06 千年生きろ
洋式便所に突っ込まれているのは、祝福されて来る筈だった命である。今は産声をあげて、必死に自分の存在をアピールしていた。普通、こう言う時、飛んでくる筈の親が居ない。この寂れた公園の公衆便所は、別命「裏臓器バンク」と呼ばれており、定期的に捨て子が捨てられている場所である。
正しく、この世の理不尽、不条理を形にした所である。かの「アドラー」がこれを見逃す筈が無かった。
佐藤拓は、相棒の桜田賀雄と共に、そこを訪れていた。予想通り、他の「アドラー」が張り付いていた。新鮮な内臓が手に入るなのだから、その手の犯罪グループにとっては美味しい場所である。
それにしても、勝手な話だ。産みたくない・産んでも知らない・産むつもりも無いのに、行為だけはしたいと言うのは、完璧なエゴである。せめて最低限のエチケットは守ってほしいものである。
警察の警備が付いたとしても、「アドラー」の力を前にしては、軍隊だって動員しても勝てるかどうか。しかし、こんな理不尽と不条理を許すわけには行かない。そして今、女子便所からは産声が聞こえている。今行かずして、何時行くのか。もしここで救いに行けなければ、「アドラー」として戦う事は許されない。この世界で生きている資格は無い。
「何よあんた、後の女みたいな男みたいな女、もしかして桜田賀雄かしら。と言う事は、あんたは佐藤拓? 統制者2号の肝いり戦士の」
「話が早い。お前を殺して、赤ん坊を救う」
「あら格好良い。言っておくけど、ここで捨てられる赤ん坊は、無理矢理捨てているのでは無いのよ、自分から捨てているのよ。そして、この子達の内臓は必要とされている人間に使われているのだから、あんたのしている事は、格好付けすぎよ」
「格好付けたくてこんな事している訳じゃ無い。お前みたいな奴がムカつくから戦う。理由はそれで充分だろう」
「そう言う所も「偽善」に満ちていて、見ていてムカつく。この世に「本当」に正義があると思っているなんて、しかも自分がその執行者だなんて、ムカつくの通り越して苛つくわ」
「御託を並べるより先に、さっさと始めようぜ。早くしないと、赤ん坊が死んじまう」
「どうせ助けたって面倒事や厄介事を振りまく問題児に成長するでしょうよ。だったら、その前に他人の臓になった方が良いでしょう」
「……トランス」
「……変身」
時間にして、あと2,3分と言ったところだ。あの赤ん坊の産声が途絶えるまでの時間は、精々そのくらいだ。臍の緒を千切って、頭から便所に突っ込まれているのならば、今すぐにでも救い出さなければならない。賀雄は、頼むから早く済ませてくれと思う。
あの公衆便所にて母親に捨てられた赤ん坊と、自分の境遇と、何処がどう違うというのだ。あそこに居るのは自分だ。自分なんだ。社会のレールから弾かれて、地面に転がった列車なのだ。もし拓が勝ったら、引き取っても良い。
拳や蹴りが幾重にも飛び交い、ぶつかり合う度に肉が潰れて、骨が軋む鈍い音が響く。皮が破れて、血が噴き出しても、戦うのを止めない。それは、「戦う為に生まれ変わった」人間として、当然の姿であった。こちらが負けるか、あるいは勝つか。どちらかであったとしても、相手を恨まず己の非力を呪わずに、飛ぶ鳥が跡を濁さない様に死ぬだけである。
拓の耳には、徐々に弱っていく赤ん坊のSOSが届いている。早くケリを付けなければ、そのSOSは止まり、あの子の人生はゲームオーバーだ。次のチャンスは無い。
しかし、そんなに力に差がある訳では無いらしい。まぁ良い、このまま死んでしまっても、これまで殺してきた大勢の人間と共に、地獄へ叩き落とされるだけだ。良いではないか、元々正義のヒーローを気取っていたわけじゃ無い。正義は負けない。そして、この世に正義は無い。
正義と悪の戦いなんて、今まで無かった。少なくとも、佐藤拓も桜田賀雄も、見た事は無い。そこにあるのは、純粋に暴力のぶつかり合う、何処にでもある光景だ。ここはそんな国じゃ無い。と言われるかも知れないが、ここに居る人間と、ここの場所の存在が、その前提を根底から覆しているのではなかろうか。
血で塗れた拳と脚で、お互いに睨み合う「アドラー」。それは正しく矛盾の戦い、偽善と冷笑家の対決である。誰が見ても、お互いに戦う余地なんて無い、完璧に無駄な戦いだ。いや、今正に声が途絶えようとしている赤ん坊の人生がかかっている。
拓と冷笑家の全力の拳が、お互いの額を狙って突き出される。額は人間の急所の中でも、格闘なんて素人の2人にとっても理解している急所である。どちらも相手の拳を避けようとはしなかった。
拓はふらつきながらも、立っていた。冷笑家の顔は、ベコッと凹んで、砕け散る。
「賀雄、どうだ、助かりそうか」
「分からないわよ、私、医者じゃないもの」
「なら、いつもの病院に行くしかないな。あそこなら、ここからそんなに遠くない」
「間に合うかしら」
「俺も手当してもらわないとな。放って置いても治るが、いつ統制者1号の使者が来るか分からないからな」
「……良く助けましたな。普通であれば、死んでいたところです。余程運が良いのか悪いのか」
「どう言う意味だ」
「その子、もうまともな人生、歩めませんもの。後見人も無し、親も無し、公的支援も無し、それで一体どうやって生きて行けというのですか」
「そんなの知らん」
「それで助けたのですな。まぁあなたらしいと言えばあなたらしい」
「で、助かるんだな」
「ああ」
「で、誰も面倒は看ないんだな」
「ああ」
「じゃあ、俺が、いや、俺達が引き取る。それで良いんだな」
「あの賀雄、トランスジェンダーの娘は大喜びですな」
「俺はオカマの妻と捨て子の娘を持つつもりはない」
「まぁまぁ、これからは色々とうちの病院の厄介になる事もあるだろう。その子、名前、決めているのか」
「そんなのは賀雄に任せているんだ。アイツが勝手にやれば良い」
胸に抱かれているのは、女の子だった。本当ならば、然るべき役所に届けて、公的支援を受けさせるべきであるが、それでこの子が幸せになるのか。不味い飯・寒くて狭い寝床・意地悪な大人達。全てが子供をひねくれさせる。
「あなたの名前は、千歳。桜田千歳よ。生きるのよ、生き続けるのよ、絶対に自分から死を選ぶなんて、駄目よ」
深夜の病院の屋上にて、桜田賀雄は、自分の娘を、千歳を胸に抱きながら語りかける。




