昂る想い
リビングの空気に耐え切れなくなり、慌てて一人スタジオへ下りてきた碧音。
「くっそ~、なんか調子狂うんだよな~」
ドラムセットの前に座り、手遊びのようにパラディドルでビートを刻む。
天井を見上げ目を瞑り、深く深呼吸をし、心を落ち着かせる。
小さかったスネアの音はロールも織り交ざり徐々に大きく、荒々しくなり、最後に雑念を振り払うかのように力強くスネアとバスドラ、フロアタムを同時に打ち鳴らした。
「ふぅ~、ちっとは晴れたな…」
ぽつり独り言を漏らすと同時に防音扉が開き、みやびが入ってきた。
「お待たせ、碧音。また叩いてたの? せっかくシャワー浴びたのに」
「ん? お、おう、軽く遊んでただけだよ」
「え? なんか怒ってる? さっきも変だったし」
「なんも怒ってねーし! ちょっと調子狂っただけだ、ほら! さっさと始めんぞ」
碧音はドラムセットから立ち上がり、みやびのいるベースアンプの前まで移動する。
椅子を横に並べ、一つの譜面台で同じ譜面に書き込みをしていく。
すぐ隣にいるみやびから乾かしたての髪の熱を感じ、シャンプーの甘い香りがほのかに漂う。
髪をおろしているだけでいつものみやびとは違う感じがして、心がざわめき立つ。
「ち、ちょうど良かった。みやび、手伝って!」
「え? なにを?」
いったんベースを置いてみやびの手を取り、ミキサールームに足を踏み込む。
「とりあえず先にドラムだけ先録りしてみようと思ってさ。それを流して聞きながらやったほうがベースライン、イメージしやすいかなと」
「なるほどね、いいじゃん。でもこんなすごい機材、わかんないよ」
「とりあえずこのスイッチが録音スタートとストップね。で、これがトークバックでマイクで指示出すやつ。んで、このヘッドホンで聞いてて。そんだけかな。」
「うそー⁉ そんだけ?」
「まぁ、仮録りだから。遊びみたいなもんよ。んじゃ、やってみっかね」
簡単すぎる説明の後、碧音はミキサールームを出てドラムセットにスタンバイする。
「あー、あー。碧音、聞こえる?」
「おう、ばっちりだな」
「よかった。で、あとはRECのボタン押すだけ?」
「おぅ。ちょっと慣らして集中すっから、俺が手上げて合図したら押して」
「うん、わかった」
大きく伸びをして腕を回し、タムとシンバルの位置を微調整する。
ルーティーンのように軽く一叩きし、大きく息を吸い込み、フッと小さく息を吐く。
同時に右手を上げみやびに合図を送ると、各扉の上に録音中の赤いランプが点灯する。
柔らかなタッチのパラディドルで優しくスネアを鳴らし、徐々にアクセントがついていくにしたがってグルーヴが生まれ、力強さを増していく。
何度聞いても毎回同じように引き込まれてしまう碧音のドラミングにみやびの瞳が釘付けになる。
ヘッドホンから鳴り響く音は、目の前で体感していた今までとはまた違った衝撃を残す。
ガラス越しに碧音の姿を見つめ、ライブでの演奏姿を想像し、重ねる。
真っ暗なステージに碧音だけを照らすピンスポットライト。力強いリズムと演奏による『動』と一面真っ暗な『静』のコントラスト。
ステージを思い描き、ヘッドホンから押し寄せるリズムの波を胸に落とし込むと、気が付けば指先が震え、瞳から涙がこぼれ落ちた。
高速ロールでのタム回しに聞き覚えがあり、演奏が最終局面であることを感じる。
最後のバスドラとシンバルを打ち鳴らし、少しの余韻の後にみやびに合図が送られる。
ふっと録音中の赤いライトが消え、同時に碧音の胸もスッと軽くなった。
ミキサールームから小さく拍手をしながらみやびが歩み寄ってくる。
「どうだった?」
碧音もドラムセットからベースの練習椅子に移動しながら感想を求める。
「す、すごかった、めっちゃ良かった……」
隣に座ったみやびの声が鼻声であることに気づき、顔を覗き込むと涙が頬を伝っている。
「な、どうした、みやび? なんで泣いてんだ⁉」
「わかんない…… たぶん、感動だと思う……」
「わかんないって、お前、 なんだ、それ」
「わかんないよ! 初めてヘッドホンで聞いて、碧音のこと見てて、ライブのこと想像してたら勝手に涙出てきて止まらないんだもん!」
「わ、わかったょ! ちょっと待ってろ」
碧音はドラムセットの裏にある棚からタオルを手に取り、みやびに渡す。
「ほら、使ってないやつだから」
「ありがと……」
タオルで涙を拭き、鼻を拭うみやび。
自分の演奏に涙を流して感動してくれるみやびを見て、たまらない愛おしさが込み上げてくる。
無意識にみやびの頭に右手が伸び、子供をあやすかのように優しく撫でた。
「なんか……ありがとな……」
「……うん」
つい今まで碧音の激しいドラミングが行われていた同じ部屋とは思えないほど対照的な、淡く静かな空気が二人を包む。
すると不意にスタジオの扉が開き、真理と陽菜が現れる。
碧音は咄嗟に右手を引っ込めた。
「なんか録音中の赤いランプついてたじゃん! いいの録れた~?」
真理が飛び跳ねながら近寄ってくると、みやびの異変に気付く。
「え? みやびちゃん、どした? 碧音くん、何かしたの? 陽菜ちゃん! ちょっとー!」
「いや、まてまて……」
「みやびちゃん、大丈夫? ちょっと、碧音くん。何があったか説明してくれる?」
「え? おれっすか?」
「……もぉ~、いいところだったのに~。 邪魔しないでくださいょ~!」
「へ?」
「え? なに? みやびちゃん、いいところって…… どういうことかな~? 陽菜ちゃん! この人、一人だけなんかズルしてるんですけどー!」
「碧音くん、全然見えてこないんだけど……」
「いや、あの人達がややこしくしてるだけで……」
二人を離し落ち着かせ、事の顛末を話した。もちろん頭を撫でたことは伏せて……
「へぇ~、でもみやびちゃんの気持ち、ちょっとわかるかも。碧音くんの演奏は確かに心が揺さぶられるからさ」
「ちょっと! 真理も早く聞きたいよ!」
「うっす。したら流してきますね」
碧音がミキサールームへ移動し、さっき録ったトラックを再生する。
スピーカーから響くそれは生音には及ばないものの、演奏のクオリティを伝えるには十分なものだった。
「ループで流すんで、とりあえず一回通しで聞いてみてほしいっす」
それぞれ目を閉じ、碧音のビートに耳を預ける。
静かにリズムを取りながら体を揺らす。
「っとまぁ、こんな感じっす。一回止めますね」
全員深く息を吐き、それぞれ目を合わせる。
「もう、これ単体で聞けちゃうわね。ほんとソロって感じ」
「早く生で叩いてもらって合わせたいなぁ。絶対気持ちいいもん」
「とりあえずイントロのイメージっすね。Aメロ前まで。今んとこの俺なりの構想を挟みながら、もう一回流しますね」
「うん、お願い」
「えーっと、こっからスタートして…… 次の小節からベースを乗せます。ファンクな感じにしたいっすね。それでスラップが必須っす。 で、この辺がみやびの見せ場っす。めっちゃうねりながらの~、一気にドン! みたいな。ここからさらに盛り上げて、次からギター被せるっす。 前やったセッションの時のフレーズに近いイメージかな。覚えてます? ベースのコードが決まり次第、一回即興で合わせるのもおもしろいっすね。 で、最後陽菜さんに被せてもらって音圧でドーン! って感じ。伝わったっすかね?」
「私はわりとイメージ伝わったけど、真理はどう?」
「うん。順番にソロを重ねていく感じだよね? めっちゃいいと思う!」
「コードさえ決まってくれば構成も一気に広がりそうよね!」
「それにはやっぱり私のベースが早く決まらないと先に進まないってことよね?」
「そうだな~。したらベースラインはいったんピックでも大まかな流れだけは固めようか。スラップのニュアンスは都度、親父と相談してって感じで。フレーズは俺も一緒に考えるからさ」
「うん、ありがとう。リズムが決まっただけでもだいぶイメージ湧くから助かったよ」
「おうっ! んじゃ、引き続きやってくか」
少しずつ見えはじめた碧音の音楽がそれぞれの胸を昂らせる。
二人は膝を突き合わせ、交互にフレーズを弾き合い、気に入ったものを譜面に落としてお互いに弾いてみる。
みやびにとってこんな形での制作は初めてだったが、思いのほか進みも早く、何よりみやび自身が楽しくて仕方なかった。
碧音が奏でるリズムが何の違和感もなく体に染み入り、自分でも驚くほど自然と指が動く。
こんな体験は初めてだった。
「かなり順調に進んだな~。この感じなら明日の午前中には形になるわ。みやび、絶好調じゃん!」
「なんかさ、初めての感覚で…… 指が動くんだよね。体が勝手にノレるっていうか……」
「いいね~、ゾーンに入ってるってやつじゃん」
「う~ん、っていうか碧音のリズムがさ、スゴい馴染むっていうか、自然に入ってくるんだよ。生意気だけど」
「あ~、でも俺もみやびのベース聞いてて思うかな。感性が似てるっていうか、いいなって感じるツボが同じなんだよね。相性いいのかもな、俺達」
「……相性、 いいんだ、私達……」
みやびは胸が締め付けられ、顔が一気に熱くなった。
「あれ? もう先輩達いなかったんだな、気づかんかった。そんじゃもうこんな時間だし、俺らも片付けて明日に備えますか~」
椅子から立ち上がる碧音の腕を、瞬間的にみやびの手が引き止める。
「あ、あのさ、碧音……」
「ん? どした?」
「……さっき、ありがとね」
「あ~、タオルくらい、いいよ別に」
「ち、違うよ……その、……頭、ポンポンしてくれて……」
「あ…… あ~、あれな。あれは、手が、勝手にだな……」
「うれしかったから」
「そ、そっか……」
「碧音、もう一回してよ……」
「へ?」
「あれ、心が落ち着くんだ」
戸惑いながらも椅子に座るみやびを見つめ、ゆっくりと手を頭に乗せ、優しく愛でる。
しばらく続く柔らかな空気の中、突然撫でていた手がいたずらにわしゃわしゃと艶やかな髪を乱した。
「はい~、終わり~」
「え~、もうちょっとしてほしかったのに……」
「もう寝るぞ。明日起きれんくなる」
「そっか……そうだね」
乱された髪を直しながらみやびも椅子から立ち上がり、大きく伸びをする。
「おかげで明日も頑張れそうだよ!」
「おう、また明日な」
「うん、おやすみ、碧音」
込み上げる想いをグッと飲み込み、部屋を出る碧音の背中を見送った。
翌朝も二人は朝食を早々に済ませ、午前中の個人練習を新曲の制作に充てた。
昨晩のペースから変わることなく順調に進み、大枠が完成する。
それとほぼ同時にタイミングよく鉄が姿を現す。
「パパさん! すぐに見てほしいものがあって!」
「盛り上がってんじゃない! なによ?」
みやびが出来立ての譜面を鉄に手渡す。
「お? 新曲のイントロか」
鉄の目が譜面をなぞっていく。
「へぇ~、これをスラップでやる、と」
「ひとまず先に固めるのにピックで弾いたんですけど、最終的にはスラップでやりたいです」
「ふ~ん、じゃあどんな感じになるか、一発見本をお見せしちゃうか。 碧音、叩けんのか?」
「え? あぁ、もちろん」
「うっし。んじゃ、三分くれ。しっかりアップでもしとけよ」
鉄が壁に掛けてあった自分のベースを手に取る。
「……え、パパさん。これ一回見ただけでもう弾けちゃうんですか?」
「まあね、天才なんで。このベースライン、碧音も絡んでるっしょ?」
「あ、はい。一緒に考えました」
「ですよね~。 わかっちゃうんだな~。まぁ、聞いてみてよ」
鉄は再度譜面に目を落とし、にやけた顔から一転、真剣な顔つきへと変わる。
真理と陽菜も作業の手を止め、二人の演奏に注目する。
鉄が右手で碧音に合図を送ると、碧音のスティックが踊り始める。
何度もスピーカーから流れ聞いたリズムが、生音の衝撃で体を突き抜ける。
そこに鉄が奏でるベースが折り重なる。
初見とは思えないほど忠実でありながら、ポイントでアレンジも加わり、今までの音とは全く違うパーカッシヴな打音でビートが跳ねる。
まさに二人が思い描いたそれ、そのものであった。
「ふぃ~っ、と。こんな感じでいかがでございましょうか? お嬢さん」
「……すごい、すごいです、パパさん! やりたかった通りの、そのまんまの音です!」
「でしょ~? 何でもお見通しなんだなぁ、パパには。ドラムが上手かったらもっとキマるんだけどな」
「う、うるせーな!」
「まぁ、いい感じじゃない? 二人の特徴もよく噛み合ってるし。後半、この後真理ちゃんと陽菜ちゃんが被さってくるんだろ?」
「え、何で知ってんの……」
「だからお見通しだっつーの! 思ったよりは早く仕上がったけどな。とりあえずここが決まれば後は早ぇぞ。こりゃ忙しくなりそうだ」
歓喜に沸く四人を背に、鉄の頬も少しだけ緩んだ。




