合宿始動
あの日以降、明らかにそれぞれのテンションが変わった。
個々の課題ややるべきことが明確化され、うだるような外の暑さにも負けないほどの熱を帯びた練習が続く。
「ごめ――ん、今のAメロのとこ、もう一回やらせて~」
「いえ、私も気になったところあったんで、イントロからお願いしたいです」
妥協することのない確認作業を何度も繰り返す。
以前にも増してお互いに交わす会話量は増え、そのトーンは明るくなっている。
夏休みもスタートし、お昼頃には碧音の自宅に集まり、地下スタジオで夕方まで練習といったルーティーンが出来つつあった。
海やプールなんて浮かれた予定は一切なく、先日決めたスケジュール通り、週六で練習と制作に明け暮れ、オフは一日。
明日からは一週間の集中合宿が始まるという、スポーツ強豪校さながらのハードな日々が待っている。
が、音楽に青春を捧げる若者達にとっては何の苦でもなく、むしろ楽しみでしかなかった。
「毎日のようにお邪魔して、明日からは一週間も合宿でお泊りさせてもらって。本当にご迷惑じゃなかったかしら? ご両親」
休憩中の陽菜が碧音に改めて確認する。
「全然迷惑なんかじゃないっすよ。親父なんか毎日みんなに会えるとか言って鼻の下伸ばして気持ちわりぃし、かーちゃんなんか待望の娘ができたみたいで嬉しいとか喜んでたし。すでに一週間分の飯の献立とか考えちゃって浮かれまくってますよ」
「本当にありがたいよね。お母様、それぞれの両親宛てにお手紙まで用意いただいて。合宿も含めて年頃のお嬢さんを家に招く日が多くなりますが、ご心配なさらず温かい目で応援してあげてくださいって。私も母も感動しちゃった」
「へぇ~、あの手紙ってそんなん書いてあったんすね」
「私も読ませてもらったけど、お仕事の関係でご自宅に設備が整っていることとか、状況まで細かく綴って頂いて。応援だけじゃなく、周りへの気配りまでできるなんて。とっても素敵なお母様」
「昔からイベント大好きっすからね。今回もみんなウェルカム! くらいの感じなんで。なんも気ぃ使うことないっすょ。まぁ、強いて気がかりなのは、 俺のプライベートくらいっすかね……」
「え?」
「一応思春期の男子なわけで。そんな男子の家に毎日のように女子が三人も来て、合宿っつってお泊りまでするんすよ? そんな状況、冷静に考えたら怖すぎっす」
「あぁ、そういうことね。碧音くん、私たちのことそういう目で見てたんだ?」
「ち、違うっす、違うっす‼ なんか、よくよく考えたらっていうか、何ていうか……」
「フフッ、冗談よ。でも確かにね、碧音くんに対しても申し訳ない部分はあるわよね。特に真理にはよく言っておかないとね」
「お、お願いします」
「よしっ、じゃあ残り時間も集中してやっていきますか!」
陽菜が笑顔で碧音の背中をポンッと叩く。
今は焦りよりも明日から始まる音楽漬けの日々への期待が上回り、心が弾んだ。
「碧ちゃ――ん! いつまで寝てるのー! もうみんな来てるわよー」
母親の大声に叩き起こされ、開かない目を擦りながら携帯で時間を確認する。
「え? まだ九時前じゃん…… みんな来てる? なんで? ……あっ」
しまった…… 合宿初日の今日は九時集合。 完全に忘れていた。
いつも通り昼頃に来るものだと勝手に思い込んでいた。
寝ぐせ頭のまま階段を駆け下りると、三人とも大きなスーツケースと一緒にリビングへ集合していた。
「すません、 完全に時間忘れてました…… おざまっす」
「おはよう、碧音。すっごい頭だね」
「写メ撮りたいね」
みやびと真理がケラケラと碧音をいじるが、起きたてホヤホヤの碧音には返すほどの気力はまだない。
母親が三人に淹れたての紅茶を出す。
「あ、それ俺も飲みたい。 かーちゃん、俺のも。あとパン」
「碧ちゃん…… あんた、起きて来てすぐ母を顎で使うって。ほんと鉄ちゃんに似てきたわね」
碧音がすぐさまソファを立ち、紅茶もパンも自分で用意し始めた。
朝の微笑ましい光景に三人もクスクスと笑い出す。
「陽菜さん、真理さん、見てくださいよ。碧音のあれ」
みやびが小声で二人に耳打ちし、指さした先には碧音が食べ始めた朝食のパンがある。
『超特大はちみつたっぷりハバネロカレーパン練乳入り』
「ああいう不思議な特大シリーズ、いつも私にも食べさせようとしてくるんです……」
陽菜は笑いをこらえ、真理は興味津々に見つめる。
「ん? みやびも食うか?」
「いえ、結構です。朝食済ませてきたので」
「真理、食べたいかも」
「あ、食べます? 一口だけですよ?」
碧音が一口大にちぎり、真理の口に押し込む。
「んっ……」
「ちょっと、真理。どうなの? 甘いの? 辛いの? どっち?」
「ゔ~~ん…… 何とも言えん…… けどもういらない」
「どっちなのか気になるじゃない! 絶対食べないけど。 碧音くん、どうなの?」
「え? 全然うまいっすよ? 甘いし、辛い。陽菜さんも食べます?」
「嫌! 食べない!」
陽菜に完全拒否され、へこむ碧音とそれを見てお腹を押さえて笑うみやび。
「そういえば親父は?」
「夜飲みに出たまま帰ってないわよ」
時間が合えばという条件も理解はしていたが、期待も大きかっただけに初日から指導が受けられないことに、みやびは少なからず残念な気持ちもした。
「うっし! 朝飯も済んだし、ぼちぼち始めますかね!」
「お母様、本日から一週間お世話になります。宜しくお願いします!」
三人とも改めて頭を下げて挨拶をする。
「お母様なんて、恥ずかしい。 美玲ちゃんって呼んで! 一緒にアオハルしてるみたいで嬉しくなっちゃうから」
「なんだそれ?」
「私も鉄ちゃんもみんなのこと精一杯応援するから! 好きなこと、とことん頑張んなさい!」
「ありがとうございます‼」
圧された背中がふわっと温かくなった。
地下への階段を下り、大きな荷物をそれぞれの部屋へ押し込み、ラフな練習着に着替えたらスタジオへ集合することにした。
碧音もいったん部屋へ戻り、練習着に着替え、洗面所で寝ぐせを直してから急ぎスタジオへ向かった。
一足先に到着した碧音はスタジオ内の大きなホワイトボードを見て唖然とした。
「なんだこれ……いつの間に」
三人も続々とスタジオに姿を見せ、碧音が見ているホワイトボードに注目する。
「すごい、これって……」
そこには初日の今日からその先ライブ本番の日まで大きなカレンダーになっていて、本番から逆算し「通し・固め」「アレンジ」「デモ完成」などの実行順序が書かれ、細かなスケジュールも記されている。
またパートと個人毎に大まかな課題と目標も表記され、合宿中に至っては模造紙に日毎の練習内容やタイムスケジュールまで細やかに指示されていた。
しかしドラムパートの部分はすべて小学生の殴り書きのような字で『勝手にどーぞ』とだけ書かれている。
「あの野郎……」
「すごいね…… 初めてお会いした日に現状をざっと説明しただけなのに。こんなスケジューリングまで」
陽菜が感嘆の声を上げる。
「たしかにいつやったんだってくらい驚いたけど。 勝手にどーぞはなぁ……」
「碧音くんの実力を認めてるのよ。 お父様、 あっ…… パパさんらしいんじゃない?」
「パ、パパさん⁉」
「そうなの。ホワイトボードにそう呼べって書いてあって」
よく見るとボードの隅に『今日から私のことはパパか鉄さんと呼びなさい。できればパパで♡』と書いてあった。
「な――にが♡だ! スケベじじい‼」
碧音がその部分をクリーナーで消しにかかる…… が、消えない。
どうやらそこだけ油性で書いてある。
「あ――――! もぉ――――っ‼ いろいろ腹立つわぁー!」
室内に笑い声が満ち溢れる、幸先のいいスタートで初日が始まる。
軽めのアップや基礎錬から始まった練習はあっという間にお昼に差し掛かろうとしていた。
初日は夕方までほぼ個人練習に重点が置かれたスケジュールとなっていた。
碧音は全員の練習内容とタイムスケジュールを確認し、みやびへのベース指導、真理との音作り、陽菜との制作活動など、それぞれのタイミングに合わせた動きを模索していた。
すると天井のスピーカーから声がした。
「ピンポンパンポーン、こちらキッチンの美玲ちゃんです。お昼ご飯が出来ましたのでリビングへ上がってきてください。ポンパンポンピーン」
「えっ? キッチンとも繋がってんのか、ここ。初めて知った」
「すごーい、なんか致せり尽くせりだね。ちょうどお腹も空いてきたし」
「てか、なんだ? 最後のポンパンポンピーンって」
「美玲ちゃん、可愛いママだよね。面白いし」
「真理も十分面白いけどね。早く行ってお手伝いしよっか」
練習を切り上げリビングへと上がる。
「うわぁ~、おいしそう!」
女子達の声の先にはすでにテーブル一杯に並べられた昼食が用意されていた。
「成長期だからね。みんないっぱい食べて! 午後からも体力使うでしょ?」
「ありがとうございます! いただきます!」
五人でテーブルを囲み、一緒に昼食をとる。
「うん、めっちゃおいしいです、美玲ちゃん。このポテトサラダ、最高です!」
真理が口一杯に頬張る。
「ほんと、みんなおいしいです。おばさんの唐揚げ、久しぶりに頂きました」
「あら~、お口に合ってよかったゎ。ちなみにみやびちゃん、おばさんじゃなくて美玲ちゃんだからね!」
食卓にも笑いが溢れる。
「普段の食事なんてほとんど碧ちゃんと二人か一人でしょ? 鉄ちゃんはお昼食べないし、夜は外に飲み行くし。碧ちゃんは何も言わずに黙々と平らげるだけだし。だからそんなリアクションされると嬉しくてテンション上がっちゃうわ。夜ごはんだって作り甲斐があるわよね~」
和やかな昼食は饒舌な母親トークを中心に進んでいく。
「で、時に女子諸君。うちの碧ちゃんは学校でしっかりモテているのかね?」
口に入れた冷やし中華を吹き出しそうになる碧音。
「な、何を聞き始めんのさ、いきなり……」
「そりゃ可愛い我が子の学校生活、特に恋バナなんて気になるでしょうが! 母親として!」
和やかだった食卓に何とも言えない張り詰めた空気が漂う。
「う~ん、モテてるかはわかんないけど。三年の先輩に『普段の可愛い顔とドラム叩いてる時の真剣な顔のギャップがいい』って言ってる子はいましたね」
真理があっけらかんと暴露する。
「だ、誰? どの先輩です⁉」
圧のこもった目でみやびが真理を問い詰める。
「それは言えないでしょう、みやびちゃん」
いたずらっぽく不敵な笑みを返す真理。
「たしかに練習終わりに二人で帰ったときとか、通り過ぎ際に碧音くんのことチラ見して振り返る女の子とかたまにいますね。
身長も高いし、人気はあるかもしれませんね」
「それはどこの誰? 何年生です? ってか陽菜さん、碧音と二人で帰ることとかあるんですね⁉」
「た、たまにね、駅まで一緒になることくらいあるでしょ? みやびちゃん、落ち着いて? 目が怖いわ……」
「みやびちゃ~ん、私だって碧音くんと二人で帰ったことも朝一緒に通学したこともあるよ~?」
真理のみやびへの挑発は止まらず、目線の火花がバチバチと爆ぜる。
もちろん鈍感な碧音には爆ぜる火花は見えず、陽菜には楽しみの格好の材料であった。
「もぉ~、ちゃんとアオハルしてるのね、うちの碧ちゃんも」
「してないよ、俺は…… ねぇ、もう止めない? この話。 飯、冷めちゃうよ?」
「いいじゃないの、滅多にできない女子トークなんだから」
「……もう、好きにして」
諦めた碧音は食べかけの冷やし中華の皿におかずを山盛りにして席を離れ、拗ねたようにキッチンで一人、黙々と貪り食べる。




