07 ECM
柏葉高子は上機嫌であった。SNSを駆使して、凶悪な「アドラー」の情報を集めて、そこへ松田龍平を派遣して凶悪な「アバター」をしばく。日々の生活費は投げ銭にて賄える。誰がどう見たって、自分達のしている事は「正義」である。
何しろ、龍平は此処まで1人として殺していない。どんなに凶悪な「アドラー」でも、ボコボコにした末にそのままにして帰ってきてしまうのだ。そして、その地域にはもう凶悪な「アドラー」は居なくなる。
究極の力は戦わずして勝つ抑止力。龍平の力こそが、正しい使い方なのだ。間違っても、人を殺す様な奴を正義とは言わない。
でも、これはない。あんまりじゃないか。
「えーっと、あなたの名前は」
「タクミ。松田タクミ」
「今日で、ここへ来て何日経ったの?」
「俺には時間の概念がない。放って置け」
「なぁんでこうなったのかしら」
「マスターの母乳を飲んで、こう言う進化をした。俺の身体は、マスターのものだ。心も体も、マスターのものだ」
「あなた、ここへ来てまだ半年なのに、こんなに立派になっちゃって。これじゃあすぐに死んじゃうわね」
「俺は死にはしない。俺もお前も、死にはしない。マスターの為に、俺もお前も死なない」
どうしょう。最初はバブみが可愛かった赤ん坊は、変身ヒロインとなった松田龍平の母乳を飲んでいく内に、あっと言う間に松田タクミは龍平より頭1個高いくらいに身体も言動も成長していた。
しかも、このタクミの態度と口の利き方は、親譲りというか、教育不足というか、高子を全く尊重していないのだけはよく分かっていた。
でも、こいつがいい男なのだ。ビジュアルだけ切り取ったら、黙ってさえ居れば街を歩くだけで女を相手に無双出来るのだが、こいつにはもう1つ、余計な能力があるのだ。ない方が良いのに、こう言う超能力と言うのは、自分の人生を犠牲にした上に成り立っている。
そこへ、松田龍平がマンションに帰ってくる。タクミは、まるで飼い犬が飼い主の元に駆けつけるように歩き出すと、龍平に言う。
「まだ生きていたか」
「まぁな。お前はどうだ」
「息災だな」
とだけ言って、龍平はタクミを連れて、リビングのソファーに腰を下ろす。流石にバブみは無いものの、こうして見るとまるでデカい愛玩犬と暮らしているようであった。アフガンハウンドが、隣に座っているようであった。毛並みは美しく、気品のある佇まい、ご主人から名前を呼ばれても傍に来ない、気難しくて自立心に富んでいる、要するにクソ面倒臭くて手間のかかるキャラである。
ああ、今日もこの2人と自分も含めた3人の為に夕餉を作らなければならない。松田龍平は良い、だけど、この狩猟犬の為になかなか作ってやるつもりにはなれない。食べる度に、「塩気が足りない」「肉汁が出過ぎてパサパサだ」「もっとよく焼け」と、矢張り可愛げの無い言葉を連発してくるのだ。じゃあお前が作れと言えない。勝ち目の無い戦いをするつもりは無い。
それでも、タクミは嬉しそうだ。マスターと仰ぐ龍平と共に、ソファーで寛ぎながら夕餉を食べる2人を見るのも、悪くは無い。
こんな幸せ、いつまで続くのだろうか。あるいは、途中で終わるのか。恐らく、いや、確実に後者になるだろう。「組織」の構成はもう完璧に近い。自分1人死んだところで、松田龍平とタクミが野垂れ死ぬ事は無い。腐ったフリーターの生活を続けていた高子にとって、これは一世一代の「作品」である。「#アドラー通報」「#アドラー支援」は消えない。消されたとしても、別の形で残り続ける事になる。それがSNSである。
「良い夢を見ているらしいな。ずっとこのままこんな生活が続けば良いと思っているな」
「残念な事に、そんな事はこの世界には無いんだな。終わらない不幸が無いのと同じで、終わらない幸福も無いんだよ」
「……ヤバいっ。あのイケメン、こっちに気が付いたぞ」
「変身したっ!」
「スマホを止めろ!」
「ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待ってぇ! パソコンとスマホのデータが全部翔ぶぅ!」
「何かしらの外部メモリに保存してあるだろう。敵に情報を与えるよりマシだ。やる」
タクミは、まるで狩猟犬の様に遠吠えをすると、犬の様な耳、鼻が伸びて口も前に伸びて、強い顎となる。全身には金色の毛が生えて、尻尾が生える。
それから数秒後、タクミの身体が金色に光る。刹那、その近隣のあらゆる半導体が焼き切れていた。
「クソ! やられた。スマホも駄目ならデジカメも駄目」
「やっと見つけたんだがな。連中、定期的に場所も変えているが、これでは何時までも反攻作戦に出られないな」
「どうする? 帰るか?」
「どうするって、それしかする事無いだろう。これ以上ここに居ても仕方が無い」
哀れな偵察班は、それから数日後に新しいスマホやデジカメを用意して同じ場所に来たのであるが、マンションは蛻の殻、誰も居なくなっていた。これで最初からやり直した。あの犬男、文字通り犬の様な嗅覚でもってこちらの存在を察知する。厄介な奴だ。
しかし、今度は公的機関がそのECMの頻度と場所から、この3人を追い詰めている連中が居た。警察庁に新設された「正体不明事件捜索班」は、都内にて頻発するECM攻撃の如き「事件」が多発しており、それが一定期間に移動しているデータを集めていた。
「アドラー」の正体は何者なのか、あるいは「アドラー」なんて本当は居ないのではないか。様々な方向から情報の検証が行われている中で、相変わらずSNSには「#アドラー通報」「#アドラー支援」のハッシュタグによるやり取りは続いている。それに合わせて、原因不明の殺人事件も続発している。そろそろ家のドアにカギだけじゃ無くて、こちらも銃器で武装しなければならないのか。そんな切実な声も、この独立愚連隊の耳に届いていた。
それでも尚、検証の手と口だけは止めなかった。法と秩序を取り戻す為に、SNSと言う大海の中にて潜んでいる深海魚を捕まえるために。




