第三話『ビトー』(十一)
王国騎士団の牢。建国当初は王都の周辺にも魔物が出没していた為、殺しきれなかった魔物や研究対象の魔物を閉じこめておく事にも使われていたらしい。
その為、内部の扉は分厚い金属で設えられており、地上階には牢はなく、地下に掘り進む形で拡張されている。
勿論、儂は中に入った事はないが、良く騎士団連中が話をしていたのを聞いていた。
ミリャトが消えていった穴をのぞき込む。聞いていた金属製の扉はなく、延々と暗闇が続いていた。
「先は……、見えんか」
最近、暗闇でも良く見えるようになっていたが、先の方で穴が折れ曲がっているようじゃ。薄暗く壁があるのが分かる。
穴、と言っても真下に続いている訳ではない。滑り降りる事が出来るくらいの傾斜がついている。
「うーむ……」
先ほど、ちらりと見えた魔物の姿は、昨夜儂が戦った魔物の内部に寄生していた奴と酷似していた。おそらくネルメの言っていた寄生蛞じゃ。じゃがそれが無数に絡みつき、一匹の巨大な魔物の形を構成しておった。
太さは儂の胴体よりもある。長さは想像もつかん。
何かに寄生する魔物と聞いていたが、単独で動いているようじゃ。単体と言って良いのか分からん容貌じゃったが。
「勝てる気がせんのう。そもそも儂が戦わんといけないのかのう……」
ここに向かう途中は、ネルメに恩を返すというような言い方をしたが、確実に死ぬような相手に向かうのはのう。
そんな事を思いながら、突入を躊躇していると、目の端に布切れが写った。
ミリャトが纏っていた黒のドレスじゃ。先ほど魔物に捕まった時に破れたのじゃろう。そこそこの大きさが落ちている。あれでは今はほとんど身に付けている布はないんじゃないかの。
「…………。いま助けるぞ! ミリャト!」
儂は勢いをつけて穴に滑り落ちていった。
入り口から見えていた洞窟の曲がり角まで滑り降りる。距離にして建物二階分くらいはあったじゃろうか。
うまく勢いを殺しながら、壁に着地する。思った通り横に穴は続いていた。
傾斜の角度から考えて、元は階段じゃったのだろうか。その足場をあの魔物が削って穴にしたのかも知れん。
曲がり角から続く横穴も、全く光はない。遠くを見れば、壁のようなものがあるので、更に別の方向に穴が続いておるのじゃろう。
歩くのには全く支障が無いほど穴は広い。あの細長い魔物にここまでの広さが必要じゃったのか疑問じゃが、儂としては願ったりなので良いじゃろう。
周囲はむき出しの土壁じゃ。ひんやりとした冷気が壁や足下から伝わり、地下である事を思い起こさせる。
周囲から音はしない。魔物とミリャトはもうかなり遠くに行ってしまったのかも知れん。
急く気持を押さえ、慎重に歩みを進める。突然襲いかかられでもしたら、戦う事も出来ん。強いと思われたミリャトでさえ、簡単に捉えられてしまったのじゃ。儂ではたちうち出来ない可能性が高い。
腰から長剣を抜き、構えながら進む。
「確か霧の発生源があるんじゃったな」
吸血蛞があそこまで増殖したのは、そのせいかも知れない。瘴気、とやらは目に見えんので分からんが、この洞窟内に充満しておるのか。
しばらく進んで、滑り落ちてきた時に見えた壁に行き着いた。やはり横穴へと続いている。
「…………」
儂はごくり、と唾を飲み込むと、横穴に入り込んだ。少し狭くなったが、動けないほどではない。
しかし少し歩いて、儂は己の気楽さを呪った。どうも身体の調子がおかしい。進む度に、内部から膨張するような、吐き気を催す何かがせり上がって来る感覚を覚える。
横穴の中は空気の密度が濃くなったかのように、ねっとりと全身に絡みついてくる。動きが極端に阻害される事はないが、何かに乗っ取られたかのような、自分が自分でないような感覚じゃ。
「う、う……」
儂は不快感に耐えきれず、壁に手をつく。壁がぐちゃりと潰れたようにへこんだ。
「な、なん……!」
なんじゃ、と言おうとして、激しい頭痛に襲われた。
これは、ミリャトに初めて会った時の朝と同じ様な感じじゃ。あの時は飲み過ぎたせいじゃが、昨夜はさすがに飲んでおらんぞい。
瘴気とやらに中てられたのか。徐々に意識が混濁してくる。こんな所に魔物なんか現れたら確実に殺されてしまう。
ぞわり、と背筋に冷たいものを感じた。穴の奥の方、儂が進んでいる方向から何かが向かって来るのが見える。
「ち、ちくしょう……」
悪い予感が当たってしもうた。寄生蛞の集合体がこちらに向かって来ておる。ミリャトをさらったのとのは別かもしれん。少し小さい気がする。
寄生蛞は臭いを嗅ぐように、頭と思われる部分を左右に振りながら進んでいる。まだ儂には気づいていないのかも知れん。しかし確実に此方に向かっている。発見されるのは時間の問題じゃろう。
頭痛も激しくなって来ている。意識を保つのが困難になって来たほどじゃ。儂は朦朧とする中、立っていられずにその場にへたり込んだ。
寄生蛞はまっすぐに儂に向かっている。
「……、こ、このままじゃ、確実にやられてしまうの……」
立ち上がれんし、昨日のように蟲玉みたいなもんを吐き付けられたら、避ける事も出来んじゃろう。
儂は力の入らん足の代わりに、腕にありったけの力を込めた。左手で体を支えつつ、右手を振り上げる。
力を込めるほど、右腕は赤黒く膨張し、まるで魔物のような様相を見せ始める。冷静な時であれば、腕の変化に驚くところじゃが、目の前に魔物が迫っておる。
右腕はいつもの二倍ほどに膨れた。それでも力を込めるのを止めないと、今度は白く光り出し、縮小を始めた。いや小さくなっているではない。圧縮されているのじゃ。剣を作るとき叩けば叩くほど鉄が洗練されるのと同じく、力を込めるほど、その力の純度が増していった。
やがて白銀のような腕になる。儂は振り上げた体勢のままで、寄生蛞の様子を窺った。
寄生蛞は目が見えないのか、腕の光に気が付いた様子はなかった。しかし、儂が放つ重圧に反応したのか、こちらを見ている、ようじゃ。
やがて頭、のような部分を下げ、こちらを威嚇するような体勢を取った。
いや、威嚇ではない。あれは、飛び掛かろうとしているのじゃ。昨日の蟲玉の固まりのような体をしておるのじゃ。儂に体当たりをぶちかまして体内から食い破るつもりなのかもしれん。
その様を想像して、ぞっとしながらも、儂は動かなかった。いや、動けなかった。頭痛は更に激しさを増している。腕以外、身体に力も入らん。避ける気もせん。
「ぐじゅる……」
寄生蛞の身体の隙間から、粘液のようなものが滴り落ちる。それがこちらにも響いて来た。これがこいつの鳴き声なんじゃろうか、と場違いな感想を覚える。
寄生蛞が身体に力を入れているのが分かる。後ろの蟲から順番に緊張し始めている。
まだ距離はあったが、寄生蛞が動いた。それはミリャトを捕らえた時と同じく、素早い。
どん、と音がしたような気がする早さで、寄生蛞が儂に向かってきた。
それは矢の如く、まっすぐに儂に到達しようとする。
儂は反射的に右手を振り下ろす。握っていた長剣を寄生蛞に投擲する為じゃ。
長剣は寄生蛞に向かって飛んでいった、ような気がする。
その軌道が光の線になっている為、かろうじて分かるというような早さじゃった。次の瞬間、遠くで激しい爆発音がした。
そして目の前の寄生蛞が。
「ぐじゅるぅらぁあ!」
粘液をまき散らしながら、四散した。
土壁じゅうに寄生蛞の残骸が叩きつけられる。しばらくぴくりぴくりと動いていたが、やがて完全に沈黙した。
「……はあ、はあ」
儂は寄生蛞が動かなくなったのを見届け、這い蹲りながらそちらに向かっていった。
「やったかの……」
儂はどうにか立ち上がる。ふらふらと壁を伝いに歩いた。
見下ろす寄生蛞の残骸に動いている奴はおらん。完全に死んだようじゃ。
「ぐうう……」
再び頭痛が激しくなり、儂は頭を押さえてしゃがみ込んだ。
「ぐあああぁぁ!」
身悶えして頭を冷たく堅い土床に叩きつける。それで頭痛が収まる訳ではないが、耐え難い痛みに、無意識に身体が動く。
まるで、身体が頭を拒絶しているようじゃ。
じゃが、痛がっている暇はなかった。
遠くから、大量の何かが這う音が響いてくる。そこで儂は自分の失敗に気が付いた。
「け、剣……」
長剣を投げて洞窟に響きわたる様な大きな音を立ててしまった。もしかすると寄生蛞の巣にぶち込んじまったのかも知れん。
長剣が向かって来た方角に、寄生蛞が集まって来ているようじゃった。
「ぐうう……」
頭痛が収まった訳ではない。再び頭を抱える。
瞬時、遙か穴の奥から、おぞましい数十の寄生蛞がこちらに向かって来るのが目に入った。我先にとこちらに向かっている為、寄生蛞の壁がせり上がってくるようじゃ。
それは洞窟の壁いっぱいに広がっている。空気をこちらに押し返しながら進んでいるのが、吹き付ける風で分かる。
濃い空気じゃった。おそらく瘴気が濃いのじゃろう。重い、密度の高い瘴気じゃ。
「ぐあああ!」
頭の痛みに耐え切れず、儂は叫ぶ。それと同時に濃密な瘴気を身体に取り込んでしまった。
「うぐっ!」
身体が破裂するような錯覚に襲われる。身体の奥底から、何かがせり上がってくる。
儂は首筋をかきむしりながら、必死にそれを押さえる。
それ、とはなんじゃろうか。儂は何を押さえつけておるのか。
死んだかも知れん。寄生蛞の大群がこちらに向かっている中、身体の自由が効かない。
身体中から何かが吹き上がるのを感じ、儂は意識を手放してしもうた。
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