Episode.26
「アウグスタ嬢!」
選択授業での移動教室の帰りに、ミネルバは乱暴に肩を摑まれた。
驚いたが、相手の顔を見て納得した。ヒューバート・バレル。先日、シリルにも相談してしまったが、アウグスタ子爵家が今、揉めに揉めている家門の子息である。
2週間ほど前のこと。
魔石の研磨、商品製造と販売。全て担わせてほしいとバレル男爵は言ってきた。バレル家にはそれが可能な商会がある。その提案自体は悪くなかったのだが、問題は高く設定された仲介料だ。そこに難色を示すと、バレル男爵はこう言った。
『本当でしたら、この仲介料をいただくのですが、もう一つ提案がございます』
このもう一つの提案を掲示されたあとは、子爵は首を縦に振ることはなかった。
その提案とはバレル男爵家の子息、ヒューバート・バレルと、ミネルバ・アウグスタが婚約を結ぶこと。ラウザー公爵家との婚約が解消になった後だったので、バレル男爵は更に言ったのだ。
『公爵家との婚約が白紙になったとなると、お嬢様を貰う家門はまともなところがありませんでしょう?』
わざとなのか、天然なのか、バレル男爵は見事にアウグスタ子爵を怒らせて商談は終わった。アウグスタ子爵は検討の余地もないと思っているが、バレル男爵はそうではなく、押せばいけると思っているようだ。
‥‥‥さすが粘り強さで、一介の商人から男爵にまで昇りつめた男だ。
「お離しください、バレル令息。バレル家とアウグスタの話はもう終わったでしょう?」
「終わってなどいません!」
ヒューバートの声が廊下に響く。
アレックスの件があるので、目立ちたくないと言うのに。ミネルバはサッと周りを見渡した。すぐに違和感に気づく。
(変だわ。廊下に誰もいない)
ミネルバが周りを見回した事に気付くと、ヒューバートの口元が僅かに歪んだ。
「この校舎は普段使われないから、人通りがなくても不思議ではありません」
ミネルバの選択している魔石研究の教授は変わり者で、旧校舎を使う。この科目を選択している生徒も少なく、他の廊下を通るよう言えば問題のない場所だ。
ミネルバのスケジュールを予め調べていたのだ。ミネルバはゾッとした。
振り返って走ろうとしたが、腕を摑まれた。
「うっ」
「待ってください!子爵に何度も手紙を送ったはずです。なぜ返事を下さらないのですか?」
「私に言われても困ります。お父様が返事を送らないことが答えです」
ミネルバが脛を蹴飛ばしてやろうかと考えた時、廊下に足音が響いた。走ってはいないが、早い。歩いているとは思えない速さで足音は近付いて来る。
「チッ、誰だ?」
ヒューバートは舌打ちをして顔を上げると、みるみる蒼白になっていった。
足音はミネルバの背後でとまった。振り向くと、壁‥‥いや、シリルが真後ろでヒューバートの手をものすごい形相で見下ろしている。
ヒューバートはすぐに手を離したが、シリルはヒューバートの腕を掴んでねじるように持ち上げた。
「うぁぁっ」
痛みにヒューバートが呻いた。
「うるさい」
シリルは呻くヒューバートの腕を更に捻る。ヒューバートは口を無理やり噤んだ。
「シリル様」
自分も蹴飛ばそうとしていた手前、強く言えないが、ミネルバは止めようとシリルの裾を引っ張った。
ヒューバートの腕が青紫に変わっていく様を見ると、自分が脛を蹴っていた方がヒューバートにとっては良かったのかもしれない。
「ライナス。ミネルバ嬢と一緒に戻っていてくれ」
「はい」
いつからいたのか、振り向くとライナスが後ろに控えていた。
「えっ、シリル様は」
「俺はこのストーカーをころ‥‥さずに、二度と貴方の前に出て来ることのないようにしようかと」
シリルから過激な言葉が聞こえた気がしたが、前を向いていた表情が見えない。ヒューバートはと言うと怯えきった表情をしている。
ライナスに助け舟を求めて視線を向けたが、ライナスは首を振った。
「あの男はこの校舎の入口に人を配置し、誰も入らないようにしていたのです。危ないところでしたよ」
「ライナス。余計な事を言わなくていい。ミネルバが怖い思いをするだろ」
肩越しに言うシリルの横顔が見えた。目が怖ろしい程冷ややかだ。
「怖いのは主の目ですよ。懲らしめるのもほどほどになさってください」
「分かってる」
ミネルバはいっそう心配になった。
(分かってるって何がかしら?この男のせいでシリル様が罰せられるようなことになっては‥‥‥!)
ライナスに促されて廊下を進む。ミネルバがもう一度振り返るとライナスが言った。
「大丈夫ですよ。忠告するだけです。行きましょう。あまり遅くなると、ご学友が心配されるのでは?」
たしかに遅くなってはアリアが心配して迎えに来そうだ。
ミネルバは気になるものの、シリルに任せて教室へ戻った。
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今まで20時更新だったのですが、しばらく18時10分更新にしています。
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