09 まだ見ぬ未来
切っ掛けは、息子の死だった。
責任は、息子を甚振ったいじめっ子達と、これを見過ごして適切な対処が出来なかった学校にあるとして、裁判で争った。
裁判には勝った。だが、損害賠償は一円だって支払われていない。特にいじめっ子達の親は、 鐚一文払う銭は無いと言わんばかりに、何も支払わない。
結局、夫が逃げ出し、裁判費用で大損して破産した今、生活保護を受けながら、この公園のベンチにて黄昏れている。
そんな彼女を、気にかけている男が1人居た。男は、この公園に「親」と共に来ていた。偶には外出しなければ、ストレスで身体を壊してしまう。その男は、「親」よりも頭1個抜けて背が高く、ビジュアル面でも美しい。犬に例えれば、アフガンハウンドである。
だからこそ、近所の未婚・既婚問わず女性達の人気を掻っ攫っていたのだが、その男は、松田タクミは常にベンチで佇む彼女を、舟木真理子を見つめていた。真理子は、自分を見つめる視線に気が付いて、タクミの方を見るが、程なくして興味を無くして、視線を逸らす。
タクミは、この公園に来た時は、常に真理子を見つめていた。彼女は誰かを必要としている。それが自分だ、とまではいかないが、誰かを求めているのだけは確かだ。
だからこそ、思い切って真理子の傍まで歩いて行き、一言尋ねる。
「どうして独りなんだ」
「五月蠅い。あっち行って」
「ああ」
言われて本当に踵を返そうとした時、真理子は前言をすぐ様翻して答える。
「息子を虐めで失って、夫に逃げられて、生活保護で生きているの」
「それは生きていると言えるのか」
「……そうよね、顰蹙買うわよね。そんなの」
「だったら、俺の家に来い」
真理子は驚いて、タクミの顔を見る、まるでアフガンハウンドの様な気品溢れる美しい顔で、真っ正面から舟木真理子の顔を見つめる。
「私、今年で38歳よ」
「問題ない」
「分かりました。言い方を変えましょう。お断りします」
「分かった」
言われた通り、その場から立ち去ろうとするタクミに、矢張り真理子は呼び止めてしまう。
「なら、私の家に来なさい」
「行く」
即答である。面白い男だ。公園では、未婚・既婚問わず女性達が精神的ショックを受けた表情で見つめて、ボソボソと話していた。なんだ、38歳も充分射程圏内だったのか。もしかして、女なら誰でも良いレディキラーなのか。それに、あのおばさん、ルックスだってそこまで良い訳では無い。悪いとまではいかなくとも、平凡程度だ。なのに、あの女が、ハイエナが獲物を掻っ攫ってしまった。
その家は、国が国ならば「プロジェクト」とも呼べるくらい貧相なアパートの一室であった。何も無い家である。ベッドにテーブル、タンスが1つずつ、そしてテーブルの上には家族写真が1枚飾ってあるだけであった。
「何も無いけど」
「写真がある。それがお前の全てなんだな」
「ええ」
「お前、歳は幾つだ」
「38歳」
「じゃあ、まだまだ幸せになるには間に合うな」
そう言うと、タクミはテーブルの上の写真立てを手に取ると、これを叩き割る。
「これで過去の不幸なお前の記憶は終わりだ。これからは明るい未来を生きろ。何時までも写真を見ながら泣いて寝る日々を送るくらいならば、俺がここで殺してやる」
なんだこいつ。なんでこんなにも格好付けていて、キザで、どうしようもないくらいに、可愛いのだ。明るい未来、そこで自分の隣に居るのは、こいつで無ければならない。
「ええっ!? それ、嘘? 冗談?」
柏葉高子は、松田龍平にもう一度尋ねる。龍平は、容赦なく答える。
「公園でナンパした女に付いていって、もう探さないでくれ、だとさ」
「あんた、本当にそれだけの理由でタクミを放っていたの?」
「ああ」
「馬鹿じゃないの? もう一度言わせて。馬鹿じゃないの?」
「良いじゃないか、相手は38歳だが、まだ子供は産めるはずだ」
「そう言う話じゃないの! あいつが居ないと、私達は敵の追跡から逃れられないとまでは行かなくとも、逃げるのがとても難しくなるのよ! あんな便利な奴を、そんな理由で手放したの!?」
「ああ」
「何が「ああ」よっ! あんた何時でもそう言う態度なのよね! ECMが使えなくなったら、ウッカリ逃げる事すら出来なくなるのよ!」
「大丈夫だ、心配するな、何とかなる」
「大丈夫じゃないし! 心配だし! 何ともならないわよ! これからどうするのよ」
「どうにかなる」
「……ああ、もういい。あんたはどんなに叱ってもそんな反応しか返さないものね」
夫と息子の墓まで連れて行った舟木真理子と共に、タクミは墓の前に立つ。
「良いのか?」
一応、確認だけはしておくタクミに対して、真理子は躊躇わずに答える。
「やって」
「分かった」
タクミは、拳を握りしめると、石材で出来た墓石をぶん殴り、粉々にする。
「これで、お前の過去を完全に消し去ったんだ。もうお前は夫と息子を失った不幸な女じゃない。新しい人と出会って、生きていけるんだ」
タクミの言葉に、真理子は半分泣きながら頷く。そして、タクミは粉々にした墓石に語りかける。
「俺は、お前らに代わってこいつを守る。絶対に不幸にはしない。死ぬ時は一緒だ」
なんだこいつ。こいつはどうして、喋る内容がいちいち気障っぽい男なのだ。でももうそんなの関係ない。もうこいつは私のものだ。私だけのものだ。身も心も、そして思い出も共有するのだ。
「じゃあ、もう行きましょうか」
「ああ」




