第13話 おとぎの国
「ちぇっ、せっかくアロウとお話しできると思ったのにぃ」
赤毛の少女が口をとがらせる。
身長はシンより少し高いくらい、ただ、シンは背が低いのでおそらく彼女の方がいくつか年下だろう。表情にも口調にもまだ幼さが残っていた。シンプルなエプロンドレスの裾をいじりながら拗ねている。
「なんでそんなにアロウがいいの?」
ずいぶんとアロウにこだわる子だ、とシンは不思議に思って尋ねる。
シンの場合は部屋に泊めてもらおうと思って近づいたが、チェルシーは村に住んでいるのだからそんな必要はないだろう。
「だって町の人だよ!?」
「町ってなんかいいことある……?」
シンは町で育ったから、彼女が向けるきらきらした視線の意味がさっぱり分からない。
「いいに決まってるじゃない!」
チェルシーは谷の中央に沿って設けられた村の大通りを登りながら、両手を広げて主張する。
「こーんな、なんにもない村よりいろいろあるでしょ!」
チェルシーの手を追って、シンの視線もぐるりとあたりを一周する。
冬だから全体にくすんだ景色ではあるが、山間には常緑樹がまばらに生えていた。
日陰や谷筋に雪が残る景色の中、谷から斜面に至る土地には石積みで区切られた畑や柵で囲われた放牧地が点在している。
背後に山がある点は町と同じだが、景色はまるで違う。
「……?いっぱいあると思うけど」
素朴な藁ぶき屋根の人家や家畜小屋なども含めて、シンにとっては見慣れないものばかりだ。チェルシーの案内で何軒か訪ねた店や家も、町では見かけないものを扱ったり、作業をしていたりして面白かった。
「あんたは来たばっかりだけど、こっちはこの景色しか見てないのよ!」
「そうなの?でも、壁がないからどこでも行けるでしょ?」
町の場合は、市壁があって検問がある。通行証がなければどこにも行けなかった。
この村には谷の入り口に防塁が築かれているが、兵士もいなければ検問もない。一般人であれば自由に通行できるはずだ。
「村の外に女が一人でそうそう出られるわけないじゃない!私はここで生まれ育って、どこにも行けないの!せいぜい近くの村に嫁に行くとかそれくらいよ」
思いきり頬を膨らませるチェルシーに、シンは不思議そうに眼を瞬かせる。
「行かないだけで、別に行こうと思えば行けるじゃん」
「そんな簡単なわけないじゃない。ご飯も食べなきゃいけないのよ?あたしたちは先祖代々のこの土地しか持ってないから、ここを耕して何とか生活するので精一杯なの!」
その日の食事を手に入れるのに必死だった生活を思い返してシンは納得した。
「なんだ……町と変わらないのか」
「町もそんななの?」
「家が金持ちなら違うんだろうけど」
「ふうん……」
チェルシーはちょっと納得しかけて、慌てて首を振った。
「でも、アロウは町と行ったり来たりできるし!いつかここから連れ出してくれる、私の"王子様"なんだから!」
邪魔しないでよね、と言いかけたチェルシーに、シンが首を傾げる。
「……"オウジサマ"ってなに?」
「はぁ!?」
呆れたチェルシーの叫びが谷間に響き渡った。
「ここが"狼の顎"、スコルト村の源流よ!」
チェルシーが得意げに指し示したのは、日陰の雪だまりの中にぽっかりと開いた穴だった。
もこもこと煙のようなものが上がっているが、火の気配はない……お湯が沸くときと同じ、湯気だった。
「にゃんか……くひゃい」
シンが鼻をつまむ。何かが腐ったようなにおいが充満していた。
「温泉だもの、そりゃそうよ」
そう言うチェルシーも鼻をつまんでいる。慣れていても、くさいものはくさい。
「"オンセン"……?」
「あんた、本当になーんにも知らないのね!」
チェルシーは自尊心を刺激されたようだ。胸を張って説明を始める。
「あったかい泉のことよ!なんでも地底の国には火を吐くおっきな狼が眠っていて、そのよだれが流れてきているから熱いんだって!」
こっち、とシンの袖を引いて坂道を降りていく。
道の左右にはこじんまりとした石碑が立ち並ぶ場所がいくつかあった。墓所のようだ。人通りのない道を、2人で歩いていく。
シンは不思議な気持ちで引っ張られた袖を見下ろした。
少し前まで、チェルシーと同じくらいの子供からも石を投げられたりしていたのが嘘のようだ。
それはシンが襤褸をまとったみなしごだからであり、路地裏の社会で髪の色が知れ渡っているからだったりした。今、チェルシーが普通にシンの腕を引くのはアロウという後ろ盾と、自分で買ったことになっている服のおかげだろう。
少なくとも髪の色がばれない限りは、ここではシンは普通の子供として扱われている。
アロウによれば、もっと遠い国に行けば、髪の色すら関係ないという。
(ともだちも……できるのかな)
「着いたわよ」
チェルシーの声に、はっと我に返る。
そこは村を見下ろす高台だった。
石造りの古びた建物がぽつんと建っている。
村の簡素な家と違い柱が太く立派な造りだが、古びていて少し苔むしていた。
「……神殿?」
「あら、神殿は知ってるの?」
「町にもあるからね」
「なんだあ」
古の神をまつる神殿は、町にもいくつかある。ここの古びた神殿跡に比べると何倍も大きいのだが、さらにがっかりさせそうなので黙っておいた。
それに中を覗くのははじめてだ。ちょっと生意気だけど、チェルシーに案内してもらえば色々教えてもらえそうだ。
「中はどうなってるの?」
「そうそう、それよ!」
シンが水を向けると、チェルシーはぱっと機嫌を直して駆けてゆき、古びた木の扉を押し開けた。
「こっちこっち!」と手招く。
中は薄暗く、天窓から差し込む陽の光に薄青い壁が浮かび上がる。
青い光の源は、壁を覆う石……タイルのようだった。
壁一面にタイルが貼られ、模様を形作っている。空にあたる部分に使われた青色の石が多く全体に青い印象だが、よく見ると様々な色の石で絵が描かれているようだ。
「これがさっきの温泉が湧いてる場所の言い伝えよ」
チェルシーが指示した場所では、大きな獣が横になっていて、その口から川が流れ出していた。
「町を囲む山の形が獣の顎みたいになってるから、村に狼の顎って名前がついてるんだって。ここには絵で村のいろいろな言い伝えが描かれているの」
シンは狼の前を通り過ぎて、次に描いてあるものに目を凝らす。
そこには台の上に横たわる髪の長い人に、別の人間が腰を折ってかがみこんでいた。
「おそわれてる……」
「~~もーっ!それは『王子様のキス』よ!」
「これが"オウジサマ"?」
「そうよ!狼がさらってきた眠っているお姫様を、王子様が優しいキスで起こして抱き上げて、地底の国から助け出してくれるの!」
頬に手を当ててうっとりするチェルシーに、シンは眉を寄せて怪訝な顔をする。
「寝てる間に知らない人にキスされてかわいそうじゃない……?」
「王子様なんだからいいでしょ!かっこよくて好みな人が助けてくれるのよ!?」
「寝てるんだから好みかどうかわかんないじゃん」
シンはあくまで現実的だ。
「好みだから"王子様"なのよ!」
「ええ……意味わかんない……」
「あんた夢もなんもないわね!」
そんなこと言われても困ってしまう。
タイルの絵はそこで終わっていた。
あたりを見回すと、反対側にも絵があるようだった。
「あっちは?」
「別の狼の話が描いてあるわ。王子様はいなくて……そういえば、暴れん坊の弓使いのお話とか描いてあったわね。あっちはアロウとは全然似てないけど!」
「ふうん?」
シンが部屋を突っ切って反対側に行ってみようとした時、コンコンと軽い音が響いた。振り向くと半開きになった入口の扉に、人影がある。
「シン、荷物の積み込みが終わった――……まだ見学中か?」
「あ、アロウー!!案内なら一通り終わったわ!」
チェルシーの声のトーンが高くなる。
シンはちょっとげんなりして、早くアロウを連れて出ることにした。
「今見終わったとこ。行こ!!」
チェルシーの横をすり抜け、アロウの腕を引っ張る。
「あーずるい!」というチェルシーの声を背に、シンはちょっとだけ……ほんのちょっとだけにんまりした。
ほとんど一本道の坂道を降りていくと、朝ごはんを食べた村長宅の前に、セキとハクが準備万端といった感じで待っていた。アロウの姿を見つけて「早く行こう」とでも言うように前足で地面をかく。
「はいはい、待たせたな」
2頭の頭を撫でながら、アロウが荷物の積み込みの最終チェックをする。
あとを追ってきたチェルシーが不満の声を上げた。
「えーっ、もう行っちゃうの?もう一日泊まっていけばいいのに」
「次の仕事しないと稼ぎが減ってしまうだろ」
やれやれとアロウはため息をつく。
「馬車馬のように働かなきゃ食べていけないのはどこも一緒だよ」
最近、居候が増えたので稼ぎは増やすに越したことはない。とは口には出さないが。
そうしているうちに家の前に人が集まってきた。長老やエマ、朝アロウと話していた男やその家族とおぼしき女性や子供、他にも農地に散っていた男たちが何人か。
「ありがとうな」
「また来いよ!」
「次は安くてうまい酒も仕入れてきてくれ」
そんな声が飛び交う中、アロウは長老に挨拶をする。
「お世話になりました」
「いやいや、こちらこそ助かったよ」
その横からエマがずいっとシンの前に進み出た。
身長も横幅も大きいエマに圧倒されて思わず後ずさるシンの手を掴む。
「あんた、行きは大変だったんだろ?無理せずに、帰ったらちゃんと休むこと」
そう言って布包みを握らせる。
「こいつはおやつに食べな。ヤギの乳でできてる。育ちざかりはちゃんと栄養取らないとね!」
「あ、ありがと……」
「声が小さいよ!」
ばしっと肩を叩かれる。
「ありがとうございました!」
シンが声を張り上げると、村人たちから声が上がる。
「がんばれよー!」
「いいぞちびっこ!」
「チビじゃない!!」
シンが言い返すと、あたりに笑いが満ちた。
ぷんぷん怒っているシンに苦笑しながら、アロウがセキの手綱を差し出す。
「じゃあ行こうか」
「……うん」
温かな見送りの声に包まれて、シンは歩き出す。
こんなにたくさんの人がいて、ひとつの怒声もないことは初めてだった。
「アロウ!!ついでにシンも!また来てねー!」
チェルシーの声に、シンは振り向いた。
めいっぱい手を伸ばして振っている彼女に、シンも手を振り返す。
胸の奥が手の中の包みと同じように、ふんわりと暖かくなった。
アロウも軽く振り返って手を振ると、ハクの手綱を村の出口へと向ける。
「さあ帰ろう、ニュクスの町へ」
帰る。そう言われても、シンはもうあの町へ帰ることがこわくはなかった。
セキの手綱を引いて、シンはアロウの後を追いかけた。




