王都でもぶっ倒れてしもうたし。まあ今回の目的は鎧蜥蜴の生態なんかを見たいからの。材料はこの集落には不足しておらんし、危険な事をする必要もあるまい」
「まあ、貴方なら大丈夫かしら。でも気を付けてね」
ミリャトは儂の身体を心配そうに見つめて、愛おしそうに言った。なんじゃ、儂に気があるんかの。勘違いしてしまいそうになるわい。
そんなやり取りの後、儂は鎧蜥蜴が住むという集落の北にある高山地帯に向かった。
が、そこには鎧蜥蜴どころか、動くもの一つない不毛の大地が広がっているだけじゃった。




