第9話 失われた道
「こっちが"セキ"」
ぶるる、と鼻息を響かせて面長の頭を振るいきもの。そのたてがみは赤茶色をしていた。
「こっちは"ハク"」
もう一頭は全体的に毛並みが白っぽい。
2頭の荷運び用の草食獣は、手綱をアロウに引かれて寄り添っている。
というより、角のついた頭を激しく擦り付けていた。懐かれているというよりは……
「遊ばれてない?」
「うるさい」
憮然とした顔で右に左にと交互に押されて揺れている姿は、とても実績ある冒険者には見えない。それと、ヘンなことはもうひとつ。
「名前がついてるの?」
「こいつらは貸出し用のたくさんいる荷馬の中でも特に賢いんだ」
"ハク"の頭を撫でながらアロウが言う。
「だからに運びにはいつもこいつらに来てもらってて、呼び分けるために俺がつけた」
シンにとって荷馬というのは作業をするためにたくさん飼われている、というイメージで1頭ずつ名前をつけるものではない。市場で売られている食用の家畜に名前がないのと一緒だ。
(ヘンなやつ)
シンだって、アロウから見れば名もない路地裏の浮浪者の一人だったはずだ。
それをいちいち顔を見て、人となりを見て、名前までつけてしまう。
(疲れないのかな……)
ふとそんな心配までしてしまうが、口から出たのは全然別の言葉だった。
「ヘンな名前っ」
「うっ……よく言われる……」
シンは首を傾げる。アロウの言語センスはなんだかヘンだ。本人も自覚があるらしい。
視線に気がついたアロウがバツの悪そうな顔をする。
「俺も名前がないって言ったろ?たぶん俺は"異邦人"なんだ」
「イホージン?」
シンにはなじみのない言葉だった。
「すごく遠い土地から来た人間ってことだ」
アロウはそう言って街道の先へと視線を送った。
馬車も通れる幅の広い道は、丘の間をゆったりと蛇行して森の向こうへと消えている。
時折町の高いところから眺めていたその道は、今、シンの目の前にあった。
2人が立っているのは、町を囲む市壁に設けられた外門をくぐった先、広々とした街道の始点だ。午前の柔らかい日差しに照らされる中、立ち話をする2人の傍を行商人や旅人たちが通り過ぎていく。
「俺はこのあたりをぐるっと囲んでいるあの山脈の外側、ずっと東の方の出身らしい」
そう言って、アロウは街を振り返る。
扇型の市壁に囲まれた町は、緩やかな上り坂に沿って築かれている。その背後は山へとつながっていて、その山はたくさん連なった山からはみ出した一角にすぎない。街の後ろには壁のように左右にずっと山が連なっているのだ。
物心ついたころからここで暮らしているシンにとっては、この"壁"は当たり前の光景で、向こう側なんて考えたこともなかった。
アロウはあの向こうの、とんでもなく遠い、言葉の違う土地から来たということだろうか。
やっと町から足を踏み出したばかりのシンにはピンと来ない話だった。
とりあえずそれは棚上げして、気になるところから聞いてみる。
「……らしいっていうのは?」
「覚えてないんだ」
「ちっちゃかったから?」
赤ん坊の頃にこの辺りに来たのだろうか。
「いや……10になる少し前くらいか」
まだ数字に慣れないシンの方を見て、言い直す。
「これくらいの背丈の頃だよ」
それは、小柄なシンよりもさらに小さかった。とはいえ、赤ん坊ではないのだから、記憶がないというのはおかしな話だ。
見上げたアロウの顔には長い前髪が影を落としていて、いつも以上に表情がないようだった。遠くて見知らぬ土地が故郷というのは、どんな気持ちだろうか。
シンには帰るべき家はないが、少なくともこの町で育ったことははっきりしている。
「それは……アロウがすごく忘れっぽいってこと?」
「……そうかもな」
結局、茶化すことにしたシンに苦笑いを返したアロウは、どこかほっとしているように見えた。
出発を前に、"セキ"の手綱を渡される。その頭はシンの目線よりも少し高いところにあった。
真っ黒な瞳をまじまじと見つめると、セキは鼻息を一つついて、ぷいとそっぽを向いた。……なんとなくバカにされた気がする。
「目的地は前に行ったことがあるから覚えてるはずだ、手綱は軽く持つだけでいい」
覚えてるな?とアロウが手を差し伸べると、セキは鼻先を寄せてふんふんと嗅ぐような仕草をした後、前足で土をかいた。了解、準備は万端といった感じだろうか。
「今回の仕事は、生活物資を山間の村に届けること」
「そういうのって、ああいう商人が運ぶんじゃないの?」
シンが指さすのは、街道を行き来する徒歩の行商人や、のんびり走る荷馬車だ。
「そのとおりだ。よくわかってるな」
アロウはやわらかく目を細める。シンは学がないものの、人や物の動きはよく見ている。
「だけど、今回の目的地には商人が運べない理由がある」
行けばわかると言って、ハクの轡を取ってアロウが街道から外れた脇道へと進路を変えた。
行く手には黒い森と、町の背後からずっと連なる山々。
山麓を巡る道は、曲がりくねって山並みの奥へと消えている。
しばらく進むと、ざあざあと細かい音が響き始めた。まるで雨のようだ。
「これが!“川“!!」
シンが思わず叫ぶ。
「おい……」
「水がいっぱい!!」
目をキラキラさせている。
シンは町から出たことがない。
水といえば広場を流れる水路や、排水のための溝程度だった。
目の前には、大量の水が音を立てて下流へと流れ続けている。
向こう岸は大通りの端から端よりも遠い。
「川って魚がいるって本当!?」
駆け出そうとするシンを、アロウは襟首をつかんで引き戻す。
「うぎゃっ」
「待て、川べりは滑る!むやみに走るな!」
「へう……?」
「町の側溝でも溺れる人間はいるんだぞ、この水量に落ちたらどうなると思う」
「……流される?」
「そうだ。真新しいものを見たからと言って急に駆け寄るな。約束できるか?」
シンがこくこくと首を縦に振ると、アロウは手を離した。
ここは源流に近い流れの一つに過ぎないのだが、この調子だと大河川や湖を見たらどうなるのだろうか。
真新しいものを見つけるたびに飛び出す姿を考えると、心配で頭が痛くなるアロウだった。
しょんぼりしているシンに、ハクが慰めるように鼻面を寄せた。
「これが今回の依頼の理由だ」
アロウは川を指し示す。
進んできた道は、川で行き止まりになっている。
「橋が落ちて商人の馬車が通れない」
「橋……?」
シンの知る橋は、水路や低い土地の道路を跨ぐためのものだ。
だが、広い川に道路が行き当たった時に、同じように架ける大きな橋があるのだろう。よく見ると、川の途中にいくつか太い柱のようなものや柱同士をつなぐような板が組まれていた。
「この秋の長雨で川が増水して床板や橋げたが流されたんだ。あれは橋の残骸だ」
アロウの言うとおり、通るべき床となる部分には何もない。つまり、一部の骨組みだけが残っている状態のようだ。
橋げたもところどころ抜けているので、あれでは馬車どころか人も渡れないだろう。
「でもこれだと通れないのはボクたちも一緒だよね」
シンはちょっと首をかしげて、「……別の道がある?」とつぶやいた。
その様子をアロウは満足そうに見つめて、答えを示す。
「そう、細い道ならあるんだ」
道路脇の林の奥を指さした。そこには細いながらも踏み固められた道が川に沿う形で続いている。
「もう少し上流に、人と驢馬くらいなら通れる小さな橋がある。そこを通って商品を運ぶんだ」
「あぶないの?」
「整備された街道よりはな」
シンの疑問に、アロウは肩にかけた弓をぽんと叩いてみせる。
「このあたりだと、たまに四つ足の魔獣や熊が出るくらいだ。まあなんとかなるさ」
「ふーん」
シンとしてはアロウの言い分を信じるしかない。
とはいえ、何度も請け負っている仕事だというし、アロウが人を連れて無茶をする人間にも思えない。それくらいにはシンにもアロウの人となりが見えてきていた。
「なんか出たら、アロウに任せてボクは逃げるからね」
「そうしてくれ。矢が当たらないようにな」
肩をすくめるシンに、アロウは笑って請け負った。




