THE 母親とクソ親父
「う~ん、もうちょい親指は叩いたほうがいいな。うん、そう。今の音」
あの日から碧音とみやびの二人はスラップ奏法をものにすべく、日々練習に明け暮れた。
「うっし! んじゃここら辺で一回休憩にしよう、みやび」
首を傾げながら納得いかない様子のみやびには碧音の声が届いていない。
「みーやーびー、休憩!」
碧音に肩を揺らされ、初めて呼ばれている事に気づいた。
「あ、ごめんごめん」
ふぅーっと長い息を吐いて天を仰ぎ、両手をプルプルと振るう。
額に滲む玉のような汗が夏の暑さと練習の苛酷さを物語る。
「顔を洗ってくる」とみやびが部屋を出ると、真理と陽菜が心配そうに碧音に近寄る。
「やっぱりきつそうだね、みやびちゃん……」
「真理も何かしてあげたいけど、こればっかりは……」
「たしかに、フォローするとは言ったものの、おれも教えられるのは基礎くらいなもんなんでね……」
窓際に夏の日差しがジリジリと照りつける。
「そういえば陽菜ちゃん、先輩から聞いたんだけどさ。今年のライブは参加希望組が多くて、来週から練習室の利用割り当て調整するかもって。だから夏休み中も練習室使っての全体合わせとか、回数が減っちゃいそうだね……」
「あ~、私も聞いたよ、その話。かといってスタジオばっかり入ってたらお金ももたないし…… 合宿もあるっぽいけど、十分な練習ができるかは微妙なところね……」
碧音はしばらく思い悩んだ表情で考え事をしていた。
「どうかした? 碧音くん。珍しく思い詰めた顔して」
陽菜が異変を察知する。
「あ、いや…… その、ちょっと前から考えてはいたんすけど…… もしかしたら、その練習場所の問題とみやびの問題。両方解決できるかも……」
「え⁉ マジで! どうやって??」
真理が驚き問い詰める。
「いや、ほんとにもしかしたらだから、あんまり期待しないで欲しいんですけど……」
「え? どういうこと? 何か策があるってこと?」
陽菜も怪訝そうな顔で碧音を見据える。
そこへみやびが戻ってくるとさっそく真理が内容を伝える。
「もっと上手くなれる方法があるなら私、何でもするよ! 言ってよ、碧音」
矢継ぎ早に問い詰められ、観念したように碧音が話し始める。
「わかったから! 話しますって…… でも何回も言うけどまだわからないっすからね? チートとか言われるのも腹立つからどこにも言ってなかったんすけど、もうこの状況じゃ背に腹は代えられんので…… 実は…… うちの親父、一応プロのベーシストやってるっす」
一同思考が停止する。
「サポートベーシストっつっていくつかバンドを掛け持ちしてて、業界じゃわりと名前は通ってるっぽいっす……」
「え、じゃあ…… そのプロの、碧音パパに教えてもらえるってこと?」
みやびが困惑気味に確認する。
「あんまり頼りたくはなかったけど、もしそれができるなら俺なんかが教えるより間違いないと思う。あんなのでも腕は確かだしな。ただ、あんまり家にいないようなクソ親父だから、まともに相手してくれるかすらわからん…… だから期待しないで欲しいってことなんすよ」
「な、なるほど…… いきなりの情報でちょっと驚きが強すぎて……」
陽菜も目を丸くし、さすがに冷静ではいられなかった。
「まずそれがみやびのスキルアップの件で。あとは練習場所の問題なんすけど。これも親父に絡むからややこしいんすけど…… えー、うちにレコーディングスタジオ、あるっす……」
女子達が抱き合って黄色い声をあげる。
「もぉ何なの⁉ 全然平社員じゃないじゃん! もはや社長! いや、息子だから専務か? 碧音専務! 絶対遊びに行きたいであります!」
「真理ちゃん、ちょっと静かに…… お家にあるっていってもお父様の仕事場だから。私達が使っちゃダメでしょ?」
「そうなんすよね~、ガキの頃に内緒でドラム叩いてたのバレて使用料請求されたっす…… 小学生っすよ? 払える小遣いもないから代わりにタバコ買ってこいだの、酒持ってこいだの一週間パシられましたよ…… だからそもそも使えるかも微妙なところなんすよね」
「どうにかして碧音パパに教えてもらえるようにお願いしないと」
「とりあえず今日久々に親父が帰ってくるって、かーちゃんが騒いでたから話してみるっす。 まぁ、会えればですけど」
「私も直接伺ってお願いしたほうがいいかな?」
「いや、ひとまず俺から話してみるよ」
期待に心踊らせる女子達とは対照的にいまだ気乗りしない様子の碧音。
バンドの命運を握る交渉を碧音に任せ、翌朝を待つ。
「で、どうだった?」
朝イチの練習室。親鳥の帰りを待つ雛鳥のような三人が目を輝かせて碧音にすり寄る。
「うん、まぁ、話はした……」
「それで、それで?」
「結論から言うと、まだわからんっす…… 渋い顔はしてたっす」
「うっわ…… マジで?」
真理が一瞬落胆の色を見せる。
「で、とりあえず全員連れてこいって…… 今日の午後」
「行く! もうソッコー行く‼」
「真理ちゃん、興奮しないで静かに! ってことは会ってはくれるってことよね?」
「私も直接会ってお願いしたかったし、ちょうど良かったかも」
「まぁ、たぶんそういうことかな、全然どうなるかわからんけど…… そんなわけで今日午後練オフの日だけど、みんな平気です?」
聞くまでもなく全員大乗り気で顔には好奇心が満ち溢れる。
放課後、一旦部室に集合する約束をしてようやく朝練が始まった。
纏わりつく暑さも感じさせず、意気揚々と歩く三人の後をこの期に及んで足取りの重い碧音が続く。
「もー、碧音くん、早く~!」
真理が急かす。
「背に腹は代えられんとは言ったものの、あの呑んだくれスケベクソ親父に会わすため女子を家に連れてくとか……」
「もぉ、何ぶつぶつ言ってるの? 碧音が先歩かないと道わかんないでしょ⁉」
みやびが碧音の背中を押す。
「それにスケベは聞いてなかったわよ?」
陽菜の抜け目ないツッコミに笑いが起き、楽しげに柊家を目指す。
「ただいまー……」とぶっきらぼうな高校男児の声の後に「お邪魔しまーす」と三人の女子高生の黄色い声が玄関に響く。
するとパタパタとスリッパの音をたてながら、奥から碧音の母親が出迎えにきた。
「いらっしゃーい! って、あら。みんな可愛らしい女の子ばっかりね! 碧ちゃん、ハーレムじゃない!
はじめましてー、碧音の母です~。いつも碧ちゃんが迷惑かけてるでしょ~? ごめんなさいね?
あらー! みやびちゃん、久しぶりねー! ちょっと見ない間にこんなキレイになっちゃって~」
母のマシンガンが止まらない……
「かーちゃん! もぉいいから! とりあえずみんなあがってもらって。 親父は? 下?」
「朝から籠ったきりだからそうじゃない? 暑かったでしょう? すぐ冷たいの用意するから、あがって、あがって!」
ザ・母親がみんなをリビングのソファへ案内する。
思春期の男子にとって、こんな母親劇場がめちゃくちゃ堪える……
「あら、そうなの~。真理ちゃんと陽菜ちゃんは一つ上の先輩なのねー。碧ちゃん、学校でのことあんまり話してくれないから。こんな可愛い年上女房候補が二人もいるなんて!」
場にピリピリと張り詰めた空気が漂う……
「おぉ――――いって‼ 何言ってんの⁉ 余計な事言わんでいいって! 麦茶飲んだらすぐ下行くから!」
顔を赤くした碧音が母親を制する。
冷えた麦茶を一気に飲み干し、一刻も早くこの場を離れたい一心でみんなを急かす。
他にも余計な事を言い出すんじゃないかと気が気でなかった。
「この階段降りた地下にスタジオがあるっす」
リビングから繋がる下りの階段を案内する。
重厚な防音扉を開けるとそこにはレコーディングスタジオの光景が広がる。町の練習スタジオとは比べ物にならないレベルの機材が揃い、テレビなどで見るプロミュージシャンのレコーディングに出てくるそれ、そのものであった。
三人とも呆気に取られ辺りを見回す。
するとガラス越しのミキサールームに父親らしき男性の姿があった。
革のジャケットとパンツ、顎髭に咥えタバコ、手にはごついシルバーアクセサリー。見るからにロックスターの出で立ちであった。
「あれ、クソ親父ね……」
威圧感のある風貌に一気に緊張感が走る。
こちらの存在に気づいた父親は右手をあげ、ミキサールームからのマイクを通してスピーカー越しに声が届く。
「あー、いらっしゃい…… ん? 女の子かぃ? ……えーっと。碧くん、ちょっとこっち来てくれるかな? みんなはそのままで」
「碧くん? なんだよ、気持ちわりーな……」
首を傾げながら録音ブースの防音扉を開け、一人だけミキサールームに入っていく。
残された三人から見えるガラスの向こうでは、二人で何か話し合いながら、父親が息子をハグしているような姿が見え、仲睦まじい親子の関係が垣間見えた気がした。
しかし、実際のミキサールームでの親子のやり取りはこうだ。
「おーい、碧音。全然聞いてねーけど…… 全員女の子じゃねーか」
「え? それが何? そんなの関係あんの?」
「最重要事項だ、バーカ! な~にお前だけハーレム気取ってんだ、タコッ!」
父親が碧音の腕を引き、ヘッドロックを固める。
「い、いってぇーなっ! なんだよ、いきなり!」
「バンドメンバーっつうから俺はてっきり生意気なクソガキ共かと思ってよ! そんなやつらが俺のスタジオを使いてーとかナメた事言ってやがるから、一回シバいてやろうって呼びつけたんだ! 汗水流して働いたバイト代使ってスタジオ入って練習すんのがバンドマンだろーが! ってな!」
「じゃあ、みんなにそう言えばいいじゃねーか!」
「頭わりーな、おめーは! 女子は別格だろーが! 世界は女子を中心に回ってんだ!」
「はぁ? なんだそりゃ?」
「とりあえず早く紹介しろや! 女子を待たせんな!」
二人がミキサールームから出てくる。
心なしか息切れしているようにも見えるが……
「どうもはじめまして。碧音の父、鉄です。いつもうちの碧音がお世話になっております」
丁寧な言葉使い、紳士的な対応と優しげな笑顔。
外見とのギャップに一同多少の違和感を覚えるなか、碧音が各々を紹介する。
「ふむふむ、真理ちゃんに陽菜ちゃんにみやびちゃんね。美少女、美少女、美少女、と」
「はっ?」
「マジでみんな美しいなぁ…… バカ息子にはもったいないくらいのメンバーだ」
「うるせー、スケベ親父」
見えない小さな肘打ちが碧音を襲う。
「いってーな、もぉ! で? どーなんだよ? 使わせてくれんの? ここ」
「碧音くん、頼み方! 私達からもぜひお願いします!」
陽菜を先頭にみんなが頭を下げる。
「お忙しいのは重々承知してますが、ちょっとでもいいんです! 私にベースを教えてください!」
みやびがさらに深く頭を下げる。
「いやいや、そんな可愛い顔を伏せちゃもったいない。みんな顔を上げてください」
全員がそっと顔を上げ、鉄を見据える。
「はい、やっぱりみんな可愛いです。ずっと見てたいですー、はいー」
「碧音のパパ、酔っぱらってんのかな?」
真理がみやびに静かに耳打ちする。
「まぁ、なんだ。そのまま立っててもなんだし、とりあえずせっかくだから一曲聞かせてもらおうかな」
鉄の言動に困惑しながらも、言われた通り準備を進める。
本人はすでにミキサールームに移動し、マイクから指示を出す。
「モニターの音量、問題なければ合図くださーい。 はいー、オーケー。こっちはいつでも平気なんで好きに始めてくださいなー」
独特の雰囲気とプロを前にしての演奏とあって各々緊張の色は隠せない。
「大丈夫。いつも通りいこう!」
碧音の言葉で心を落ち着かせ、四人はアイコンタクトで小さく頷く。
フッと小さく息を吐いた碧音のスティックカウントから華やかに音が広がる。
顔合わせの時に陽菜が聞かせたデモをみんなでアレンジを加えながら長く練習してきた、いま全員が自信を持って送り出せる一曲である。
いつもと変わらない安定したリズムをキープし、普段通りの音色を重ねていく。
しかしワンコーラスを終えた頃、全員のヘッドホンに父親からのストップの声が伝わる。
「はいー、オーケーです! いいよー、ここでストップ。だいたいわかったから」
中途半端に止められ、不安を残しながらヘッドホンを外す。
「ワンコーラスで何がわかんの?」
碧音が苛立ちをマイクにぶつける。
「あぁ? こちとらこれで飯食ってんだ。君らのレベルならワンコーラス聞けば十分よ。なんなら言ってこうか? えー、じゃあまず真理ちゃんね」
真理がビクッと反応し、背筋が伸びる。
「ギブソン・レスポールなんていいギター使ってるけど、全然活かせてないね。この曲調ならもっとレスポール特有の歪みで味が出せるのにエフェクターに頼りすぎててもったいない。 あとボーカルね。サビ前のファルセットのロングトーンが不安定。使う息の量を調整しないと」
「次、陽菜ちゃん。全体的に音の抜けが悪い。サイドギターがいない分、厚みを出したいのはわかるけど音数が多くてぶつかってる。あとBメロのマイナーに変わるとこ。合わせに行きすぎて半テンポ遅れてる」
「次、みやびちゃん。アタックが強い分、その後の音が繋がってこない。あとイントロ。左手が忙しいとモタってる」
「最後、ドラム。全然ダメ。ヘタすぎ。以上」
ぐうの音も出なかった……
ものの数分、初めて聴くワンコーラスだけで細部まで正確に見抜かれた。
さっきまでのふざけた感じは一切なく、淡々と的確なダメ出しがスピーカーを鳴らす。
「はい、お疲れでしたー」
録音ブースの防音扉が開き、鉄がこちらに歩み寄る。
「まぁ、高校生レベルではいいほうなんじゃない?」
落胆の雰囲気に鉄の皮肉が追い討ちをかける。
自分達の未熟さをまざまざと見せつけられ、悔しさと歯痒さで何も言い返せず沈黙した空気の中、みやびが切り出す。
「そ、それでも…… 私がもっと上手くなればこの曲は、 このバンドはもっと輝くんです! みんなのために、もっと上手くなりたいんです!」
「なるよ、みやびちゃんなら。いいモノは持ってるから。このまま続けてればそのうちもっと上手くなるよ」
「そのうちじゃダメなんです! あと二ヶ月…… 文化祭までにもっともっと弾けるようにならなきゃダメなんです!」
「私も、 私もやっと一緒にできる仲間を見つけたんです。今はまだ手探りだけど、この仲間とならもっとやれます! やりたいです!」
「私だって歌もギターももっと上手くなりたいよ! このギターの音、もっと活かせるなら知りたいし、教えて欲しいです!」
みやびの想いに触発されるかのように二人も想いをぶつける。
「いいね~、いいよみんな、今の顔。熱いねー」
「親父、おれ……」
「あー、お前の想いなんて興味ねーし、好き勝手に叩いてろ。どうせ使用料の請求はお前に回すんだから」
「え? じゃあ……」
「あぁ、好きに使えよ。昨日ツアーが終わったばっかで一月はゆっくりするって決めてっから、ほぼ使わねーだろうし。飲みに行く前で時間が合えばアドバイスくらいはしてやれるかもな。
どーせ君達学生諸君は来週辺りから夏休みだろ? 奥の作業部屋使って泊まれば、朝から晩まで音楽三昧っつう合宿だってできるしな。まぁ、年頃のお嬢ちゃん達を何日も泊めるのはさすがにまずいか……」
全員の表情がパッと華やぎ、手を取り合って喜んだ。
「ありがとうございます! あ、あの…… 一生懸命頑張ります!」
みやびが深々と頭を下げる。
「こんな美少女達の切なる願いだからね。応えるのが男ってもんですから!」
鉄の白い歯がキラリと光る。
「練習時間も確保できて、みやびちゃんのスキルアップはもちろん、私達の練習まで見てもらえるなんて。昨日までの重苦しい空気が嘘みたい」
「ホントだね。だいぶ切羽詰まってたもんね。碧音くんとパパのおかげだね。変わったパパだけど」
「いや、全くおれのおかげではなくて…… むしろみんなのおかげというか……」
「そういえばお父様、合宿もっておっしゃってたけど」
「あ~、作業部屋に泊まってってやつっすね。このスタジオの奥に狭い部屋がいくつかあるんすよ。簡易ベッドもあって昔から親父のレコーディングが深夜になったりとかで、スタッフさん達が泊まり込んだりしてて。そういう用に作ったみたいっすね。後で覗いてみます?」
「ねー、マジで何なん? 碧音くん家…… もう合宿どころか、一生住みたいじゃん」
「確かに…… この環境は羨ましすぎてちょっと嫉妬しちゃうけど。でもそれを本番まで使わせて頂けるんだもの。もう何の言い訳もできない、やるしかないわよね」
陽菜の瞳により深い覚悟の色が映る。
四人は集まり、陽菜を中心に今後のスケジュールと動きを再確認していく。
本番に向けた最後の追い込みが始まろうとしていた。




