少年のこころ
お腹も満たされ午後の練習を始めようと三人が階段を下り、スタジオの防音扉を開けた瞬間、激しいドラミングの音が漏れ溢れる。
一足先に碧音が個人練習を始めていた。
ヘッドホンをつけ集中している碧音は三人が入ってきたことすら気づかない。
久しぶりに耳にする碧音のドラムソロは相変わらず心臓を揺らし、胸を締め付け、息をすることさえ忘れさせる。
刻まれる一打一打に誰一人微動だにせず、ただただその空気に引き込まれるしかなかった。
皮膚がビリビリと震え、口は渇き、まさに五感をも奪われる圧巻のパフォーマンスである。
スネアとタムを高速ロールで回し、リズムを盛り上げ、最後にシンバルとバスドラを打ち鳴らし、演奏を終えた。
碧音の荒い息遣いとシンバルの余韻だけが残り、室内が静寂に包まれていく中、ヘッドホンを外した碧音がようやく三人の存在に気付く。
「あ~、すんませんっす! 一人空間だったもんでちょっと世界に入っちゃってて…… てか、そもそもみんなが少年の純粋な心を蔑ろにして変なトーク始めるから~。一人ぼっちの怒りの爆叩きっすよ!」
「あ、あ~、ごめんね、さっきは…… それより、 やっぱり碧音くんのドラムソロ、すごいね……言葉を失っちゃう……」
「そうなんだよね、引き込まれて見入っちゃうんだよ。なんか細胞が弾けるっていうか、心がぶわぁーって!」
「すごい、鳥肌が治まらない…… 危うさっていうか、ちょっと怖さすら感じるよ。感情が揺さぶられちゃう。 ……ねぇ、碧音? 今のドラムソロ、新曲に使おうよ」
突然のみやびからの提案に碧音自身驚きながらも耳を傾ける。
「曲頭に碧音のドラムソロが鳴ったらさ、聞く人みんな、スタートから心を掴まれると思うんだ。ライブのオープニング曲にもなりそうな…… どうかな?」
「みやびちゃん、それすごくいい案かも!」
陽菜も真理も目を輝かせた。
碧音も目を閉じてリズムに乗り、イメージを膨らませる。
「あぁ、確かに。ライブのオープニングをイメージすると湧いてきそう。うん、ちょっとおもしろいこと、できそうかも! いいね!いいヒントになった! サンキュー、みやび」
「私も今の碧音のソロに合わせられそうなフレーズが出かかってるんだ。後でちょっとやってみるよ」
最後の四曲目のピースが生まれ始める。
その後引き続き与えられた練習指示を着実に進めていると、気だるそうに鉄が姿を現した。
「おはよっす~。 ようやく酒が抜けてきてさ、二日酔いもだいぶ楽になったわー。どぉ? 順調?」
「おはようございます! 今日から一週間宜しくお願いします!」
「そんな畏まらんでいいって。楽にいこうよ! こっちは一週間といわず、もっといてくれたっていいんだから」
「ありがとうね! パパ」
真理がわざとフランクな感じで感謝を伝える。
「パパ……いま、パパって言った? この響き…… 娘からそう呼ばれることに憧れ続けてきた、もはや叶わぬ夢と思っていた……」
うずくまり目頭を押さえる鉄。
「こちらこそありがとうだよ、真理ちゃん…… よぉ――しっ! やる気が出てきた、早速はじめんぞぉー!」
相変わらず単純な生き物である。
目の色を変えた鉄が真理に音作りのアドバイスをし、陽菜とアレンジについて譜面を見合わせながら相談に乗り、みやびの前に膝を突き合わせ、自身もベースを手にスラップをやってみせる。
アドバイスの都度、それぞれのアンプから鳴る音は格段に良くなっていき、改めて鉄の凄さを知る。
碧音もその姿を見て、自分には及ばない父親の偉大さを目の当たりにし、少しの悔しさを残しながらもホッと胸を撫で下ろす。
碧音はさっきのソロで取り入れたいくつかのフレーズを軽めの音で再確認し始める。
目を閉じ、曲の展開や構成、ベースを乗せるタイミングなど様々な要素を頭の中で練り合わせながら叩いていく。
何度目かの試打の後に突然鉄が声を上げた。
「おーい、碧音ー!」
みやびの正面に対峙し、碧音に背中を向けたまま振り返りもせず、低く大きめの声で碧音を呼ぶ。
「な、なんだよ? 急に」
「今のやつ、あと百回練習して固めろ」
端的にただその一言だけだった。
みやびを教えながらも、その耳は全体で鳴る音を確実に捉えていた。
碧音にとっては初めて受けた具体的な指示であり、少しだけ認められた感じがして心が昂った。
個々の練習にも熱が入り、気が付けば時計の針は七時を回っていた。
「ピンポンパンポーン! こちらキッチンの美玲ちゃんです。夕飯の準備が整いましたので練習を終了し、上がってきてください。ちなみに、どーせ飲みに行くであろう鉄ちゃんの分はございませんのであしからず。ポンパンポンピーン」
「なんだ? いまの。 みいちゃんの声だったよな? てか、なんでキッチンと繋がってんだ?」
鉄ですら今まで知らなかったレア装置のようだ。
「うっわ、もうこんな時間じゃねーか! やっべ! とりあえず今日んとこはこれで終了だな。また明日の予定見ながら精進してくれたまえ! さらばじゃ、娘達!」
こちらが挨拶をする間もなく、バタバタと慌ただしく鉄が出ていく。
「ほんとだ、もうこんな時間になってたんだ。あっという間すぎるね」
「充実してますよね。これじゃ一週間なんてすぐですね」
「真理はもうお腹が減りすぎて体力ゼロです~。 碧音くん、おんぶして~」
「いいっすよ! 乗ります?」
「……真理さん。ご自分で歩いてください……」
階段を上る途中ですでに夕飯のいい匂いが漂い、食欲をくすぐる。
「なにこの飯の量。普段と全然違うじゃん!」
「そりゃそうよ。可愛い娘達のためですもの! 気合が違いますわ!」
「え~、じゃあ普段も気合入れてよ~」
「あんたと二人分じゃ気合なんか入りませ~ん。さぁ、みんな座って! 食べて食べて!」
「あーっ! そういえば、昼みたいな学校の恋バナとかもう禁止っすからね⁉」
「ごめんて~。とりあえずいただきます!」
もはや我慢のできない真理が急ぎ食べ始める。
「……真理ちゃんってたまに碧ちゃんに似てるときあるわよね?」
「そうなんです! 私も碧音くんを初めて見た時から思ってたんです!」
「似てるか~? 真理さんってちょっと変だし。俺はごく普通だけど」
「ゔぉーいっ! 碧音くんは十分変だよ? てか、変な人に変って言われた~」
「真理ちゃん。お行儀悪いわよ? 口の中のモノ、ごっくんしてから喋って」
「ご、ごめんなさい……」
「そういうところも碧音と重なりますね。犬みが強いっていうか」
「え~、真理、犬なの~? じゃあ、碧音くんはパンダかな!」
「パンダ、いいっすね! 強いし」
多少嚙み合わない会話でもゲラゲラと笑い合い、賑やかな夕餉となる。
「変っていえば、 パパさんも少し変わってるっていうか。碧音くんと親子っていわれると、不思議と納得できるような……」
「そうね~、鉄ちゃんもだいぶ変わってるわよね。あの人は女の子・酒・音楽があればそれだけでいい! みたいな人だから単純よね。もう昔からだから慣れちゃったけど」
「無類の音楽好き。やっぱり碧音と一緒だね」
「ってことは碧音くんがあと女の子とお酒が好きになったらパパみたいになるってことだ!」
「やめろ! やめてくれっ! 女の子はちょっと好きだけど、 酒なんか一生飲まんっ!」
「昔からって、 お付き合い、長かったんですか?」
「あら? 私たちの恋バナしちゃう?」
「いいって~、 親の馴れ初めなんてどうでもいいよ~。陽菜さん、変なとこ食いつかんでくださいよ~」
「え~? いいじゃん、気になる!」
「鉄ちゃんとはね、それこそ今のあなた達と同じタイミング、同じシチュエーションで出会ったの。私が一年生で鉄ちゃんが二年生の時の文化祭のライブでね。私は観客で見てたんだけど、鉄ちゃんは当時からベース弾いてて。それはそれはモテたのよ、鉄ちゃん。女の子からキャーキャー言われて。まぁ、私ももれなく一目惚れしちゃったんだけど」
「もういい……もうキモい……」
「そう。だからその時の想いも重なってね。あなた達にも今度のライブで、もしかしたらそういう出会いが起きるかもね! って話よ」
「キャァァ――――! なにそれ~! ステキな話!」
女子達は目を輝かせながら黄色い歓喜の声をあげ、恋バナに花を咲かせる。
碧音は大量のおかずを皿に盛り、静かにキッチンへと避難する。
「これ、飯の度に始まるんかな…… きっついわぁ~」
碧音にとって苦難の晩餐が続く。
「おれ、食べ終わったから先シャワーすんね?」
「あら、もうこんな時間ね。おしゃべりに夢中になっちゃった。下にもシャワー付いてるけど、三人順番だと遅くなっちゃうから、こっちの浴室も使ってちょうだいね? 何せ女子のお風呂は時間かかるからね」
「え⁉ じゃあ俺、鉢合わせで見られちゃう可能性だってあるじゃん!」
「あんたは見られたって減るもんじゃないでしょうが。むしろあんたが覗かないようにこっちは私が見張ってるから! 心配しないで使ってちょうだい」
「なんか肩身狭いんだよなぁ…… まぁいいけど。とりあえず入っちゃうから」
碧音はキッチンの脇を抜け、シャワールームへと消える。
女子達も夕餉の片づけを手伝いながら、順番に地下へと戻っていった。
しばらくして碧音が汗を流し終え、リビングに戻るとみやびがソファに座って譜面を書きながらベースを弾いていた。
キッチンで洗い物をしていた美玲がみやびに伝える。
「みやびちゃん、碧ちゃん出たからお風呂入っちゃって! 脱衣所にタオルも置いてあるから」
「はーい、ありがとうございます」
「お、みやびこれから風呂? したらそのベース借りていい?」
「うん、別にいいよ。譜面も何か気になったら書き足しちゃって」
碧音は冷蔵庫の冷えた水を飲み干すと、みやびと入れ替わりでソファに座り、書き途中の譜面を眺める。
「ふ~ん、新曲のイメージか」
おもむろにみやびのベースを手に取り、譜面をなぞる。
「ふふっ、 やっぱいいね。 似てるんだよな、ツボが」
碧音はぶつぶつと独り言を呟きながら、新たに譜面に書き足していく。
どれくらいそうしていただろうか、しばらくすると地下から真理と陽菜が上がってきた。
風呂上がりの薄着にほんのり紅潮した肌。いつもより艶っぽい姿でソファに集まる。
「みやびちゃん、まだお風呂なのね。で、碧音くんが続きをやってるんだ?」
陽菜が濡れた髪を耳にかきあげながら譜面を覗き込む。
「どれどれ? どんな感じ?」
真理も興味津々に碧音の横に座り体を寄せる。
「え、えっと~、 この二小節目に…… その~」
もはや碧音の集中力は切れ、それどころではない状況である。
「ここんとこの四弦をさ、スライドでピューっとするとさ」
真理が譜面を指さしながらアレンジの案を伝えようとすると、さらに碧音の体と密着する。
「……だーかーらー! 真理さん! 碧音にくっつきすぎですって!」
ソファの後ろに風呂から出てきたみやびが仁王立ちしていた。
「やっば、バレちった……」
碧音から離れ、そそくさとソファを移動する真理。
「バレちったって、絶対わざとじゃないですか! もぉっ!」
「全然わざとじゃないですぅ…… 陽菜ちゃん、みやびちゃんが怖いょ~」
「真理ちゃん、バレちったはまずかったわね。それはみやびちゃん怒るわよ。 ……って、みやびちゃん、かわいいっ! 髪おろしてるの初めて見たかも」
「え? まぁ、お風呂上りなんで…… そんな、ちょっと恥ずかしいです」
ポニーテールがトレードマークのみやびが、濡れた長い髪をタオルで乾かしながらソファに座る。
普段見慣れない、きれいなストレートロングに碧音も一瞬目を奪われる。
「え~、絶対かわいいよ。たまにストレートで来てくれないかなぁ。ね? 碧音くんもそう思わない?」
「えっ? あぁ、うん。 そっすね……」
突然振られてドキドキを隠せない碧音。
「私もたまにポニーにしていこうかなぁ。みやびちゃんと被らないように」
陽菜が手で髪を束にして持ち上げポニーテールの形にすると、白いうなじが碧音の目に飛び込む。
「ち、ちょ……ちょーっとぉ――! ダメダメ! ストップ!」
みんなが驚いて目を丸くし碧音に注目する。
「な、なんださっきから、この空間は! 刺激が強すぎんのよっ! もぉ~、みやび! この譜面の続きもう少しやりたいから。その~、髪とか終わったら下来て! 先行ってるから!」
「へ? う、うん。わかった。 な、何でテンパってるの?」
みやびは碧音の姿に困惑し、陽菜はいたずらっぽい笑みを浮かべ、口元を隠しクスクスと笑った。




