Episode.21
ミネルバはシリルの手を引いたまま、第三食堂へ向かった。とはいえずっと手を引くわけにはいかない。廊下の角を曲がった所で、ミネルバが手を離すと、シリルが素早く手を握り直した。
「シリル様?手を‥」
ミネルバが驚いて振り向くと、シリルは目を丸くした。何を言われているのか分かっていないようだ。
「あの、手を離していただけると‥‥」
「えっ?ああ!いつの間に?!」
シリルが自分の手を見て驚いている。自ら繋ぎ直しておきながら、自覚がなかったのだろうか?
ミネルバは窓ガラスに映る自分に気付いた。走ってこそいないものの、急いだからか前髪が乱れスカートにはシワがよっている。
今さらながら立ち姿を正して、制服のスカートをパタパタと叩いた。アカデミーでは身分は重要視されないものの、シリルは今や実質公爵家の後継者だ。ミネルバは背筋を伸ばして聞いた。
「シリル様、私に何かご用でしょうか?」
「えっ」
丁寧に聞くと、シリルは動揺した。気の所為でなければ、ショックを受けた表情をしている。
「‥‥‥用は、その、昨日言っていた魔石加工の者を紹介する件なのですが、日にちを詰めたくて」
「まぁ!わざわざ」
昨日の今日なのに。シリルはなんて仕事が早いのだろう。ミネルバは素直に嬉しかった。
契約書も交わしていない口約束のような案件だ。シリルが忙しく、皇都と隣国を行ったり来たりしている事は知っていた。
(それなのにこんなにも早く動いてくださるなんて)
「ありがとうございます。ですがシリル様、お忙しいと聞いております。次からは手紙でかまいません」
「うっ」
またシリルが狼狽えた。
(どうしたのかしら)
また自分に不手際があったのかもしれない。いつもは横にいるライナスも、今日はいないので聞くことが出来ない。
(そういえば、廊下で待っていた時から不機嫌そうなお顔だったわ。もしかして具合が悪いのでは)
ミネルバは知っている。父も頭痛が酷かったりすると、あのような不機嫌な顔になる。
ミネルバは手をシリルの額に近付けた。シリルの身体がびくりと跳ねる。
(あ、そうよね。勝手に触っては不快にさせてしまうわ)
ミネルバはすぐに手を引っ込めたが、確認はしたい。
「シリル様、具合が悪いのでは?」
「え?具合?‥‥ああ、もしや熱がないか確かめようと?」
「はい」
「なんだ俺はてっきり‥‥」
「てっきり?」
「いや、なんでもありません」
(‥‥‥‥気になるじゃないの!)
ミネルバは言いたいことを飲み込んだ。
シリルが軽く咳払いをした。
「具合は悪くありません。なぜそう思ったのです?」
「先程、廊下にいる時機嫌が悪そうでしたから。具合が悪い訳ではないのなら、やっぱり令嬢達に追いかけられたのですか?」
先日も追われて困っていた。
(顔が良すぎるのも大変なのね)
アレックスも時々令嬢たちに囲まれていたが、彼の場合は喜んでいたのでそこまで気にならなかった。
「違います。‥‥そうではなく、経営学科には男子生徒が多いので‥‥」
シリルはそこまで言うと下を向いた。顔を覗き込む訳にはいかないので顔色は見えないが、耳が赤い。
(やっぱり具合が悪いのかしら?)
ライナスを探した方がいいのではとミネルバが考えていると、シリルはすぐに顔を上げた。
ジトリと恨めしそうな目でミネルバを見て口を開いた。
「貴方は全く‥‥こんな事は言わせないでください」
そう言うシリルの熱の籠もった眼に、ミネルバは一瞬戸惑った。
「‥‥?何を‥ですか?経営学に男子生徒が多いのは当然です」
家門の後継者が多い学科なのだから。ミネルバが言うと、シリルは呆気にとられたように目を見開いた。そして盛大に大きなため息を吐く。
「はぁ‥‥‥君は本当に鈍いですね」
「え?そんなことないと思うのですが‥‥」
経営学に男子生徒が多いのは毎年の事だ。シリルが何を言いたいのか分からないが、"鈍い"と評された事には心外だと思った。
アウグスタ子爵家の後継者である兄よりも、ミネルバの方が経営や投資など、『鋭い』や『勘がいい』などとよく評されるのだ。もちろん兄も優秀な人物ではある。
心外なので、もっと噛み付いて行きたいが相手は公爵家令息。ミネルバは眉を吊り上げ、むぐっと唇を引き結んでなんとか堪えた。
何故だか不機嫌な顔になっていたシリルは、その様子を見て微笑った。
「‥‥ふっ、ミネルバ嬢。我慢せずとも、言いたいことがあれば言っていいのに。そのように可愛らしく膨れなくても」
シリルは堪えきれないように、肩を震わせて微笑っている。ミネルバは面白くない。なんせ自分の不機嫌顔を見て微笑われているのだから。
‥‥その上、
(『可愛らしい』ですって?シリル様はまた誂ってるのかしら)
とは言え、唐突な『可愛らしい』に顔は赤くなる。
ミネルバは眉を吊り上げたまま言った。
「シリル様、淑女の顔を見て微笑うなんて失礼ですよ!」
シリルはすぐに微笑うのをやめ、ミネルバに向き直った。よく見るとシリルの目が涙目になっている。控えめな微笑いだったが、涙が出るほど笑っていたらしい。
吊り上げた眉のまま、ジトリと睨むとシリルは殊勝な顔をした。
「すまない。微笑いすぎましたか」
「ええ」
にべもなく言うと、ミネルバとは逆にシリルの眉が下がった。
「君に嫌われたくない。許してくれるだろうか?」
シリルが叱られた大型犬のようにしょんぼりしている。少年と言えど、そこらのクラスメイトより筋肉隆々なシリルが、いたいけな犬と重なって見えるとは。
その様子に一瞬で絆されたミネルバは、間も置かず「許しますけど」と、口にしていた。
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