第12話 朝の食卓
食堂は玄関を入ってすぐだった。
朝起きたシンが通り抜けてきた広い部屋だ。廊下や台所に繋がるドアがあり、真ん中に大きなテーブルがある。
台所を取り仕切っている中年の女は、長いスカートにエプロンと三角巾という、いかにもな格好で忙しく立ち働いている。
裸足のシンには「これで足を拭く!部屋履きはこれ!」と水を張った桶と布巾を持たせて、靴を適当に並べると去っていった。
わざわざ反抗する理由もないので、シンは大人しく椅子に座って足を浸す。
汚れを落としているうちに、アロウが玄関から入ってきた。シンを見てすぐに心配そうな顔をする。
「足、大丈夫か?」
「うん、全然」
外は柔らかい土の地面だったので、町のがれきの散った未舗装の道や石畳に比べれば歩きやすくさえある。ところどころ石や動物の落とし物がある程度で、さっきみたいにパニックになっていなければ、避けることは難しくない。
シンが寝巻の裾を引き上げながら足を泳がせているのを見て、アロウが思い出したように付け足す。
「あ、服はエマさん……あの人が勝手に替えちまったみたいで。すまん」
「うん、平気」
台所の女はエマというらしい。態度は雑だが、おそらく面倒見はいいのだろう。アロウのように。
身なりのことと言えば、とシンも疑問に思っていたことを聞いてみることにした。ちょんと自分の髪の毛を引っ張ってみせる。
「髪の毛は?」
アロウはさっと台所に目を走らせ、少し声のトーンを落として言う。
「それは俺が。他の人には言ってないから。すまん、ポケットに入ってた月宵亭の薬を使わせてもらった」
「そっか、……ありがと」
シンが素直に礼を言うと、アロウは少し驚いた顔をした。うつむき加減に視線を逸らした、前髪に隠れがちなその表情をシンはもう知っている。
「染め直しって、薬つけるの大変だったでしょ」
普通は水につけて何度ももみ込む必要がある。眠り込んでいたシンの髪を染めるのは難儀なはずだ。
アロウは薬と聞いてぱっと顔を上げる。
「特別な魔法の薬だから降りかけるだけで染められる。今度効果が薄れた時に自分でやってみるといい、簡単だから。効果も長い」
説明となると流暢だ。
「そうなんだ」
シンがほほ笑むと、アロウは一瞬息をのんで真剣な顔で尋ねてきた。
「……熱でもあるか?」
「ないよ」
シンは小さく笑う。アロウの周りは不思議がいっぱいで、もう何が起こってもびっくりしない気がしていた。
「さあ、朝ごはんだよ!」
エマの声に、皆が食卓についた。
と言っても今家にいるのは家長である老人と、その息子に嫁いできた夫人のエマ、客人であるアロウとシンの4人だけだ。
それでも食卓には朝にもかかわらずしっかりと品数が並べられている。
中央の大きな皿には焼きたての白いパンが並び、それぞれに配られた深めの木皿には肉の入った汁物が入っていた。やわらかくなった野菜と油の浮いた濃い色のスープから湯気が立っている。
小さな壺には何かくたくたの黄色いものが入っていて……昨日見たハチミツのようなとろみがあるから、たぶん甘いのだろう。他にもナッツや干しぶどうらしきものが出された皿があった。
「豪勢ですね」
「アンタがうさぎ肉を持ってきてくれたからね。せっかくだから食べておゆき」
「すみません」
テーブルにつくアロウが恐縮する。
エマは「いいんだよ」と水差しからコップに色の濃い飲み物を注いで回る。
「若いもんはしっかり食べて体作んないとね!ほら、小さいアンタはこれもしっかり飲んで」
シンは渡されたコップをまじまじと見つめる。
それはとろりとした白い液体だった。飲んだことはないが、こういった飲み物は市場で売られている。
「えーっと……ギュウニュウってやつ?」
「惜しいね、これはヤギの乳さ」
「……なんかくさいね」
なんとなく、セキとハクみたいな、動物っぽいにおいがする。ヤギのにおいなのだろうか。
「あっはは!甘さはないけど、栄養はたっぷりだよ!大きくなりたかったらちゃんとお飲み」
シンの感想にも気を悪くした風もなくエマは豪快に笑う。
やり取りを見守っていた老主人もにこにこしながら、アロウに水を向ける。
「そちらの子は新人さんだったね?」
見慣れない飲み物を慎重に嗅いでいたシンは、話題にされて慌てて背筋をただす。よその食卓ではすすめられるまでは食べてはいけないと先ほどアロウに教わったばかりだ。
「はい、俺の後輩でシンと言います。これから俺の代理で来ることもありますので……シン、こちらは村長の父上で、この村の長老だ。ご挨拶して」
「は、はじめまして、シンです。ニュクスの町出身で……アロウのお手伝いをしてます」
教わった通りのあいさつをぎこちなく述べるシンに、長老は穏やかな笑みを向ける。
「昨日は大変だったそうだね、昼には出立と聞いているがそれまでゆっくりしていきなさい」と鷹揚にうなずいた。
シンが隣に座るアロウを見上げると、「よくできました」というようにそっと頷いてみせる。
「ではいただこうか」
場を見渡した長老の声で、大勢で囲む食卓がはじまった。
「村の衆だけでは物資の運搬がままならなくてね。息子たちが物資の買い付けに出ているが、最近は魔獣も野盗も増えた。荷の安全までは手が回らない」
「昨日見回った範囲でも新しい痕跡がありました。どこから流れ込んできたのか」
「こちらは水害になったが、西の方では豊作と聞くからね。あちらから来るのかもしれない」
長老とアロウは仕事の話をしていた。
シンはあまり邪魔をしないように、もくもくとパンをちぎって口に運ぶ。
カトラリーはやはり使い慣れないので、スープが冷めるのを待っていると、向かいのエマが「ほら貸しな」と椀を取り、別の小さな器に少し分けて戻してくれた。
そのまま自分の椀の具が少なくなったスープに直接口をつける。
「冷めきっちまう前においしく食べるのが一番のマナーだよ」
シンも恐る恐るスープに口をつける。
しっかりと脂の乗ったうさぎ肉の旨味が口を潤す。こわごわスプーンでつついた肉は柔らかくほぐれて、簡単に掬うことができた。とろとろでおいしい。
ぼそぼそとした穀物や残飯とは比べ物にならない。シンは夢中になって食べた。
大人たちは目を細めてその様子を見守る。
「……町の治安も悪化していると聞くがどうかね」
「そうですね……通り魔のような事件が増えています」
長老の質問に、アロウが顔をしかめる。
冒険者協会や月宵亭の店主からも情報が入ってきているが、どうも他の土地から妙な組織が入り込んだり、違法な物品が持ち込まれたりもしているようだった。
「ボクそれ知ってるよ、"髪切り魔"が出るんでしょ」
「こら、シン」
「構わんよ。子供の方が知っていることだってある」
町長は悪気なく言ったが、むっとシンの眉間にしわが寄る。なりは小さいがちゃんと"大人"だ。
アロウが慌ててシンの口を押さえる。
「実際あるらしいですが、髪だけなので実害が少ないからと捜査は進んでないらしいです」
「むーっ」
「実害が少ないってねえ。女にとっちゃ髪は命だろうよ」
エマが憤慨する。シンもこくこくと頷いた。
シンの場合は髪色がかえってトラブルの種だが、きれいな髪は売ることだってできる。命であり財産だ。
「ぷはっアロウも髪の毛長いから狙われるんじゃない?」
「そんなドジ踏まねえよ」
ようやくアロウの手を逃れたシンは、テーブルの下でアロウの足を蹴ったのだった。
朝食を摂り終えると長老は席を辞し、シンはアロウに促されて一緒に食器を台所に運んだ。
洗い物を手伝うと申し出るアロウに、エマは首を横に振った。
「お客様なんだからゆっくりしてきな。あんたは仕事もあるだろ」
と早々に二人を追い出した。
「じゃあ、俺は町に運ぶ荷を積みに行くけど……」
「セキたちと待ってればいい?」
玄関を出ながら二人が話していると。
「ばあっ!!」
大きな声とともに誰かが飛び出してきた。
その顔面は、赤色と緑色。人ではありえない色で縦半分に分かれていて、たてがみと角がある……いわゆる鬼人だ。
「わっ!ぅひゃあ!!」
シンは驚いて飛びのいたはずみで足を滑らせ、後ろに倒れかけた。
アロウが表情を変えずにその後ろ頭を片手でキャッチする。肩を支えて立ち直らせながら、飛び込んできた人物を呆れた目で見やった。
「……チェルシー。ケガしたらどうする」
「あれ?ごめーん、アロウなら大丈夫かなって」
少女の声がして、鬼の顔の後ろから赤毛の頭がひょこりと顔を出す。そばかすが散った顔に、くりくりした目。
シンと同じくらいの背の高さの少女が鬼の面を片手に立っていた。
チェルシーと呼ばれた少女は、用事は済んだとばかりに面を放り出すとアロウの腕に飛びつく。
「今回はいつまでいられるの?町のおはなし聞かせてよっ!」
「昼には出るから今日は無理だ」
アロウはしがみつくチェルシーを邪魔そうに歩きながら、ふと思いついたようにシンを振り返る。
「そうだ、暇ならこいつに村を案内してやってくれないか?」
「はぁ!?」
「えーっ!!」
シンとチェルシーの不満げな声が同時に響く。
「「なんでこいつと!?」」
見事にシンクロした叫びに、アロウは両耳を覆ったのだった。




