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010 爪痕

 自分の人生は自分で決める。

 それは半世紀以上前の常識である。今は違う。

 自分の人生はガチャで決まる。

 これが現代社会の常識である。例外も無いし、これは誇張表現でも無い。彼は何度もその「ガチャ」で外れを引いて、悲惨な人生を歩んだ、歩まざるを得なかった人間達を見てきた。

 本来ならば、幸せな青春を過ごしたり、愛する家族の為に働いて幸せな時間を送ったり、老後を悠々自適に暮らしたり、そう言う当たり前が「ガチャ」で決まる。人生がギャンブルと化している。齢60になるまで、ここで息子夫婦と孫と共に生き続けた中で、自分は「ガチャ」を引けたと見るべきなのだろうか。

 でも、自分は今まで、何も出来なかった。警察官と言うのは、別に正義のヒーローでは無い。単なる公務員の一種であり、重んじるべきは法律である。それは検察や弁護士の領分ではないかと反論されそうであるが、最前線に立ってそれを執行するのは警察官である。

 夢の中に現れた「統制者第1号」を名乗る巨大なる男は言った。お前は鷲の精神の持ち主だ。そして、お前は明日の昼過ぎに、心臓麻痺で死ぬ。自分の人生に満足しているのならば、そのまま死ね。まだやり残した事があるのならば、お前の人生を変身ヒロインとしてやり直させてやる。

 人生をやり直すつもりはない。しかし、明日終わってしまうのであれば、それは嫌だった。この竜野神尾が、この世に何か爪痕を1つ残していかなければ、このまま死ぬのは嫌だった。警察官として無難な人生を歩んできた。息子も立派な妻を迎えて、元気な孫も居る。でも、何か満たされない。このまま死ぬだけだったら、何かやりたい。何か遺したい。

 神尾は頭から被っていた布団をのけると、1つの決意を胸にして、自分の建てた城、一軒家の寝室の窓から外を見つめる。理不尽で不条理な「ガチャ」、誰も助けてくれず、「弱い」だけで「自己責任」とされる世の中にて、線路から外れて死んでいった子供、若者、中年、老人、男、女、誰1人として生まれついでの悪人ではなかった。

 鷲の精神だか何だか知らないが、この力を、どう使うのか。もう決めている。次の世代の為に使う。


 警察庁の「正体不明事件捜索班」は、この日、手柄を1つ立てていた。佐藤拓、桜田賀雄、千歳、名田達郎の4人組の「アドラー」を見つけ出して、拘置所に叩き込む事に成功していた。

 ECMの方は、観測されなくなったので立ち消えになったが、他の網にかかったこの4人を先に捕らえていた。驚く程に無抵抗にしょっ引かれていた。


「早く逃げないと駄目よ。私達の救いを待っている人達が、理不尽や不条理で苦しんでいる人達を助けないと」

「賀雄、お前、まだそんな事を言っていたのか」

「違うと言うの?」

「ああ、俺はシリアルキラーだ。結果として殺人をしている訳だから、絶対平和主義者からすれば、いや、普通の市居の人間にとっても殺人鬼と変わらない。もっと頭の良い、寛容なやり方があるかもしれないが、俺には出来ない」

「でも、千歳や達郎さんはどうするの?」

「この際だ、あの2人は相性が良いらしいから、このまま2人で生きていくのも悪くは無い」

「……あなた、理不尽や不条理と戦うと言って、自分がそれに負けると言うの?」

「今はもう、俺自身が理不尽であり不条理になったって事だ」

「それで、どうするの? これから」

「頭の良い弁護士が付くことを期待するだけだ」

「私はどうなるの? やっと手に入れた生き甲斐を失えって言うの?」


「ええっとぉ、わが警察庁直属の「正体不明事件捜索班」のお手柄により、「アドラー」を独りだけだが、逮捕・拘留する事が出来た。先だって、司法の場にて裁くにしても、「アドラー」をどう司法の場にて裁くのか、まだ議論が始まったばかりで、まだ何も決まっていないというのが実状だ。事情聴取はこれからやるにしても、その証言が使えるものかどうかは分からない……なんだ、神尾は今日は休みなのか。じゃあ、他の奴が茶運び役だな」


「おい、聞こえるか」

 なんだ。お前、テレパシーなんかで呼びかけて。お前も仲間か。

「通りすがりの老害だよ」

 そんな奴が、シリアルキラーに難のようだ。

「お前、鷲の精神を持っているのか? 自分のした事に罪悪感を持つなんて。だったら最初からやらなければ良いのに」

 人殺しには変わりない。

「そう腐るな、折角助けてやろうというのだからな」

 そんなの要らない。

「いや、俺は今度こそ、何かして死ぬんだ。何もしないままに死ぬよりは、マシな死に方を見つけたんだ」

 そうか。それはお前の問題だ。俺を巻き込むな。俺はここで。

「終わらせるな。俺達は、負債しか残せなかった。残ったのは借金と責任だけだ。夢も功績も、全部奪っていったんだ」

 分かっているのなら、正せば良いじゃないか。あんたも、変身できるんだろう。

「俺達には出来ない。お前にしか、お前達にしか出来ないんだ。もうこれ以上、俺達の世代が作った理不尽や不条理の犠牲になるのは止めろ。それこそ、お前の領分じゃない」

 どうしろって言うんだ。

「もっと世の中を知れ。そして、改めて理不尽や不条理と戦うんだ。今のままでは単なる殺人鬼かもしれん、いや、事実、殺人鬼だ。理解しているのならば、自分がどうするべきかも分かる筈だ」

 ……どうしろって言うんだ。

「先ず、この建物を吹っ飛ばす。建物だけで、人間は全員無事だ。元警察官だからな、俺だって前科持ちにはなりたくない。そこから先は、好きにしろ。このまま繋がれるのも良し、あるいはヒーロー気取りの殺人鬼に戻るのも良し、もしくは、世の中が望む形で戦い続けるのか」

 俺に選べって言うのか。

「他に誰が決めるんだ。お前が決めないでどうするんだ。生きるんだ」


 竜野神尾。御年60。この国の治安を預かる警察官として、公僕として生きてきた。見合い婚にて妻と結ばれて、息子を授かり、住宅ローンと息子の養育費を支払う為に生きてきた。孫が産まれてからは、少しは人生が色彩豊かになると思っていたが、そんな事は一切なく、家族のATMとなって働き続けた。

 ここで、1つ、自分の意志で何か人助けがしたくなった。金なんて残しても仕方がない、仕事を残すのは普通、人を残すのが一番良い。そんな格言を残した偉い人が居たような気がするが、それが出来るのは、今この瞬間だ。

「……変身」


「なんだ、あいつは。「アドラー」じゃないのか。こんな拘置所に、何の用かな。もしかして、あいつらを助けに来たのかな」

「どうする、一応報告しておくか」

「……いや、単に中二病拗らせただけの女の子かもしれない。もう少し様子をみよう」

 なんて、悠長な調子で見守っていると、目の前の少女が叫ぶ。

「変身!」

 こん畜生、「アドラー」かよ。逃げよう。このままここで戦っても、警官に支給されている拳銃では通用しないのは理解出来ていた。


 神尾は、最期の言葉を残す様に叫ぶ。


「大丈夫! お前らなら出来る! だから、地面ばっかり見て歩くな、前を向いて歩けっ!」


 竜野神尾の身体が、赤く光る。まるで燃えている様だ。いや、事実燃え上がっている。松明の如く燃え上がっている。松明なんてものではない。まるで太陽だ。しかし、太陽の割には熱くない。閃光だけが大きくなり続ける。

 やがて、大爆発が起こる。吹き荒れる風、光の暴力とも言える閃光が視界を痛めつける。音が耳を削られる様な音が吹き荒れる。


 灰となって燃え尽きた竜野神尾。犠牲者は彼のみであった。拘置所に居た連中は勿論、警備員はみんな無事であったが、拘留していた人間は全員逃げ出した後であった。


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