Episode.9
アウグスタ子爵は小さく息を吐いた。
「‥‥では、当人に伝えてください。私はもう皇城へ行かねば。ミネルバもそろそろ準備が終わった頃でしょう。呼んで参ります」
ミネルバに会わせて貰える事に、シリルは素直に喜んだ。
(――ん?皇城?)
シリルが顔を曇らせると、子爵は仕方ないと言うように教えてくれた。
「‥‥陛下に呼ばれているのです。皇命が反故になるので、話をしない訳にはいきません。それ以上の事はないでしょう」
「陛下が次の嫁ぎ先を提案したら、どうするのですか?」
シリルが焦りを隠せず聞くと、子爵は困ったように微笑った。
「陛下もそんな無慈悲な事はしないでしょう。国にとって損失になるでしょうから」
そんなことをされれば国を出ると暗に言っている。子爵は存外気が短いようだ。
子爵は扉に手をかけ、去り際に振り向いた。
「私は娘に幸せになってほしい。こうなってしまっては、公爵家に嫁がせるのは反対です。――が、娘が希望するなら仕方ないと思っています」
シリルは思わず立ち上がった。
「アウグスタ子爵、それは健闘を祈るということですか?」
「貴方次第ということです。では」
子爵はそう言うと、部屋を出て行った。
シリルは後ろに控えているライナスに振り返った。
「今のはミネルバ嬢に気に入られれば婚約を許すという事だよな?」
ライナスも驚いているようだ。
「ええ。私にもそう聞こえました。良かったですね。アウグスタ子爵が寛大な方で」
「ああ‥。はっ、もうすぐミネルバ嬢が来そうだな?ライナス。大丈夫か?変なところはないか?」
シリルを改めて見て、ライナスは眉を顰めた。
「変‥‥な所はございませんが、敢えて言わせてもらうなら前のボタンを全て留めた方がよろしいかと」
「しかし、ここは閉まらないんだ」
アレックスの服を借りているため、シリルには少し小さい。
(アレックスの上半身はペラペラだからな。全く。引きこもりの俺より胸板が薄いなんて‥‥)
「はしたないか‥‥?」
「‥‥‥‥」
シリルが見上げながら言うと、ライナスは怪訝な顔をしてシリルを見た。
「シリル様、失礼ながら本当に十六歳ですか?熟年の風格と申しますか‥‥ちょっとご令嬢には刺激が強いような‥‥このままご令嬢にお会いして大丈夫か‥‥?」
「何を言ってるんだ」
また訳の分からない事を。ライナスはどう見てもシリルよりも歳が上だ。十六の少年に向かって熟年だと?‥‥いや、まて。最後何て言った?このまま会ってまずいならどうすればいいか教えてほしい。
シリルが更にライナスを問い詰めようとした時、コンコン!と扉のノック音がした。
シリルは慌てて席に座る。
「どうぞ」
扉が開くと、ようやくミネルバが現れた。淡い水色のレースが編み込まれたドレスを着ている。ミネルバの空色の瞳と相まって、なんとも美しい。
シリルが見惚れていると、ライナスが小突く。
「シリル様」
「あ、ああ。アウグスタ嬢、突然の訪問申し訳ありません」
シリルが言うと、ミネルバは困ったような戸惑うような表情をしている。
「私の方こそ、お待たせして申し訳ありません」
ミネルバが頭を下げると、金糸の髪がさらりと流れた。夜会では結い上げられていた髪が、今日は緩く巻かれて降ろされている。思わず手を伸ばしてしまいそうになり、シリルは手に力を込めた。
「いや、俺が急に来たから‥‥申し訳ない。引きこもっていた為に貴族の礼儀に疎いのです。これから勉強しなければなりませんね」
シリルはこの件に関しては心から反省していた。明日にでも社交のマナーの教師を呼んでもらいたい。
「貴方に謝る事が増えてしまいましたね。今日は改めて謝罪をしに来たのです」
シリルの言葉にはミネルバはピンときていないようだ。少し小首を倒した。
(可愛いな)
「昨日の謝罪だけでは足りないと思いまして。兄の件と、私の不甲斐なさに対する謝罪です」
シリルが真摯に言うと、ミネルバは困ったように微笑んだ。
「不甲斐ないだなんて‥‥兄君に逆らうなんて、葛藤があったと思います。あの時、助け舟を出して頂けただけで充分でございます。まだお礼を言っておりませんでした。感謝しております」
もう一度頭を下げようとするミネルバを、シリルは慌てて止めた。感謝はされる覚えはない。
(下心あっての事だし‥‥)
思わず肩を掴んでしまい、慌てて離した。
「あっ、も、申し訳ない」
ガツン!
「うっ」
慌てて飛び退いたので、机の角に脛をぶつけた。痛みを堪えていると、ミネルバが小刻みに震え出した。
「アウグスタ嬢?」
「ふ、ふふっ。そんなに慌てなくても‥‥」
花が綻ぶようなその笑顔に、シリルの脛の痛みはすっ飛んだ。
Episode.9も読んでいただきありがとうございました。
ようやくミネルバが出て来ました。
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