Episode.63
ミネルバが案内された部屋は二階だった。窓の外にはヴェラと黒い服装の男が二人いる。危ない足取りで移動するミネルバを補佐しながら中庭に降りた。
ヴェラが手招きする方向に、庭師が使う小屋のような建物がある。
「ひとまずあちらへ」
ミネルバは重たいドレスの裾をつかみ小屋へ向かった。
小屋の中には箒や梯子などが置いてある。ヴェラは低めの台に布を掛け、簡易的な椅子を用意してくれた。
ミネルバは荒くなった呼吸を整えてヴェラに聞いた。
「ヴェラ、お父様はどこかしら?皇城で待ち合わせをしていたのだけど」
「アウグスタ子爵は来られません。帰路を塞がれたと連絡を受けました」
「えっ……!お父様は無事なの?」
「ええ。ご安心を。子爵はご無事です。おそらく皇妃の仕業でしょうが、詳細はまだ分かりません。皇妃はあの部屋に貴方を案内し、第二皇子にエスコートをさせようとしていました。その場で第二皇子とミネルバ嬢を婚約者だと紹介するつもりだったのでしょう」
ミネルバは絶句した。
「えっ…!でも、婚約の件は陛下に確認するまでお待ちいただけると……」
「ええ。皇妃が同意したのを、シリル様も確認しております。ですが皇妃は思ったよりこの婚約に力を入れているようで……公の場で発表してしまえば覆せないと思ったのでしょう」
ミネルバはゾッとした。確かに皇城でのパーティーで宣言したことを覆す事は難しい。皇城で発表した、皇族との婚約を破棄しようものなら、アレックスとの婚約破棄とはレベルが違う。ミネルバはもちろん、アウグスタの家名も地に落ちる程の醜聞になるだろう。
ザッザザッ。ノイズ音が耳に響いた。
「なんだ?」
ヴェラが言う。耳元に付いている魔道具から聞こえる声に答えているようだ。
ヴェラの表情が曇る。
「皇妃の侍従が部屋からいなくなったことに気付き、探し始めたようです。移動しましょう」
ミネルバはヴェラに付いて中庭を抜け、先ほどとは違う棟に入った。
(ひ、広すぎるわ)
皇城なんて、大きなパーティー以外に来ることはない。皇帝陛下のお気に入りなどと言われても、片手で数えるほどしか来たことがないのだ。ミネルバは皇城から出ようとしているのか、奥に行こうとしているのかすら分からない。
(ここは使用人の棟かしら?正装した貴族が見当たらない……)
少し進むと、ヴェラが手で制止した。
「ちょっとお待ちください。想定外の人数の気配があるので見てきます」
ヴェラは小声で素早く言うと、体勢を低くして角を曲がって行った。この建物に入ってから、先ほどいた男の人達がいなくなっていた。外の見張りをしているのか、見えない場所から見張ってくれているのか。
ミネルバは一気に心細くなった。そして気のせいだと思いたいが、ミネルバが来た道から声がする。
(人の声かしら……誰か来る?)
声はすぐに近づいてきて、気のせいではないことが分かった。どうすれば良いか分からず、咄嗟にカーテンに身を隠した。
(誰かしら?皇妃様の侍従だったら、見つかってしまえば第二皇子殿下の婚約者にされてしまうの?)
第二皇子に掴まれた肩の感覚を思い出し、全身に寒気が走る。深呼吸して、カーテンの裾の握りしめた。
(……でも、誰と婚約しても同じかもしれない)
想い人でなければ、誰であろうと同じことだ。ミネルバは、いつも堂々としている割に、自分の前でだけ自信のなさそうな紫暗の瞳を思い浮かべた。自然と目に涙が溜まる。
「――ミネルバ?」
カーテンが乱暴に開いた。だが聞きなれた声にミネルバの全身に安堵が広がる。
「シリル様……」
安堵でぼろぼろと流れる涙を見て、シリルが目を見開いている。紫暗の瞳がみるみる怒りに染まっていく。
「な、何かされたのですか?言ってくださいそいつの名を」
怒りに震える声に、ミネルバは微笑って首を振った。聞いてどうすると言うのか。自分の名を。
まさかシリル自ら来てくれるとは思わなかった。シリルの袖口の琥珀のカフスが光る。柔らかな金色にも見える琥珀の色が、自分の髪色に似ていることは知っていた。シリルに似合うと思い選んだつもりだったが、本心では自分の色を身に着けていてほしいと思ったのも事実だ。
「……シリル様は、どうしてそんなに親身になってくださるのですか?」
「どうしてと言っても、嫌でしょう?あんな男の婚約者になるなんて」
「それはそうですが、シリル様に得がないではありませんか」
「得?俺は第二皇子でなくても、だれであっても邪魔をしますが?」
「……え?」
「え?」
二人は顔を見合わせた。呆然としたあとにシリルが思案しながら口を開く。
「……ミネルバ。あの夜会での俺の申し出を、忘れている訳ではないですよね?」
――申し出。まさかあのことだろうか。だってあれは――
「婚約の件ですか?心変わりされたのでは……」
「――してません!」
シリルが信じられないというように声を荒げた。
ミネルバは一瞬思考が止まりそうになるのを堪えて声を出す。
「えっ…!で、ですが、あれ以降その事について全く触れなくなったではありませんか……!」
「――それは……!」
「お二方、白熱しないでください。潜んでいる事を忘れずに」
シリルが口を開きかけた時、後ろにいたライナスが口をはさんだ。
「主、もう行かねば。お時間です」
ライナスに促され、戻ってきたヴェラと共に移動した。声が聞こえていたのだろう。合流した際に、ヴェラがシリルをじとりと非難を込めた目で一瞥した。
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