第2話 二十八年ぶりのギター
部室は、二十八年前と同じ匂いがした。埃と、汗と、安いスプレーのりと、青春の匂いだ。
ジャンクビートの現役部員は七人。部長でギターの立花、ベースの二階堂、ドラムの大森、あとは幽霊部員が数名。俺を勧誘した立花は、俺が部室に足を踏み入れた瞬間、部員たちに向かって高らかに宣言した。
「新入部員の熊沢豪さん! めちゃくちゃ綺麗だけど怖い人!」 「誰が怖いだ、誰が」 「ほら怖い!」
部員たちは一瞬固まり、それから妙に温かく迎えてくれた。まあ、悪くない連中だった。この時点では。
備品の古いレスポールを借りて、二十八年ぶりに構えた。指は覚えているだろうか──杞憂だった。この身体は二十歳だ。関節は軽く、指はよく開き、四十六歳の脳が覚えているフレーズを、二十歳の指が正確になぞった。ブランクのあるおっさんの記憶力と、若い身体の運動性能。組み合わせると、ちょっとした化け物ができあがる。
弾き終えて顔を上げると、部室が静まり返っていた。
「……熊沢さん、何者……?」 「昔ちょっとな」
その日から、俺の平穏な計画は音を立てて崩れ始めた。
まず立花が、毎日俺の講義終わりに「合わせませんか」と待っているようになった。断る理由もないので付き合った。次に二階堂が「ベースラインの相談」に来るようになった。乗ってやった。大森が「リズム隊として意見が欲しい」と言うので、飲みながら朝まで語った。ついでに麻雀も教えた。卓を囲めば人間がわかる。営業時代からの持論だ。
全部、後輩の面倒を見ただけだ。二十四年、会社でやってきたことと同じだ。
だが、ある日の練習後。機材を片付けていると、立花がやけに神妙な顔で寄ってきた。
「熊沢さんって……その、二階堂と、サシで飲んだって本当ですか」 「あ? 飲んだけど」 「お、俺ともこの前、二人でスタジオ入りましたよね。あれって、その……」 「練習だろ。何が言いてえんだ」 「いや……いいんです。俺、わかってますから。熊沢さんが俺のこと──」
わかってない。何もわかってない。だが俺は、このときまだ気づいていなかった。同じ頃、二階堂は「サシ飲みに応じてくれたのは俺だけ」と信じ、大森は「朝まで一緒にいたのは俺だけ」と確信していたことに。
全員に同じことをしている。それが俺の平等というものだ。
しかし恋する男子大学生の目には、平等は映らない。俺だけ、しか映らない。
新歓ライブを二週間後に控えた部室で、三つの「俺だけ」が、静かに膨張を始めていた。
(第2話・了)
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