Episode.10
ミネルバの可愛らしく微笑う姿に、しばし目を奪われる。シリルは思い切って聞いてみた。
「しかし、お嫌でしょう?元婚約者の、しかも貴方に辛く当たった男と同じ顔の者に触れられるなど‥‥」
シリルは今日、出来る限りお洒落をして来た。家着の様な格好でミネルバに会いたくはなく、アレックスの服を借りてでも、ミネルバに格好良く映りたかったからだ。支度の際に、メイドが言った。
『前髪をお切りしてもよろしいですか?』
前世の感覚が蘇り、以前の様に誰の目にも映りたくないとも、引き籠ろうとも思わなかった。故にこの長ったらしい前髪は邪魔でしかない。
だが、アレックスと同じ顔に、ミネルバが少しでも嫌悪感を示したら――‥‥シリルはゾッとした。とりあえず切るのはやめて、上げてもらうだけにした。
(ミネルバの反応を見て決めようと思ったのだが‥‥)
反応を見るのが怖い。恐る恐るミネルバを見ると、大きな空色の瞳できょとんとしている。
「昨夜も申し上げましたが、シリル様とアレックス様は全く違います。触られても、‥‥‥嫌ではありません」
シリルはミネルバを見つめていたので、すぐに気付いた。最初は普通に言葉を紡いでいたのに、最後の言葉でミネルバが詰まった事に。更に言った後、顔が紅くなっているではないか。
(触っても嫌ではないだって?)
前のめりにミネルバの顔を覗き込む。
「良いのですか?触っても?」
ミネルバはいきなり距離を詰めたシリルに驚き、後退った。ソファーに足をとられ身体が傾く。シリルは咄嗟に倒れるミネルバの腰を支えた。ミネルバに覆いかぶさらないよう、片手で支えてはいるものの、吐息を感じる程近付いていた。
「すみません、驚かせてしまいましたね」
シリルは我に返り、身体を離してミネルバを起こした。自分の欲望を抑え込むのに必死だったので、ミネルバの様子に気付いていなかった。起こされたミネルバは微動だにしない。顔を見ると、これでもかと言うほど真っ赤だった。その目には涙が浮かんでいる。
(な、泣かせた!?)
シリルは頭を殴られたように衝撃を受けた。
固まっていると、ミネルバが声を絞り出して言った。
「ま、前を留めてください‥‥」
何の事を言っているのか瞬時には理解出来ず、オロオロしながらライナスに視線を送る。ライナスは蒼白な顔で自分のシャツのボタンを指差した。
(やっぱりボタンか!)
「も、申し訳ない。見苦しいですよね?」
なぜだか恥ずかしくなり、シリル自身も顔が紅くなるのを感じた。
シリルが確認するようにミネルバを見ると、ミネルバはもはや両手で顔を覆い、シリルを見ないように努めている。
(そ、そこまで‥‥)
シリルは泣きそうな気分で再度謝罪した。
「本当に申し訳ない。これは兄の物で、サイズが合わずボタンが留められないのです」
前が開いているとは言っても、第二ボタンまでだ。そこまで重要視していなかった自分に腹が立つ。
(当然だ。貴族のご令嬢なんだぞ。男の上半身など見たくもないだろう)
もう帰った方がいいのではないかと思い始めた時、ミネルバは覆っていた手を離し深呼吸した。
「いえ、私こそ騒いでしまって申し訳ありません。びっくりしただけで、もう大丈夫です」
そう言って紅くなった顔をパタパタと手で冷まそうとしている。その仕草すら可愛いらしいと思ってしまう。
「サラ、お茶を入れ直してくれる?」
ミネルバが侍女に声をかける。まだ居てもいいのか!とシリルの沈んでいた感情が浮上した。
「ライナス」
名前を呼ぶと、顔色の悪かったライナスがサッと従者の如く箱を差し出した。先ほど買ったケーキだ。
「手ぶらで謝罪に来る訳にはいきませんので、ケーキをお待ちしました。お好きなものはありますか?」
シリルの言葉にミネルバの表情が明るくなった。
「まぁ‥‥!こんなにたくさん」
(甘い物が好きなんだな)
シリルはその事実を脳内に刻み込み、きらきらと輝く目でケーキを見るミネルバを見つめた。
会うたびにケーキを買って来なければ。あ、そういえば一つ減らしたのだった。シリルは一応確認した。
「桃のケーキはないのですが、大丈夫でしょうか」
メイドが近付いて来て、ケーキを皿に移す。
「お嬢様は桃のアレルギーなのです。ご存知だったのですか?」
シリルは少し目を見開いた。
「いえ。それは偶然です。桃は私も好きではありませんので、排除して正解でした」
我知らず、にやりと笑みが溢れる。機嫌の良かったシリルは気づかなかったが、後ろに控えていたメイドが数人小さく声を上げた。
訪問はケーキを食べて、少し談笑して終わった。ライナスは胸を撫で下ろして、帰りの馬車でシリルに言った。
「次からはくれぐれも、先触れと、シャツのボタンを気をつけて行きましょう」
「そうだな。年頃のご令嬢に不快なモノを見せる訳にはいかないからな」
真意がいまいち伝わっていないが、ライナスは後はメリザに任せようと思った。
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