Episode.27
シリルはミネルバの足音が遠ざかって行くのを確認すると、掴んでいるバレル令息の腕を離した。――離したというか、払うように突き放したので、バレル令息は床に尻もちをついた。
シリルが黙ったまま見下ろしていると、バレル令息は腕を擦りながらずりずりと下がった。背が壁に着くと、更に逃げようと視線を左右に動かす。その顔の横へ片足を踏み出し、逃げ場を塞いだ。
「アカデミーでの生徒の喧嘩は御法度だぞ!ましてや剣を使うなんて!」
震えながらバレル令息は口を開く。シリルは自分の右手が剣の柄を握っていることに気付いた。無意識だったが、バレル令息が震えるのも分かる。
騎士科の生徒が、授業以外で剣を抜くなど退学処分だ。
「分かってるさ。だから抜いてないだろう?まだ」
冷ややかな目で、口元に笑みを浮かべて言った。剣を抜くつもりなど全くないが、ここぞとばかりに脅しに使う。
使うつもりがないのは、剣を持たない相手に対する倫理観ではない。弁解の為に言うと、それも少しはあるが、大半は"退学になるから"だ。高度な魔道具が付いているから、少しでも抜けばすぐにバレてしまう。
(木剣も真剣もそんなに変わらなかったな)
シリルは前世の記憶が戻ってからこちら、思うことがあった。
(やはりこの感覚もこの世界特有のものなのか?)
――人に刃先を向けることへの抵抗感の欠如。
出来ることなら、一番相手が恐怖を感じる方法で忠告しておきたい。剣で脅してでも何でも。
"引き籠もりシリル"と前世の自分が融合し、性格ががらりと変わったとはいえ、引き籠もりシリルの本質的な部分は少し残っている。暗く卑屈で、陰湿とまで言われた一面だ。陰気な部分はまだしも、その陰湿な部分はミネルバには知られたくない。‥‥出来れば消してしまいたい。
シリルは口元の笑みを消した。
「お前の父親は欲が強すぎて忠告を聞かない。お前が自分で言え」
「な、何を」
シリルは胸ぐらを掴んだ。バレル令息のシャツのボタンが二つ、糸が切れて転がっていく。
「お前の頭は飾りなのか?アウグスタ嬢への婚約の申し出を辞退すると言うんだ」
苛立ちを抑えるのが大変だ。
「い、言えない。そんなこと」
「はぁ?」
シリルは手に力を込めた。
「お、お前も怖いけど、僕は父上も怖い」
バレル令息は震えながらぼそぼそと呟く。
(こいつから父親に言うのは無理そうだな)
掴んだ胸ぐらを乱暴に放す。壁に背中を打ち、バレル令息が呻いた。
「うぐ」
「もう二度とアウグスタ嬢の近くをうろつくなよ。視界にも入らないよう気をつけろ」
シリルは吐き捨てるように言い、その場を離れた。
その日の夕刻。シリルは神妙な面持ちで馬車に乗っていた。‥‥とても緊張している。
理由としては、目の前にミネルバが同乗しているうえに、その隣には彼女の友人であるアリア・ローレンス伯爵令嬢が、シリルを品定めしようと凝視しているからだ。
発端は放課後。経営学の授業が終わるのを見計らって、シリルはミネルバに会いに行った。バレルの事もあるし、子爵邸まで送るつもりだったのだ。
ミネルバには最初は遠慮して断られたが、何度か言うと了承してくれた。
(一緒に居る時間が増えるし、心配だし、送らないという選択肢はない)
そうしてアカデミーの門の前でミネルバを待っていると、現れたのは彼女一人ではなかった。
「はじめまして。ラウザー公爵令息。ローレンス伯爵家の長女、アリアと申します。私もミネルバが心配ですので、同乗してもよろしいでしょうか」
綺麗なカーテシーとは対照的に、瞳には警戒の色が見える。それはそうだ。ミネルバを邪険に扱った元婚約者の弟で、良くない噂のある男が友人に近付いているのだから。
ライナスの報告では、移動教室から戻るのが遅かったミネルバを心配して、旧校舎のすぐそばまで来ていたらしい。
ミネルバの友達ならば、できれば嫌われたくはない。印象が悪いなら尚の事だ。
「どうぞ。ローレンス伯爵令嬢。ローレンス伯爵邸までお送り致します」
「あ、いいえ。アリアは今日うちに遊びに来る予定だったのです。なので子爵邸までで大丈夫です」
「‥‥そうなのですね」
(放課後に家を行き来する仲なのか)
うらやましい。
御者の席に座っているライナスの声が魔道具から耳に届く。
『主、羨ましいとか思っていませんか』
うるさいぞ。
心中でライナスに返事をして、二人を馬車へエスコートした。
「不思議ですね」
若干の重苦しい空気の中、口を開いたのはアリアだった。アリアの視線は未だシリルに向けられている。
シリルは自信なく答えた。
「なにがでしょう?」
「ラウザー令息がミネルバに親切にすることが。です」
歯に衣着せぬというか、率直な言葉にどう返事を返せばいいか分からない。ミネルバも隣でおろおろと狼狽えている。
「ローレンス嬢、私がミネルバに親切にするのは当然の事です」
「ミネルバ‥‥名前で呼ぶほど親しくなったのですね」
アリアがチラリとミネルバを見ると、ミネルバが大きく頷いている。
「ラウザー公爵家がミネルバにした行いは、賠償金だけで済むことではありません。私は彼女に出来る限りの助力をするつもりです」
「そうですね。助力をするのがものすごく遅いとは思いますが」
馬車の温度が少し下がった。
「アリア、シリル様は何も悪くないでしょう。婚約破棄の問題も、私とアレックス様の問題だったもの。シリル様には関係ないわ」
追い打ち。ミネルバはシリルを庇っているつもりだろうが、関係ないと宣言されたシリルは顔に微笑を張り付けたまま固まった。
読んでいただきありがとうございます。
いいね、ブクマ、コメント等いつも励みになっております。




