雨と壁
季節は移ろい、梅雨真っ只中の七月。
昨日からの雨は止む素振りも見せず振り続け、灰色に深く沈んだ雲は部屋にも心にも暗く覆い被さる。
「なんかモヤモヤして気持ちが焦るんだよね、天気のせいだけじゃないけどさ」
窓の外を眺めながらみやびが不安を口にする。
「あと二ヶ月しかないんだよね、しかもあと二曲……」
そう、みやびたちの目下の目標は二ヶ月後に迫る文化祭でのライブ。
みんなにとっての記念すべき初ライブであり、初御披露目の場となる。
先輩達の話によると体育館で行われる軽音楽部のライブは二日間に渡り、例年両日とも大盛況で文化祭の一大名物イベントである、と。
演劇部、技術部の全面協力で舞台照明を、長年うちの軽音部を支えてくれている練習スタジオと先輩OBの協力で音響ミキサーを各々担当してくれ、他校とは一線を画す本格的なライブが人気の理由らしい。
持ち時間三○分で最低四曲以上の演奏が必須条件とのこと。
長く活動している三年生バンドやコピーバンドならいざ知らず、四月に結成しオリジナル曲だけで勝負するみやびたちにとってはなかなかのハードルである。
現在のところ、全員で通して合わせられる曲が二曲、まだパート毎・構成毎の確認作業レベルの曲が一曲、これから制作する曲が一曲となっている。
四曲ともに完成し、個々のパートを詰め、全体で合わせ、披露できるクオリティまで高めることを考えるとかなり苛酷なスケジュールといえる。
特に曲作りも手掛ける陽菜にかかる負担は想像に難くない。
みやびだけでなくそれぞれの心に暗い雲が覆っていた。
「けど、どうやったってやるしかないからな。なんとしてでも...」
碧音も同じ窓の外を見つめ、グッと拳を握る。
「ちょっと陽菜さんの様子見てくるわ、何か手伝えることがあれば」
陽菜はいつもの練習室ではなく、誰もいない音楽室に籠って制作に集中していた。
いつもは冷静な陽菜でさえ、かなりの焦りを感じていた。
今までの作曲は決められた期日もなく、自分が納得いくまで時間をかけて練り上げてきた。
特に披露するでもなく、あくまでも個人で完結するまでだった。
だが、ここへ来てバンドでの活動の難しさに直面した。
出来上がったものをメンバーに落とし込み、全体のクオリティを上げ、目標の期日に披露する。
以前とは比べ物にならないほどの労力だった。
「陽菜さん? 陽菜さ~ん、大丈夫です?」
碧音の何度目かの呼びかけにようやく気付いた。
「あ! 碧音くん。ごめんなさいね、集中しちゃってて」
「いや、全然。陽菜さん、根詰め過ぎてないかなって、ちょっと心配で」
「私? 私は大丈夫よ。むしろ新曲が遅れてみんなに迷惑かけちゃってるから、申し訳なくて……」
「もしかしてちょい行き詰まっちゃたりしてます?」
「ん~、正直ちょっとね。焦りのせいもあるのかな…… 碧音くんが来てくれたのもいいタイミングだったのかも。まだいくつかのフレーズだけなんだけど、ちょっとアドバイスしてほしいな……」
「おれなんかで良ければぜひぜひ!」
陽菜からヘッドホンを受け取りデモを聞かせてもらう。
何パターンかのリフであったり、コード進行であったりがトラック毎にまとめられていた。
その中に今までと少しテイストの違う音源に引っ掛かった。
「陽菜さん、一個前のトラックに戻せます?」
「うん、ちょっと待ってね」
「あ、そうそう、これ。今までとちょっと違うかな」
「あ、11番か。それね、別のサンプラーに入ってた音を使って試しで録ってみたの」
「うん、ちょっとファンクっていうか、ジャズっぽいっつーか……」
「あ~、確かに、ベースラインとか近いかもね」
「なるほど、これかも。俺が欲しいやつに近いかな…… あの、陽菜さん、ちょっと相談いいです?」
「え? ええ、どうぞ?」
「時間が足りない今やるべきかわからんし、やったところでうまくいくかもわからんのですが……」
碧音が言葉を選ぶように話し始める。
「おれ、いつかやってみたい野望がありまして」
「えぇ? どんなこと?」
「誰にも話したことないんですけど、ドラムとベースのリズム隊から先行して曲作ってみたいんすよね」
「リズム隊先行?」
「そうっす。自分がカッコいいって思えるリズムに好きなベースラインを乗せればグルーヴ感のある土台ができそうでしょ?そっからさらにコードとメロディを乗せて的な」
「へぇ~、私はそういう流れで作ったことはないかな~、斬新かも」
「でも、俺が乗せたいベースラインって今のみやびには出せない音なんですよね。今聴いたトラックのやつみたいな」
「もしかして……」
「そう、スラップなんですよね。ピックでは出せない、あの音があればもしかしたら……新曲の素案くらいなら俺、出せるかもしれないっす」
「けど…… 時間よね……」
「そうなんすよ。いつかやりたいなぁくらいの野望だったんで、あいつにもまだ言ったことないし、すでに追い詰められてる今じゃないのかもしれないっすね」
「…………」
陽菜は無言で手元の譜面に視線を落とす。
碧音のアイデアは確かに素敵だし、何よりも碧音が作り出そうとしている音楽に強烈に惹かれる自分もいる。
もしそれが可能なら今後バンドにもたらす好影響は計り知れない。
二ヶ月というリミット。
これが無ければすぐにでも取り掛かりたい案件である。
二人の懸念点は同じだった。
経験の浅いみやびに大きな負荷がかかること。
始めてまだ一年も経たない子が今のペースについてくるだけでも大変なことなのに、あと二ヶ月で新作を二曲を覚え、スラップ奏法も習得する。
現実的に相当難しいと思われる。
「みやびちゃん、この話したら絶対やるって言うよね?」
「百パー言いますね。あいつ、ああ見えて責任感の塊だし、負けず嫌い王ですから」
「…………」
室内に重苦しい沈黙が続く。
音楽室から見える空も変わらず灰色で、雨音だけが部屋中に響いている。
「……賭けてみる? みやびちゃんに」
「えっ⁉ マジっすか?」
「うん、マジっす。やっぱりどう考えても碧音くんのアイデアは私達にとってプラスでしかないもん。それを時間がないから、経験が浅いからで後回しにするのはもったいない気がしてさ。あと彼女の成長スピード。今のみやびちゃん、スポンジみたいに何でも吸収していくじゃない? 自己紹介の時のプレイもそうだけど、あの早さは私達の比じゃないでしょ? それに碧音くんと一緒に制作していくならなおさらかなって」
「なるほど……」
「私の力不足のせいで遅れが出ちゃって、焦って空回りしてたんだ、本当は。これまでの制作とは全然違って、今のままじゃ通用しないって、認めたくなかったのかも…… ごめんね、碧音くん。みやびちゃんにはもちろん、碧音くんにも、真理にも負担かけることになるけど…… お願いします。次の新曲、みんなの力貸してください」
「ち、ちょーっと! 頭なんて下げないでくださいよ! 力貸すなんてそんな、当たり前っすよ。陽菜さん一人で背負うことじゃないっすもん。仲間なんで! むしろ今まで先輩達が貯めてきてくれたものでここまで出来てるんだし。だから次の曲くらいはみんなで共作的な形でやってみましょうよ!」
「うん、そうだね。ありがとう、碧音くん。みんなには私から説明するから、碧音くんはみやびちゃんのフォローをお願いね。相当なプレッシャーだと思うから」
「うっす! お任せくださいっす!」
音楽室を後にした二人は意を決して練習室へと戻る。
真理もみやびも二人の空気からただならぬ雰囲気を察し、不安げな表情をみせる。
みんなが集まり陽菜から一通りの経緯が説明された。
「そういうわけなんだ、みやびちゃん。本番までの二ヶ月、あなたの可能性に賭けたいの」
沈黙したみやびの背中に真理が優しく手を添える。
「もしやるっていうなら俺も本気出すし、フォローもする。あとはお前次第だ、みやび」
「……そんなの」
「ん?」
「そんなの……やるに決まってるじゃん‼みんながこんな私を信じて、頼ってくれるんだもん。絶対に応えるよ、必ず!」
隣にいた真理はうれしさのあまりみやびの背中に抱きつき飛び跳ねる。
陽菜もひとまずホッと胸を撫で下ろす。
「あとはやるだけっすね!」
「うん、碧音くんのお陰だよ。また助けられちゃったね、ありがとう」
「んにゃ、全然なんもしてねっすよ。これからっす!」
じゃれ合う真理とみやびを見つめ、胸が高鳴る。
「あーっ! 外、雨止んだ! しかも太陽出てるじゃん、ちょっと見てよ! 陽菜も碧音くんも!」
真理が窓の外を指し大声で騒ぐ。
「すごい! 雲の隙間から日の光が……キレイ」
みやびも窓際に立ち神秘的な景色に目を奪われる。
「うぉっ! めっちゃキレイじゃん! ほら、陽菜さんも見てよ?」
碧音も興奮しながら窓際の二人の輪に入っていく。
陽菜はその背中を安心感とは別に、ときめきにも似た淡い色を帯びた瞳で見つめていた。
誰にも明かさない、秘めた想いを胸に、いつもと変わらず三人を少し離れたところから眺める。
厚い灰色の雲の切れ間から漏れる光のカーテンが、それぞれの想いをキラキラと輝かせた。




