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第三話『ビトー』(十二)

 心地よい風が吹き付ける。多分に瘴気を含んだ風だ。こんなにも新鮮な瘴気はこれまで吸った事がない。

 私は自由になった身体を解す。しばらく生ぬるい使われ方しかされていなかった為、所々凝りが溜まっていた。


『……この男が死んだ訳では、ないようだ』


 突然、ビトーの意識が消え、私の意志が身体に反映されるようになった。だが、ビトーの気配が完全に消えた訳ではない。頭の奥底にたゆたっているのが感じられる。

 これまでこのような事は一度たりとなかった。意識がない時で良いならば、寝ている時など自由になりそうだが、そのような事もない。

 考えられるとすれば、この濃い瘴気だろう。

 主の城であればこれくらいの瘴気は漂っているが、人間の住む地域ではまず起こりえない。考えてみれば、これまで瘴気の中で誰かに成り代わっていた事はない。


 私は考えを纏めながら歩き出した。ミリャトが答えを持っているとは思えないが、相談するくらいは出来よう。

 寄生蛞程度に殺されている事もあるまい。洞窟の奥にでも居るのだろう。


『……煩わしい』


 吸血蛞が面前に迫ってきた。下等な魔物が魔族に掛かるなど、本来あり得ない事である。

 私は自由になった腕を振った。まだ手の届く距離では無かったが、巻き起こる風圧で寄生蛞が霧散する。文字通り細切れになって消滅した。瘴気で重くなった空気の風だ。その衝撃は魔物程度で防げるものではない。




 洞窟の内部に、私の歩く足音が反響している。その他に物音はしない。

 段々と瘴気が濃くなっている事から、目的地には近づいていると判断する。


『しかし……。他の魔族が現れるとは、厄介だな』


 主の命令は、十年後に起こる人間との戦争を有意義なものにする事であった。三百年前は軽薄な魔族のせいで、その尊厳は地に落ちた。私たち魔族はその恥を洗い流す為、三百年を費やしたのだ。

 今度の戦争に失敗は許されない。その為に人間の勇者には強い武器を持ってもらわなければ困るのだ。餓鬼に勝っても意味は残らない。

 ビトーは打ってつけの人間であった。年齢的には成熟してしまっているが、未だ向上心を持ち合わせている。肉体がそれに付いてこられれば、最高の武器を作るだろう。

 人間が持つ言いしれぬ底深さ、主にして私に情報の収集を命じた危険は、今は考え無くても良さそうだ。王家の監視はミリャトが旨くやってくれたようだった。ネルメが勘当された事は厄介であるが、結果、今の王家の思惑は統一された。監視するまでも無いだろう。

 しかし、ネルメとはあのような人間だっただろうか。ゲイルの視点でしか話した事が無いので、良く記憶になかった。


『ネルメについても、ミリャトに確認しておくべきか』


 私は洞窟の最終地点に向かい、歩を早めた。




 寄生蛞が粘液を含ませつつ整形した洞窟は、しっかりとした作りをしていた。私でも突き壊しながら進むのは、少々骨が折れる。出来ない訳ではないが。

 結果、道順通りに進み、しばらく歩くと目的地に着いた。ビトーの工房くらいありそうな空間に、瘴気の発生源である水晶体が置かれている。辺りに魔族は居ないようだ。


『ミリャト。居るか?』


 部屋の入り口で中に尋ねる。

 その声に反応するように、隅で何かが蠢いた。


「おっそーい! 昨日の夜もそうだったけど、寄生蛞くらいに手こずってたら……、あら?」


 やはりミリャトであった。


『魔族は居たか?』

「あなた……? デミナス? デミナスなの?」


 ミリャトは飛び起きてこちらに走って来た。


『そうだ』


 ミリャトの質問に簡潔に答える。だがミリャトははしゃいだ様子で飛び跳ねている。


「えー! なんで!? 見た目はビトーなのに!」

『お前も分からないか。瘴気の影響だと思われるが、身体の操作が戻った。ビトーは死んだ訳ではない』


 おそらく瘴気が原因だろう。人間が瘴気に中てられると、死に至る事があるという。ビトーは私の身体である為、その精神だけが参ったと考えた。瘴気から精神を守る為、頭の奥底に閉じこもったのだろう。


『これが瘴気の発生源だな?』


 まだ、なんでどうして、と繰り返しているミリャトを横目に、水晶に近づく。相手をしていても何も変わらないのだから、当然だ。

 水晶には魔族特有の紋章が幾重にも掛けられている。これほどの紋章の同時起動は、かなり精密な紋付与が必要なはずだ。確かに、一度破壊すればしばらく王都の霧は収まるだろう。


『ふん』


 水晶を一振りに破壊した。粉々になった水晶が、部屋中にまき散らされる。


「あー!」

『なんだ?』


 ミリャトが砕ける水晶を見ながら、大声を上げた。何を驚いているのだ。元々、この水晶の破壊が目的であっただろう。


「せっかく無傷で回収する方法を考えてたのに! そんな大きな魔水晶、いくらすると思ってるのよ!」


 水晶を使う戦闘を行った事のない私には分からない話だ。ミリャトのように、魔力を攻撃に使う魔族が好んで使うものである。私はその膂力で対象を粉砕する為、利用した事がない。


『すまなかったな。だが、これの破壊が今回の目的だ』

「まあ……、良いわよ。その代わり今度買い物に付き合ってね。新しい魔水晶を見たかったのよ」

『……なぜ、私がお前に付いて行かなければならない?』

「水晶壊したでしょ!」


 なにの「代わり」なのか理解出来ない。

 だが、ミリャトには有無を言わせない迫力があった。私がここまで重圧を感じるとは、ミリャトも相当の手練れとみる。もしやその買い物に何か秘訣があるのかも知れない。

 更に主の役に立てる力を付けられるかもしれん。


『……わかった。付き合おう』

「へっ? あ、ああ買い物にね。そうよ一緒に行くわよ!」


 私が応じると、なぜかミリャトは虚を突かれたような表情をしたが、すぐに応諾した。そもそもお前が言い出した事だ。


『それで、魔族は居たのか?』


 少なくとも、この部屋からは魔族が居るような気配はしない。


「さっき貴方、長剣をぶん投げたでしょ。それで一旦引いたみたい。魔族が来たと感づいたんでしょうね」

『投げたのはビトーだが……』


 私の力の一端を使ったのは認めるが、正確に言えば、あれは私ではない。


「私たちと戦闘になると思ったんでしょう。勝ち負けは別にして、戦闘になればただでは済まないからね」

『主の宣誓だ。魔族とは戦わない』

「それは私たちの誓いだわ。彼奴らは自分たちが守ってないから、根っこの所で信じられないのでしょうね」


 なんと信念の無い者達なのだ。同じ魔族として恥ずかしく感じる。


『う……』


 突然、頭の中が混濁する。何かが呼び起こされるようだ。


「どうしたの!」


 あわててミリャトが駆け寄って来た。


『水晶を破壊した為に、瘴気が薄まっているようだ。ビトーの意識が戻る』

「だーから、まだ壊さない方が良かったのよ」

『いや、それが目的だからな』

「あんたねー……。はあ、良いわ。少し話せて嬉しかったわ」


 ミリャトは嬉しそうな表情を浮かべている。何をそんなに喜んでいるのだろうか。

 そう言えば、ネルメの事を聞いていなかった事を思い出した。


『私はもう少し話したかったのだがな……』

「な、なに言ってるのよ! 突然……」


 ミリャトが手で顔を隠しながら怒鳴るように言った。

 なぜ怒っているのだろうか。


「……ビトーが勇者の武器を完成させたら、すぐに処分してあげるわよ。たった数年でしょ。我慢しなさい」


 なにを勘違いしたのか、ミリャトが優しそうな表情を浮かべている。主の命でなければ、帰還を急ぐ必要はない。

 不慮の事故でなければ、命令の達成まではビトーであった方が都合が良いくらいだ。

 主は人間に成り代わる事の有用性を私に説いていた。なにか学ぶべき事もあると、言外に語っていた。ならば、私の状況は主にとって有用なのだろう。私の感情で終了させる訳にはいかない。


 だが、それをミリャトに伝える前に、私の自由は薄れていった。ミリャトはその間、にやにやと気持ちの悪い表情を浮かべていた。




 ーーーーーーーーー。

 ーーーー。

 ーー。


 頭痛が収まったようじゃ。次第に意識がはっきりとしてくる。


「はっ! 寄生蛞が!」


 儂は意識を失う直前の状況を思い出し、慌てて起きあがった。とりあえず死んではおらんらしい。周囲を窺う。


「大丈夫よ。全滅させたわ」


 すぐ横にミリャトがおった。無事じゃったらしい。


「ミリャト! 大丈夫じゃったか!」


 儂はミリャトに向き直り、その肢体を良く観る。怪我もないようじゃ。

 そして、想像通り、寄生蛞に服のほとんどを持っていかれたみたいじゃ。胸や股間の大事な所には、なぜか服が残っとるが、その妖艶な身体が惜しみもなくさらけ出されておる。


 眼福、眼福。


 なけなしの理性で触診は止めた。口惜しさに血の涙を流しそうじゃ。


「貴方が助けてくれたのよ。覚えてないの?」


 無意識にあの寄生蛞の大群を撃退して、ミリャトを助けたのじゃろうか。全く覚えておらんが、儂に英雄かなんかの霊が乗り移ったのかのう。


「そうか、そうか。……全く知らん」

「ふふふ。まあ、良いわ。二人とも無事でなによりよ」


 ミリャトが妖艶に微笑む。美しいのう。


「霧の発生装置は……」

「それも貴方が勢いで破壊したわ。これで王都は守られたわね」


 そうか。ネルメには弟子を助けられた。恩を返せて良かったわい。


「魔族は……?」


 確か魔族が居るかも知れないという話しだったはずじゃ。しかもミリャトは戦えんと。


「貴方に恐れたのかしら。逃げたみたい」

「そうか。じゃが、また王都を襲われたら……」


 新しい工房を求めて旅立つとはいえ、憂いは残したくない。


「霧がなければ、しばらくは大丈夫でしょ。はぐれ魔族だから、一旦潜伏して様子を窺うでしょうからね。それに、王国は早めに魔族の国の属国になるよう決定するでしょう。ある意味魔族の保護下に置かれるわ」


 十年間待つと魔族が言った手前、それを破ろうとする輩は同族でも敵ということか。


「そう言えば、王国が属国になっても、勇者は魔族と戦って良いのか?」

「問題ないわ。挑んで来る分には大歓迎よ。私達も箔付けに持ってこいだしね」


 守られてるんだか、支配されているんだか、良く分からん関係じゃのう。まあ、魔族の国の一員が言っておるんじゃから、問題ないんじゃろう。


「とりあえず任務完了ね。ネルメ殿下と合流して、北に向けて出発の準備をしましょう」


 そうじゃな。新しい工房で、勇者の武器作りが待っておる。


 腕が鳴るわい。

毎週日曜日に更新します。

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