05 新しい人生
人間は独りでは生きてはいけない。生きていこうとしたら、ジャングルや平原に戻って、石で槍でも作って、野生動物を食って生きていかねばならない。文明を維持して、社会を形成するには、嫌でも他人と生きなければならない。
だが、文明は発達しすぎた。独りでは生きていけない筈の社会は、むしろ孤独化と言うよりは、孤立化を深め続けていた。自己肯定感も低ければ、自信も無い。だから、甘い言葉や軽い嘘にすぐ騙される。大人扱いされたり、チヤホヤされたら、すぐにその気になる。
そして、地獄を見る。
大きくなったお腹を抱えたまま、彼女は街を歩き続ける。なんで、こんな事になったのか。自分にもよく分からない。違う。分からなかった訳がない。甘かっただけだ。全てに置いて、考えが足らなかっただけだ。何でこんな事になってしまったのだ。
まだランドセルを背負っている筈の自分が、大きくなったお腹を抱えたまま、家にも学校にも行けずに、独りで街を彷徨っている。そこは、誰かが言ったように、コンクリート・ジャングルとでも呼べる、厳しい世界なのだ。
お金のある家庭に生まれたかった。理解のある親の元に生まれたかった。もっと子供に優しい国に生まれたかった。どうしてこんなジャングルに生を受けてしまったのか。お金の心配が無いと言うだけで、どれだけ幸せなのか。親から愛されていると言うだけで、どれだけボーナス加点なのか。
もう耐えられない。頭の中がぐるぐると回っている。胎から身体がバラバラになりそうな力が暴れている。助けて。誰か助けて。辛い。哀しい。苦しい。
誰かが、その手を取る。その方角へと目を向けると、自分より少しだけ年上の女の子だ。その少女は、お産が始まった彼女に告げる。
「お前、お腹の子供を無かった事にしたくないか」
そう、いや、そんな簡単に割り切れるものか。例え毒親の為に稼いだ結果、実った命だからと言って、十月十日、お腹の中に居た命を簡単に奪えるのか。
「早くしろ。でないと、生まれてきちまうぞ」
こんな残酷な選択を選ばせるとは。お前は一体何者だ。いや、違う。こいつは関係ない。これは、私の問題だ。
「産む」
「そうか。それじゃあ、頑張れよ」
「お、お願い、一緒に、育てて」
「何だそれは。お前、俺をあてにしているのか。俺がそんなに優しい人間に見えるか」
「どうでもいい。そんなの、どうでもいい。私、死ぬの。この子を産んで、死ぬの」
「……メタモルフォーゼ」
「あ、あんた、「アドラー」だったの?」
「お前が死ぬくらいなら、お前の胎から子供を引き摺り出す」
「やめて、そんな事しないで」
「大丈夫、一瞬だ。楽になるぞ」
「駄目、お願い。産ませて。私には育てられないから。せめて、この子に、この子には、チャンスを与えてあげて。1度だけで良いから」
「嫌だね」
「お願い。私を殺すのなら、産んでから殺して」
「……名付けろ。その子の名前は、何にするんだ」
「男の子なら、タクミ。女の子なら、マリ」
胎の中で、臍の緒から母親の血肉を受け止めて生き続けていた彼は、もうこれ以上ここには居られないと悟り、出口を探ってひたすら藻掻いていた。やがて、出口を思しき裂け目が見えた。タクミはそこへ向かう。そこへ全力で向かうタクミ。小さい裂け目であるが、全力で突っ込んでいく。ここで突撃を止めたら死ぬ。死にたくはない。いや、違う、俺は死なない。絶対に生き延びてやる。
死にはしない。絶対に。
松田龍平は、臍の緒を引き千切って、産声を上げるタクミを抱き上げる。結局、この母親は自分の名前を名乗らなかった。赤ん坊が名無しのまま産まれてくるよりは良かったかも知れない。
妙な約束をしてしまったが、まぁいい。肝心の母親は死んでしまった。身元不明の、ギリギリランドセルを背負っている位の年齢の女の子だ。タクミの面倒は、誰かに看させておくか。あるいは、あえて自分がやるか。自分の腕の中で泣く赤ん坊に、龍平は呼びかける。
「松田タクミ。お前は今日から、松田タクミだ」
コンクリート・ジャングルに、1人の赤ん坊の産声が響き渡る。そして、1人の人生が始まる。




