Episode.14
シリルはここ一ヶ月の記憶が曖昧だ。
皇帝との話し合い後、1ヶ月後にアカデミーが始まる為に、すぐに提案した全ての案件に取り掛かった。
皇帝に「早く取り掛かって欲しい」と言われた、穀倉地帯の確保の為に隣国まで行き、道中の揺れる馬車の中で魔道具開発の基盤を描き、公爵邸の企画開発の者たちと話し合おうにも、伝書鳥しかない。
(これでは伝達の効率が悪すぎる)
そこで、まず先に伝達用の魔道具を開発した。ところが、その魔道具が思いのほか重要視され、各方面から要望が増え、‥‥かえって仕事が増えた。
本来の目的の為に開発した魔道具も、一つ完成するたびに新たな需要が産まれ、仕事が増える一方だった。
当初の予定では、仕事の合間にアウグスタ邸に行き、ミネルバと交流するつもりだったのだが、もはや1ヶ月ろくに寝ていない状態だ。
精神は脆弱だったが、趣味の剣術の為に身体はそうではなく、鬼のようなスケジュールを過ごす羽目になったがシリルはなんとか間に合わせた。
1ヶ月で他の者に引き継ぎ、シリルはふらふらになりながらアカデミーに向かった。
◇
「シリル様、今日は休まれた方がいいのでは?」
ライナスの言葉にシリルは首を振った。
「それは出来ない。今日の進級式を逃すと、また二日の休みに入るだろう?」
また会えなくなるではないか。なんとしても、遠くからでも顔だけでも見たいのに。
「しかしその二日が過ぎれば、アカデミーが本格的に始まるわけですし‥‥」
至極真っ当な事を言ったライナスだが、シリルが鋭い眼光で睨むので口を閉じた。
シリルは、自分が寝不足でまともな思考でないことは分かっていた。
だから刺激しないでほしい。
婚約者でもないのだから、用もなく経営学の学舎を訪ねる訳にもいかない。今日は進級式の為に全学部が揃うので、シリルは理由がなくともミネルバに会うことが出来るのだ。
この機会を逃す訳にはいかなかった。
「まぁ!いらっしゃったわよ」
「ラウザー令息!少しよろしいかしら?」
「あら!1人で行くのはずるいわ!わたくしも!」
進級式が行われる講堂へ向かう途中、数人の女生徒に囲まれた。
「夜会での噂は本当でしたのね」
「ラウザー令息、婚約者はまだいらっしゃらないと聞きましたが、本当ですか?」
「まぁ!貴方ったらそんなストレートに」
口々にキャッキャと話かける令嬢たちに、寝不足のシリルはくらくらした。
「ご令嬢、申し訳ありませんが‥‥‥」
「きゃあ!お声も素敵!」
「アレックス様よりかっこいいわ‥‥!」
言葉も遮られてしまった。騒ぎを見て、他の令嬢達も集まってくる。
話すことも許されなくなったシリルは、助けを求めてライナスに視線を送った。視線に気付いたライナスは首を振る。
『私には無理です』と、ライナスの目が言っている気がしたが、シリルは見ない振りをした。‥‥ここはライナスにまかせよう。
「私は教授に呼ばれておりますので、これで‥‥何か話があるのでしたら、ライナスに伝えておいてください」
シリルは早口で言うと、振り向かずに大股で逃げた。
「ちょっ、シリル様!」
ライナスの非難の籠もった声が聞こえたが、シリルは止まらずに心の中でライナスに謝罪した。
こうなってくると、女生徒に恐怖を感じる。曲がり角を素早く曲がった所で、シリルは切望していた人物とぶつかった。
「きゃっ」
鈴のなるような声。
「ミ‥‥アウグスタ嬢?」
「ラウザー令息」
久しぶりのミネルバは金の髪を緩やかに編み込み、丸い眼鏡をかけている。
そういえば、以前アカデミーで会った時も眼鏡をかけていたな。前世の感覚が混じり合っているためか、眼鏡姿に唆るものがある。アカデミーの生徒は皆、同じ制服を着ているはずなのだが、ミネルバの制服だけ可愛く見えるのは気の所為だろうか。
後ろに追いかけて来た女生徒の声が聞こえ、シリルは咄嗟にミネルバの手をとった。
「こちらへ」
もう一つ角を曲がり、隠れるように壁に身体を押し付け人の気配を探る。
「――ふぅ」
(もう付いて来ていないようだな)
「‥‥っ、シリル様‥‥!少し、離れていただけると‥‥」
自分の腕の中から、消え入りそうな声が聞こえる。視線を声の人物に向けると、真っ赤になったミネルバが自分の腕の中に収まっていた。
シリルは我に帰って慌てて離れた。
「わぁ!申し訳ない!」
(何をやってるんだ俺は!)
「も、申し訳ありません、逃げるのに必死で‥!」
「い、いえ?逃げるとは、一体何が‥‥?」
必死で弁明しながら、言わなくて良いことまで言ってしまった。女生徒から逃げてきたと言うのは、なんというか格好悪くないか?
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