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29. 一陽来復




そこはかつて、白に満ちていた。


けれども今は、薄紫色の花が辺り一面に咲き開いている。





「…………花まみれだわ」




禍々しい木の前に立つ一匹の竜が、悔しそうに地団駄を踏んでいる。

よく見ればその足で、薄紫の小花を必死に踏み潰しているようだ。



「…………忌々しい……!」



歪んだ表情が悲しく見えた。

けれども同情しようとは思わない。



一面に咲く竜胆は、踏まれても踏まれてもなお萎れずに残る。




「この……人間風情が!!」



不思議なことを言う……人間のしぶとさを知らない筈もなかろうに。



「呪いはその身に刻まれたまま…!いずれその運命を凌駕し、お前を食い尽くす!」



牙を剥き出しにして白い竜が叫ぶ。

地団駄を踏むたびに、咆哮をあげるたびに、満開の竜胆の花びらが千切れてぽわぽわと宙を舞う。



竜の言う通り、今は花まみれでも、いつかは枯れてしまうかもしれない。



「だとしても………それまでにめいっぱい幸福であればいいわ。人間も竜も、いつかは死ぬんだもの」



だからこれ以上は余計なことはせず、大人しくそこで指を咥えて見ていなさいと言えば、竜は大きな口を開いて悔し紛れの咆哮を浴びせてきた。



耳を塞いで顔を顰める。

不快感はあれど、畏れ敬う気持ちもなければ、恐怖もない。



「貴方が何を言おうと、運命はこの手に戻ってきた」



できればもう二度と会いたくないけれど、

もしまた会ったとしても、決してこの運命は渡さない。



精一杯の笑みで「さようなら」と告げれば、竜は憤怒の表情を浮かべた。



ぐしゃりと足元の竜胆が潰され、その奥で新たな花がまた芽吹く。

終わらないイタチごっこはあと何年続くのだろうか。



(その間に、たくさん幸せになるわ……ふたり仲良く、末長く)



イリリアは目を閉じると

小煩い竜の咆哮ではなく、遠くに聞こえる恋しい人の声へと意識を委ねた。
















イリリア!?と驚愕に満ちた声。

ぐらりと身体が傾いで、中空へと放り出される。



(ーーーーーああ、落ちる…)



覚醒に至らない意識の底で、あまりの無念さに悲しくなる。



「ま、まて………、落ちる……!」という慌てきった声のあと、イリリアはどすんと床に落ちた。

横向きに落下したせいで首が変な角度で曲がったものの、幸いにも折れたり捻ったりはしていないようだ。というより、微妙に誰かを下敷きにしている感じがある。


「………………いたい」


「すまない………受け止めたつもりだったのだが……」


慌てて受け止めようとしてくれたのか下敷きになったアズハルは「予想と反対側に転げ落ちた」と呟いている。

身体を支えてくれる安全ベルトさえあれば、こんな悲しい落下事故が起きることはなかった。


「…………だから隣で寝てって言ってるのに」


「まさか病み上がりで勢いよく転がるとは……」


「寝相で状態を判断しないでって言ってるのに……」


「すまない………」



軽い寝返りをうったと思ったら、その直後に突如勢いよく転がっていったらしい。普段は左向きに転がるのに今回は反対側だったと言われても、こちらとしても無意識なのだからどうしようもない。


下から抜け出したアズハルが、床に転がったままのイリリアを覗き込む。


「もう痛みはないか?」と聞かれ、咄嗟に胸を押さえた。


「………………ぅ、」


「イリリア、どこが痛………むぅ!?」


心配して近づいてきたその頭を両腕でガシッと掴んで、胸に抱え込む。

最初は僅かに抵抗を示していたが、さすがにこれまでの経験により、こうなったからには簡単には離してもらえないと理解しているようだ。アズハルはもぞもぞと収まりのよい場所に挟まると、ふぅ……と脱力した。

苦しくないよう抱え直してから、手触りの良い髪を梳くように撫でる。



待機室に続く扉がノックと共に開かれ、顔を覗かせたのはラウダだった。


「すごい音がしましたが……お花様!?」


ラウダはイリリアが起きていることとアズハルと揃って床に落ちているのを見て、慌てたように羽織を取りに行き、入れ替わるようにして部屋へ戻って来たスハイルはからからと笑った。


「おやまぁ。お邪魔しましたかな?」


「何だか顔色が悪そうだったので、胸で挟んでおきました」


「それはそれは、何よりの薬でしょう。これ以上無理をするようなら意識を落としてでも強い霊薬を飲ませようかと思っておったところです」


「どうか今暫く、アズハル様の治癒を任せて貰えませんか?」


「勿論ですとも。お手間をおかけしますなぁ」


羽織を手に戻ってきたラウダは、無言のままイリリアの胸元に顔を埋めているアズハルの肩をゆさゆさと揺する。


「アズハル様、お花様が風邪を召されてはいけませんので寝台へ………もしかして眠っていらっしゃいますか?」


「胸に挟まったあと深呼吸をひとつしたなと思ったら、寝ちゃったみたいです」


「まあどうしましょう……病み上がりのお花様を床で寝かせるわけには……」


「驚くほどに快調なので大丈夫です。お布団と枕を取ってもらえますか?敷物があるおかげでそんなに冷たくないですし、このまま少し横になっておきます」


スハイルをちらりと確認したラウダは、ひとつ頷くと寒くないようしっかりと布団を被せてくれた。

そんなに重ねたらアズハル様が暑すぎて参ってしまうのでは……と思ったものの、お花様優先ですわと容赦なく厚手の毛布が重ねられる。


喉の渇きや体温を簡単に確かめられ、何かありましたらすぐにお呼びくださいと呼び出し用の鈴が手の届く場所に置かれる。


一礼して去ろうとする背中に、咄嗟に「ラウダ、」と呼びかけた。


「その……ただいま…と、言ってもいいでしょうか……」


こうして元通りになれたことは嬉しいばかりだが、まさか戻って来れるとは思っていなかったし、一度しっかりお別れを告げた手前どうにも後めたい気持ちになってしまう。

何事もなかったかのように流すのではなく、ちゃんと仕切り直したいという思いを汲み取ってくれたのか、ラウダは膝をつくと、水色の瞳を柔らかく細めて「おかえりなさいませ」と言ってくれた。


「お戻りいただけたこと、心から嬉しく思います」


「ありがとう……」


込み上げそうな涙を堪えていると、ラナーたちも離宮からこちらへ駆けつけてくれていると教えてくれる。


「また改めて、皆さんとゆっくり話せる時間を貰えますか?」


「勿論です。皆、イリリア様のお戻りを喜んでおりますよ。ですから今暫くは、どうかゆっくりとお身体をお休めくださいませ」


床ではございますが…という苦笑に、私が転げ落ちたのが原因ですからと苦笑で返す。




ラウダとスハイルが退室した室内で、胸元のぬくもりに心を寄せながらもう少しだけ眠りを享受する。



先ほど見た白い夢はもう見ることはなく、代わりに目蓋の裏には、透き通った青い湖と冴え冴えと輝く月の景色が浮かぶ。


湖の周辺には紫の花が咲き開き、そこに佇む白い髪の男性が花を一輪摘みあげては唇を寄せ……あむりと()んだ。


あむあむ…と食む男性の口の動きに合わせて、胸元に擽ったい感触がある。



(食べられてる……)



薄く目を開いて、寝る前よりもはだけてしまっている胸元と、胸の上部に咲いた花印に顔を寄せたまま寝ぼけている男性の頭部を見下ろす。

擽ったいし、()まれている場所が場所だけに、少しだけイケナイ気分も芽生え始めているけれど、男性はあくまで花…あるいは花蜜を食んでいるだけ。それ以上の不埒な行為に至る気配はまったくない。


それならばいいか……と放置してもう一度目を閉じようとしたところで、胸元から呆然とした呟きが聞こえた。



「………は?」


「………起きました?」



男性は眼前に晒された素肌と、あむあむされたばかりの花印、そしてイリリアの顔を順に確認すると、驚愕のままに背後へ飛び退いた。


「落ち……ない!?ん!?床!?」


寝台の上で行為に及んだと思っていたのか、飛び退いたことで転げ落ちると思ったのだろう。だが落ちないことに焦りながら辺りを見回し、床で寝ていることに気づくと、徐々に直前の記憶が蘇ってきたようだ。



「す、すまない…!まさかあのまま寝てしまうとは…!寝ぼけて不埒な真似までしてしまった!」


ガバッと正座して頭を下げたアズハルを見ながら、イリリアはよいしょと起き上がって衣服の乱れを整えた。

強制的に胸に抱き込んだのは自分だし、見るからに顔色が悪いと思うくらいに疲労を溜め込んでいたのだから、寝てしまったのも致し方ない事。



永遠の別れを覚悟して言葉を交わした後、記憶上ではイリリアは一度血塗れになったはずだ。

あれからどのくらい経っているのだろうと思えば、イリリアがベッドから転げ落ちた時点ではまだ一日も経っていなかったという。

ふたり仲良く床で眠っていた時間を加味すると、一日と半分過ぎたくらいか。

閉ざされたカーテンの向こうは薄暗く、天上にぽっかり開いた天窓からは煌めく星の瞬きが見える。


一度身を起こし、軽く伸びをしてから用意してくれていた水をいただく。

あんなにも重苦しかった呼吸は元通りになっており、不思議と、これまで天上で過ごしてきた中で一番体調が良いと思えるくらいに身体が軽い。

今なら数十メートル走っても倒れずに完走できそうだが、そんなことをすれば周りの人達が心配しすぎて倒れてしまうだろう。


皆に謝罪と御礼を告げたい気持ちはあるものの、夜寝ているところを起こすのは忍びないため、明日改めて場を整えてもらうおうと思う。


(アズハル様ももう少し休んだほうがいいだろうし……)


寝台にあがって振り向けば、それまで無言だったアズハルもまたベッドに乗り上げ、そっとイリリアの顔に触れた。

顎から頬にかけて確かめるように撫でられ、イリリアの心に切り裂かれた時の悲しみが戻ってくる。


「………傷が残っていますか?」


「いや……傷はない。損傷していた箇所も元通りだ………だが、怖かっただろう」


苦しげに告げられた言葉に、胸に宿った悲しみが一気に膨れ上がった。


『お前など…!』と憎悪に歪んだ顔でぶつけられた悪意が、イリリアの顔と心をズタズタに引き裂いた瞬間の記憶が脳内で蘇る。



「怖くて、痛い思いをさせた…」


アズハルは悔恨を滲ませながら唇を噛み締めた。

イリリアが堪らず涙を溢しながらその胸に飛び込めば、両腕できつく抱きしめてくれる。



「お…お母さんみたいで……私の、お母さんみたいで、怖くて……どうしようもなく怖くて」


「すまない……守ってやれず、すまなかった……」


「逃げなきゃ、アズハル様と二度と会えなくなるってわかってたのに、……動けなくて……また、自分の命を、諦めてしまって…」



引き裂かれる瞬間のすべてが、まるでスローモーションのようだった。

鈍色の爪が振り上げられ、顎を抉り顔を裂く瞬間、イリリアは生きることを……アズハルのそばに残ることを諦めてしまった。


ただただ、残されるアズハルが幸せであれと願うばかりだった。



「ごめんなさい……っ」



しがみついて、涙声で謝る。

アズハルはそんなイリリアをさらに強く抱きしめると、正反対の理由で「すまなかった」と再び謝った。


「本当は……あのまま命を終わらせてやったほうが、苦しみは少なかったかもしれない………それでも、諦めきれなかった」


天上で最も強い薬を無理やり飲ませ、砕けた骨と裂けた皮膚を強制的に再生させた。

その際に負った苦痛は計り知れず、スハイルからは、治癒の痛みで気狂いを起こすか…あるいは絶命してもおかしくないと言われていたという。


「ずっと、ずっと眠っていて……漸く目覚めてくれたと思えば……命が消えるかのように花が消えて……」


十日程かけて骨と皮膚は再生され、一度目覚めた時には会話も出来た。

だがその後に状態が急激に悪化した。脈は不安定になったあと徐々に弱まり…それと同時に花は消え……胸の一輪以外はすべて失われてしまったという。


最後の一輪が消えるということは、花印の恩恵を失うということだ。

実際にイリリアの胸の花は一度すべてなくなりガラス片で引き裂いた跡が残るばかりとなってしまったし、あの状態では身体が保たず、生き続けることは出来なかっただろう。



「最後は息をするのも苦しかったはずだ……よく、がんばってくれた……」



絞り出すように言葉を紡ぐアズハルの背中をポンポンと撫でてから、しがみついていた身体を離し、上衣をはだけさせる。

左胸の上部には薄紫色の竜胆が三つ並び、身体を捻りながら視線を落とせば、腰から背中にかけてもちゃんと元通りに戻っているようだ。


「今はこの通り……もう、苦しくありませんよ」


再び刻まれた花印のおかげでアズハルとの繋がりも戻ってきた。

イリリアの上衣を元通りに戻したあと、アズハルは布の上から心臓の上に手を置いた。

ドクドクと穏やかに流れる血脈が、手のひらを通して伝わっていく。


「心臓の音が戻っている……あの時は、このまま途絶えてしまうのではと思うほどに脈が弱かった。だが、その音を聞いていないと安心できなくて……」


「ずっとそばに居てくれたんですか?」


「怖くて離れられなかった」



無断で居住区画に侵入して貴重な薬を持ち出したことを陛下に詫びろと再三の要求が来ていたにも関わらず、花嫁が危篤状態であるからと断り続けていたらしい。


陛下は急かすような真似はしなかったが、王宮内部の混乱について事後処理を任せられた殿下が痺れを切らせたことで、捕縛状が出て半強制的に連行されたと聞き、イリリアはアズハルの手をぎゅっと握った。


王太子殿下の元近衛であるハルクを連れて王宮に向かい、謝罪をしたその日。

急にイリリアとの繋がりが途切れ、アズハルは竜の姿に変じて急いで王宮を出て離宮へ駆け戻ったそうだ。


その途中で行き合ったサディオからイリリアは陛下の実家へ送られる予定だと聞き、慌てて進路を変更したという。



サディオを王宮へ走らせてくれたのはルゥルゥだろうか。竜車のなかで祈るように一点を見つめていた横顔を思い出す。

カイスが行き先を陛下のご実家にしたのも時間稼ぎの為だったとしたら、目を覚ましたイリリアが外出着に着替え終わるまでの短い時間で、よくそれだけの打ち合わせが出来たものだと感心してしまう。


皆ががんばってくれている中、自分だけがすべて諦めて死に場所へと向かっていた。

そう思うと申し訳ない気持ちでいっぱいだ。



自己嫌悪と反省でしゅんとしていると、アズハルは再びそっと抱きしめてくれる。


「ひとりで消えようとしていたのは……私の為か?」


「もうこれ以上、酷い姿は見せたくなくて…」


「確かに……王宮から戻ったときにイリリアが血塗れで死んでいたら発狂していただろうな。無理やり呼び出した兄上を襲うか……同じ思いをしろと、妃殿下を襲っていたかもしれない」


悲しい呟きに、それこそイリリアが想像した最悪の未来だと告げる。

そんなことをすればアズハルは重い罰を受けるだろう。

万が一処刑の対象となれば、自分が居なくなってもアズハルにだけは幸せになって欲しいという願いが永劫叶わなくなる。

そんな思いを伝えると、アズハルは瞳を涙で滲ませた。


「イリリアが居ない場所で生きていても意味はない」


「みんなアズハル様のそばに居てくれる」


「だが、イリリアが居ない……」


ぎゅうと幼子のようにしがみついてくる身体を、出来る限りの力で抱きしめる。

イリリアだってアズハルが居なければ生きていけないと思っているだけに、そんな考えは今すぐ捨てろだなんて言う事はできない。



窓の外から差し込んでいた月光が途切れ、どこか遠くで雷が鳴った気がした。

その音に、イリリアは思わず「……あ。」と小さく呟いた。


「どうした?」


「いえ……振り上げられた爪を見た時、家を出た日の母と兄の会話を思い出したんです。

幸せになりたいという私の願いは叶わないのに、地獄を見ろという母の願いは叶うんだと思ったら、悲しくて、苦しくて、悔しくて………でも今、出会った夜にアズハル様が実家の近くに雷を落としてくれたことを思い出して…。


私が逃げたことで兄の借金も帳消しにはならなかっただろうし、たとえあの落雷から逃れて生きていたとしても、自分たちのことで手一杯で私の不幸を願うだけの余裕はないだろうなって……そう思ったら少しだけ怖さが減った気がします」



生きているか死んでいるかもわからない母に、もう許しを乞う必要はない。

地上での私は一度死んだのだから、これからは天上で、私なりの人生を歩めばいい。



ようやく重苦しい呪縛から解けたかのような心地だ。


心配そうにこちらを伺うアズハルから「不安ならもう一度、念入りに雷を落としておこうか」と聞かれ、思わず「ふふ…」と笑いが零れる。雷雲を動かせる伴侶だなんて、世界中探したって他に見つかりはしない。



「あの日、迎えにきてくれたのがアズハル様で良かった…」



顔を寄せて唇を重ねようとして、ふと思い留まった。

滝雲のところで誓いと共に口付けを交わし合ったけれど、アズハルがずっと境界として線引いていた婚礼の儀式はまだ執り行っていない。

アズハルもイリリアが口付けようとしていることに気付いたのか、少しばかり困ったような笑みを浮かべている。


「……キスは解禁ですか?」


「どうしようか……今回の誓いや口付けのことは秘密にしておいて、儀式で改めて行おうかと思っているのだが」


「じゃあ……今夜だけ許してくれますか?夜が明けたらまた、儀式まで我慢するので」


「いいのか?イリリアが願うなら、儀式前であろうとこっそり解禁にしても構わない」


露呈しないよう人目を忍んでにはなるが、イリリアが喜んでくれるなら…と、あんなにも厳守していた規則から外れることも厭わないと示してくれるアズハルに、小さく首を横に振る。


「すごく悩ましいですけど、周囲から難癖を付けられないよう、体裁くらいは整えておきましょう。でも今だけは………たくさん触れたい」


「私も、もう一度触れたいと思っていた」


「一度だけ?」


首を傾げて問えば、僅かに視線を彷徨わせたあと、意を決したように見つめ返される。


「今夜はイリリアの好きなだけ、何度でも構わない」


「じゃあ、がんばって生き延びてくださいね」


「ん?…お、お手柔らかに頼、む…?」



優しいキスをするなんてひと言も言っていないし、何より夜は長い。


今夜だけ許された特別な時間を心ゆくまで堪能するべく、身構えるアズハルをそっとベッドに押し倒し、逃げられないようゆっくりと覆い被さった。











「お陰様で元気になりました。たくさんご心配とご迷惑をおかけしました」


翌朝イリリアの呼びかけで集まってくれた側仕えの面々に、深々と頭を下げた。

皆はイリリアの復活を喜びながらも、視線はチラチラと寝台の一部へ向けられているようだ。そこにはアズハルが、白い髪を乱したままうつ伏せで倒れ込んでいる。


脈があるのはスハイルによって確認済みであるし、髪で隠れている寝顔はどこか安らかでもあるため、イリリアはそのまま起こさず置いておくことにしたのだ。



ちょっとした事件現場になっている寝台について言及したのはハルクだ。

サディオは指摘して良いものかと悩んでいるようにも見えるし、付き合いの長い面々は生きているならまあいいか…とわざわざ言及しない方向性でいるように思える。


「えーっと…アズハル様が倒れておいでなのは何か理由があるのでしょうか」


「無事に生還した喜びを分かち合っていたんですけど……少し、刺激が強かったみたいで…」


結局、朝日が差し込むまでずっとイリリアはアズハルを離さなかった。

王宮で大きな事件があったばかりだし、儀式がいつ執り行われるかわからない以上、これまでの我慢に加えて、この先我慢するぶんを先取りで受け取る必要があった。


予想していた通り、竜人族には人間のように深い口付けを嗜む文化はないようで、乱れに乱れたアズハルは救済の朝日を浴びるなりパタリと倒れて気絶するように眠ってしまったのだった。



これ以上の追求はやめた方がいいと本能的に察したハルクは、それ以上の言及は控えた。

代わりにトテテ…と駆け寄ってきてくれたのはラナーだ。

「アズハル様が気絶しているうちに…」と、むぎゅっと抱きついてくれる。


「おかえり、です。もう……悲しいのは嫌……」


「心配かけてごめんなさい。お別れの言葉も十分に言えなくて……また会えて嬉しい」


ぎゅっと抱き返せば、ゆっくり歩み出たシャイマが「おかえりなさいませ」と美しい礼を見せてくれた。ラナーを抱き込んだままではあったが「ありがとうございます」と礼をすれば、優しい眼差しを向けてくれる。


ラウダは「おかえりなさいませ」と微笑んだあと、両手で顔を覆ってしまっているルゥルゥの背中をそっと押し出した。

身を離したラナーが、ルゥルゥの手を引っ張って連れてきてくれる。その可憐な顔は、涙でしとどに濡れていた。


「ルゥルゥ……たくさん、本当にありがとう」


「イリリア、様が、ご無事で……よか、った……私、何も、出来なくて…」


「サディオさんを王宮に向かわせてくれたり、竜車でここまでついて来てくれたり、色んな事をしてくれた。きっと私が知らないところでも、たくさん頑張ってくれた。

ルゥルゥが私の主治医になってくれたことがこの上なく幸せ。出会ってからずっと、本当にずっと迷惑と心配をかけているけど、嫌じゃなければこれからも、そばにいて欲しい…」


ぶわっと涙が溢れてきたけど、胸の内を、言葉にできるだけ全部伝える。

ルゥルゥは何度も何度も頷いてくれて、「これからも末長くおそばに」とこちらの思いに応えてくれた。

お互いにくしゃくしゃの顔で、アズハル様が倒れていて良かったねと笑い合う。


「イリリア様からこんなにも熱烈な言葉を頂いたと知られたら、拗ねたアズハル様からどんな嫉妬を向けられることか…」


「今は色々と繊細な時期だし、引っ付いて離れなくなりそう」


一緒にいるのは別に構わないけれど、ずっと拘束具になられるとさすがに不便だ。

狸寝入りじゃないかな…?と伏せられた顔を覗き込んだが、目蓋は閉ざされ、長い睫毛は動かないまま。

ラウダが言うにはここ二週間、無理やり薬で眠らされた時間以外はほとんど休んでいなかったため、疲労と安堵で深い眠りにあるのだろうということだった。

アズハルの名誉の為にも口付けの過剰摂取で気絶したことは内密にしておこう…と、起きない程度に白い髪をそっと撫でておく。



女性陣との再会の挨拶が済むのを待って、サディオとハルクが目の前で膝をついた。


「お花様、護衛でありながら御身に傷をもたらしたこと、深くお詫び申し上げます。この身を如何様にも御処断ください」


サディオの言葉に加え、ハルクは「御身の安全よりも妃殿下を優先してしまったこと、重ねて謝罪申し上げます」と口にした。

襲撃の際の記憶はごちゃごちゃしているし一部は曖昧だけれど、確かにハルクは王太子妃殿下を逃すよう指示していた気もする。

イリリアとしては別に気にならない事だが、昨夜アズハルから、護衛役ふたりの面目を立てるためにも少なからずの罰を与えるようにと言われている。

だから、どのような罰を与えるかは、ひと晩かけてちゃんと考えてある。


「………ふたりには、後ほどひとつの試練を与えます」


試練という言葉に伏していた顔を上げたふたりに、出来るだけ重々しく頷きかける。


「きっと大変でしょうから、補佐として、サディオさんにはシャイマさんとルゥルゥを、ハルクにはラナーを付けます。その試練を乗り切っていただければ、今回の件、不問と致します」


処罰ではなく試練としたのは、ふたりは襲撃の際、護衛として最大限の働きをしてくれたから。

イリリアは姿勢を正すと、ふたりに向けて頭を下げた。


「おふたりとも……人間である私のために、剣を抜いてくださってありがとうございます」


ハルクとサイルは顔見知りであったようだし、護衛対象を守るためとはいえ、彼らが同族に刃を向けた事には変わりない。

少なからずの怪我をしただろうし、それ以上に、王宮に長く仕えていたふたりは今回の襲撃を受けて思うところもあっただろう。

アズハルからも、この先も彼らがイリリアの側に留まるつもりかどうか話し合う必要があると言われている。


「私はおふたりがそばに居てくれると、とても心強いですし安心します。ですが、ご自身や大切な方の気持ちを優先してくださって構いません……この先の身の置き場所について、南の離宮へ戻るまでに決めて頂ければと思います」


イリリアの側付きでなくなってもアズハルの近衛として離宮に残ることは出来るし、ふたりの実力であれば別の所でも諸手を上げて受け入れてもらえるだろう。

北は特に、今回の一件で大きく人員を失った。王宮の警備体制も見直されているという。

自分のそばに留まって欲しいという気持ちはあるけれど、イリリアにそれを強要することはできない。



「お顔をお上げください」と言ったのはシャイマだった。

教育係からの言葉にハッとして、反射的に背筋を伸ばす。


シャイマはサディオの隣に立つと「わたくしたちの結論は出ております」とハッキリ告げた。サディオも頷きながら、こちらを真摯に見つめてくれる。


「お許しいただけるのであれば、引き続きお仕え致したく存じます」


その言葉に、ありがとうございますと心からのお礼を言う。


隣のハルクへ目を向けようとすれば、そっと手を掬い取られた。

煌めきを背負った美しい顔が、比較的近いところにある。


「このハルク、どんな試練でも乗り越えてみせましょう。どうか末長く……貴女のそばに」


ウィンクと共に告げられた甘い言葉に、苦笑で返す。

本当はアズハル様のそばに居たいのではありませんか?という問いかけは飲み込んだ。

彼なりに自分の心と折り合いを付けて、イリリアの側付きのままで居てくれると言ったのだろうから、そこを指摘するのは無粋だろう。


ハルクが「ですがお花様、決してこの美顔に見惚れませんようくれぐれもお気をつけください」と世迷いごとを口にした途端、隣で倒れていた人物がむくりと起き上がった。

おや?と思えば、ハルクがこちらの手を握っているのを目敏く見つけるなり、目にも止まらぬ速さでそれを払い除ける。

ハルクの手は吹っ飛んだのに、イリリアの手は一切傷つけないのだから流石だ。


「怖…!速いし痛いし怖いですって…!」


「寝起き端に不愉快なものを見た……」


「すごい、全然見えなかった。アズハル様はかけっこ以外も速いんですね」


「ん?ああ……手でも足でも、動かそうと思えばそれなりに速く動く」


「カルタ取りをしたら強そう……地上の遊びなんですけど、今度ハルクとやってみてください」


並べた札を素早く取り合う遊戯だと言えば、うっかりハルクの顔を叩いてもいいならと同意してくれる。

ちなみにイリリアは、どれだけ手の動きが速かろうとアズハルにカルタで負ける気はしない。

待って、取らないで、ダメ、意地悪…と言えば好きなだけハンデをくれるだろうし、膝の上に座って動きを邪魔してしまえば完全勝利だ。

ただしその場合、読み手は延々と茶番を見続けることになってしまうが。


すっかり目覚めたアズハルは首をこきりと鳴らして立ち、簡単に身なりを整えると、室内の面々を見回して「この二週間は特に心配をかけた」と声を発した。

全員が恭しく礼の姿勢を取ったため、イリリアもつられて背筋を伸ばす。



「私の花嫁への想いは変わらない……どうか引き続き、支えとなってくれることを願う」


「「「御心のままに」」」



全員揃った言葉に「ありがとう」と鷹揚に頷くアズハルを、思わずぽかんと見上げてしまう。

こちらへ優しい眼差しを向けてくれる姿はいつものアズハルだが、先ほどのような時に、やっぱり王子様なのだと強く実感する。

もしかすると自分も王子妃として同じように威風堂々とした態度で居ることが求められていたのかしら……とちらりとシャイマを見遣れば、含みのある眼差しで小さく微笑まれてしまった。

まだまだ、学ぶことはたくさんありそうだ。




それから昼のあいだにお散歩がてら草摘みをして、

祝宴を兼ねた夕食の席で、護衛ふたりに『試練』としてお皿いっぱいの甘い草を提供した。


かつて南の警備隊副隊長を務めていたルトフをひと口で悶絶させた激甘草だ。

摘みたてで瑞々しいし、しっかりと洗ってもらったから虫もついてない。


何の草か知らなかったサディオは恐る恐る口にしてから、素早く水を飲んだ。

まだ成人する前にアズハルに連れられてこの辺を駆け回っていたハルクは、草の味を知っていたのか食べる前から顔を青くしていた。


そして食事という名の試練が始まってから四半刻……ふたりはもはや自分で口に運ぶ元気がないほどに憔悴しきっていた。



「…………お花様、これはしんどいです」


「いいから食べて……です」


「ぅ………腹を切り裂かれる方がまだ……」


「物騒なことを言わないで頂戴」


「ほらお父さん頑張って、あと半分」



ラナーは遠慮容赦なくハルクの口に草を突っ込んでいるし、シャイマは効率よく一定の速度で草を差し出している。そしてルゥルゥの応援はとても可愛い。

男性ふたりはどちらも草が甘すぎて胸焼けがひどいのか、目から光が失われているようだ。


イリリアが手づから摘んだ草なら自分も食べたいと立候補してきたアズハルへ「あーん?」と一本差し出せば、嬉しそうにぱくりと食べてくれる。

そしてモグモグと咀嚼したあと「……確かに皿いっぱいは苦しいかもなぁ」と呟いた。

甘さに慣れているアズハルでも苦しいと思うのなら、ハルクたちにとってはまさしく試練だろう。

ちなみにハルクの方が量が多い。アズハルが大きな手で掴み取った分が、サービスとしてもっさりと足されているからだ。


もう一度「あーん」と口元へ差し出す。再びぱくりと口にしたアズハルは、イリリアの前にも数本の草があることに気付いて首を傾げた。


「どうしてイリリアの前にもあるんだ?」


「反省を込めて…………あと、美味しいのでつい」


周囲に迷惑や心配をかけてしまった反省の気持ちも勿論あるものの、試練用の草を摘んでいるうちに甘いものが恋しくなって、つい自分用も確保してしまったのだ。


美味しいのならばとアズハルは、草を一本イリリアの前に差し出してくれる。

ぱくりと食べれば、砂糖菓子のような甘みが口いっぱいに広がった。


「うまいか?」


「はい、甘くて美味しいです」


今度はお互いの口元へ草を差し出し、同じタイミングでぱくりと口に入れる。

モグモグしながら視線を交わして微笑み合えば、一層に甘く感じられた。



「甘い草を食べながら甘い光景を見せられるって、とんでもない拷問ですね…」


「拷問じゃなくて試練だから……口開けて、です」


「容赦ないなぁ…」


「ここで食べきれないなら、ラウダがあーんしに来る」


「それ、カイス殿による処刑宣告付きですよね?」



文句を言いながらもどうにか口に運ぶハルクと、もはや言葉すら出てこなくなったサディオ。

ふたりは補佐役たちの熱心な助けもあり、どうにか無事、試練を乗り越えてみせた。






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