Episode.29
『痛い所をつかれましたね』
静まりかえった馬車の中にライナスの声が響く。
「俺に頼れる家門がないのは事実だからな」
『家門の問題は直近では難しいですが、邸内で私以外の者を使うことは難しくないはずです。帰られたら早急に検討してください』
「帰ったらな」
この問題も早急になんとかせねばならないとは思っている。シリルに専属で仕えているのは、現状ライナスのみ。護衛、伝達、情報収集、その他もろもろ。ライナスが不休で、文句を言いながら行なっている。
これは解決出来る問題だ。ただ億劫だからしていないだけで。
(護衛は今は不要と言って他の仕事に回ってもらっているが、流石にもうキツいよな。戻ったら公爵に掛け合ってみるか)
『ところで主、行き先は合ってますか?』
「ああ。その為に今日は家紋のない馬車で来たんだからな」
ローレンス伯爵邸を出たあと、シリルの乗った馬車は公爵邸ではなく皇都の歓楽街へ向かっていた。
◇
アカデミーから小一時間馬車を走らせ、皇都の中央区にある歓楽街で馬車を止めた。
酒場が連なり、所々に娼館もあるのだろう。女性が客引きをしている。
「あら!綺麗なオニイサン!うちに来ない?」
「ほんとウ。いい男。こちらへ来てヨー」
(訛りがあるな。やはり隣国からも流れてきている)
「お嬢さん方、申し訳ない。今は急いでいるんだ」
呼び込みの女性達をひらりとかわす。
シリルはフードを深く被り、目的の店を探した。そして一際大きな酒屋の前で止まった。
【酒場ミレーヌ】
大きな目立つ看板だ。
カランカランと扉の鈴を鳴らしながら店内に入った。
店内は広く、にぎわっている。大きな大剣を持つ者もいる。
(冒険者か?)
魔法の杖らしき棒を持った女性。鎧を来た大柄な男。貴族社会しか知らなかったが、ファンタジーの世界にいることに実感する。とりあえずカウンターへ座り、棚一面に並ぶ酒瓶を見ながら目的の人物を探した。
(いないな。たしかマスターって言ってたよな。奥にいるのか?)
その人物との会話を思い出しながら、シリルは店員に声をかけた。
「エールを二つ貰えるか?それと、マスターを呼んでくれないか」
カウンターでシャカシャカとシェイカーを振っていた男が怪訝な視線を向けた。頬に大きなナイフの傷跡がある。何ともまあ、カタギの雰囲気ではなさそうな男だ。
「マスターは私ですが?」
男は低い声で言った。脅すような声だが、シリルは気にせずに更に言った。
「ふうん?じゃあマスターは二人いるのか?俺が会いに来たのはもう一人の方だ。ここに来て、これを見せれば会えると言っていた」
シリルはポケットからシルバーの板のチャームを出した。表面にはMの文字が刻印してある。
「少しお待ちを」
男はチャームを一瞥すると、裏へ消えていった。
しばらくして他の店員がエールを二つ運んで来た。一つは背後に立つライナスの分だ。
「ライナスも座れ。立ってたら怪しまれるだろう」
ライナスはそれもそうか。という顔をして隣に座った。
「ところで、成人は16歳からだよな」
「はい?そうですが‥‥」
ライナスが怪訝な顔をして答えると、シリルはエールを手に取った。ごくごくと喉を鳴らして飲む。
(ビールほどじゃないが、久しぶりのアルコールは効く)
ひとしきり飲んでグラスを置くと、ライナスがぽかんとこちらを見ている。
「何度も言いますが、主はほんとに年齢を詐称してないですか?」
しまったと思いつつ、焦らずに答える。こういう時は焦ったら負けである。
「そんな訳ないだろ。何回言わせるんだ全く」
「しかし、先程の客引きへの対応と、エールの飲み方が16歳のそれではありません」
「お前は飲まないのか?」
シリルは話をそらした。
「仕事中ですから」
そう言われると、我慢出来ずに飲んでしまったシリルは後ろめたく感じる。
「あれっ?本当に来てくれたんだね。旦那」
奥から現れたのは、赤い髪をした背の高い男だ。こうして改めて見ると、ライナスの調べた人物と見た目が合致する。
長身で赤い髪に黒い瞳。整った顔立ち。情報ギルド【聖女の烙印】のボス、レオンハルト。
シリルが彼に出会ったのは、先月、隣国へ訪問した時だ。レオンハルトは誰も通らないような路地に傷だらけで座り込んでいた。
助けた初日は意識が朦朧としており話せなかったが、二日目には話せるようになり、三日目には起き上がり、四日目で帰って行った。死にかけていたと言うのにものすごい回復力だ。
『ありがとう旦那。君は命の恩人だ。俺は皇都の一番大きな酒屋でマスターをやってる。来てくれたら精一杯もてなすよ』
去り際にそう言うと、胸にかけていたチャームを渡してくれたのだ。その時は彼が何者かは分からなかった。
(ライナスの報告で、まさかとは思ったが‥‥本当に本人だったとは)
情報ギルド【聖女の烙印】は帝国で――いや、大陸で一番大きな情報ギルドだ。拠点は隣国だが、帝国にも細かな情報網を持つ。
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