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28.5(幕間)老翁と秘められた記録

▽アズハル視点



差し出された禍々しい色合いの飲み物と、差し出した老翁の顔を見比べる。

静かに微笑んではいるものの、その表情は決して優しくはない。



「疲労回復と栄養剤入りです。お飲みにならないのであれば別室にてお休み頂くことになるかと」


「それは嫌だ。飲むが……睡眠作用のある薬は入っていないな?」


「入れておりませんが、代わりに気絶するほど不味いでしょうな」


それは物凄く飲みたくない。が、今はイリリアのそばを離れたくない。


離宮から駆けつけてくれたスハイルは花嫁の診察よりも先にこちらの身体の状態を見た。

彼は私の主治医なのだからその行動は正しいのだが、自分でも気づかぬ間に左手首が腫れ上がっていたようで、薬草を練ったものが塗られ布で固定されている。

それなりに鍛えている男を左手一本で引き摺って飛んだり歩いたりしたのだから、当然といえば当然なのかもしれない。

「何故このようなお怪我を…?」と静かに問うてきたスハイルは言葉に出来ない迫力に満ちていた。

「王宮へ行く際に片手錠が嵌められのだが、急いでいたからそのままハルクを引き摺りながら移動して…」としどろもどろに説明したところ、顎を撫でながら「ほぉ…」と呟いた時が正直一番怖かった。


そんなスハイルに見張られながら、気絶するほどに不味いという飲み物を、気合いで飲み干す。

その味は筆舌に尽くしがたく……喉へ流し込んだあと、数分は思考が停止したほど。


目の前でパチンと手を叩かれて正気に戻ったものの、口の中がずっと謎の粘り気に満ちている。


水を大量に流し込んでどうにか違和感を消しながら、こんな時こそ花嫁から撫でて慰めてもらいたいものだ…と寝台の上を見る。

先ほど、何かに怒っていたのか眉を寄せたまま足を軽くジタバタさせていたが、今は静かに上を向いて眠っている。


彼女が身動ぎをするたび、胸に安堵が広がっていく。



「そう心配なさらずとも、お花様の脈や体温は安定しておりますぞ」


「ああ。……ここに座っているあいだ、ずっと考えていた。何故、花が消え、そして戻ったのか…。何か思い付く事はあるだろうか」


「そうですなぁ。消えた理由はわかりませんが、口付けと共に誓いを立てられた…それが、途切れた運命を繋いだかと」



迷いなく答えたスハイルを見遣る。

いつものような優しい眼差しに戻っているものの、その瞳の奥には秘密を抱えているようだ。



「以前も思ったが、何故そんなにも『花』や『誓い』についての知識を持っている」



スハイルは黙ったまま、近くにあった椅子を手繰り寄せると、よいせと腰を下ろした。


彼も随分と年齢を重ねているから、話が終わるまで立ち続けろなどと酷なことを言うつもりはない。

元は父上の主治医だったが、何らかの行き違いか意見の相違があって王宮から追い出されたと聞く。けれども末子の主治医として改めて任じられたのだから、存在そのものを疎まれたわけではないのだろう。


スハイルは頭を整理するように少しばかり間を置いてから、「秘密を守れますかな?」と問うてきた。

秘匿することが花嫁を守ることに繋がるのならばと頷き返す。



「実は、イリリア様の前におられた、天上で唯一記録に残る人間の花嫁……彼女の主治医が私の御先祖でしてね。屋敷に密やかに、彼女に関する記録が残っておりました」


初めて知る事実に静かに驚く。


王宮には、人間の花嫁の記録は殆ど残っていなかった。

父上に聞いたところ、人間を疎む一族の者が記録保管庫の責任者となった際に、自分勝手な裁量で人間の花嫁の記録を処分してしまったという。

その者は王族に関する重要記録を勝手に処分したものとして厳罰に処されたものの、失われた記録の大部分は戻ることはなかった。


花嫁や花婿の記録は王宮で保管するのが一般的だが、そんな事情もあって、スハイルの一族は人間の花嫁の記録を王宮へ提出しないまま隠し持つことに決めたらしい。



「大部分が医療に関する記録でしたので、勿論ルゥルゥにも読ませております」


「そうか……獣人とは違い、人間はあまりにも事例が少ない。ゆえにルゥルゥには苦労を掛けてしまったが、そのような記録が残されていたとは」


「ええ、これは我が一族代々の家宝であり秘密でありますし、どのような扱いを受けるかわからぬ以上、その資料を王宮に差し出すつもりはありません。

医者とはある意味研究職…滅多にお目にかかれない珍しい事例を見て記録を読み、新しく識ることは垂涎の御褒美。どのような過去があろうと、知識の前に於いては人間も竜人も関係なし!だというのに、どうして考えなしに記録の処分などしたのかあのクソ政治家気取り共めぇ……!」


感情を昂らせ怒りに打ち震えるスハイルを「(じい)」となだめる。

彼はすぐに正気へ戻り、こほんと咳払いをした。


「取り乱しましたな、申し訳ない。

その記録のなかにあったのです。かつての花嫁は婚礼の際に『王子を拒まない』という誓いを立てた。ふたりは密やかに睦まじく生きていたものの、徐々に花嫁が心を病んでいった。そして『白い竜に喰われる』といううわ事を頻繁に口にするようになり、ついには王子の身を拒んでしまった。

その晩、花嫁は血を吐き、命を失った…と。

ですので、あの日のイリリア様の症状を見たときに、もしやと思いましてな」


「…………そうか」


花の誓いを破ったことがきっかけで命を落としたのだとしても、その前に徐々に心を病んでいったというのが気になる。

イリリアが傷つけられた時のように周囲が悪意を滴らせたか、あるいは別の理由があるのか。


スハイルが持つ記録には、花嫁は必要最低限の側付きを伴い、悪意に触れぬよう離宮の奥深くに隠されながら生きていたという。

夫婦仲も良好で、子も生まれ、夢見が悪くなるまでは幸せな日々を送っていたそうだ。


「あくまで考察ではありますが……その花嫁は営みの際に王族の作法に従い、竜血樹の入った薬を服用しておりました。もしかすると人間にとってあの樹液は、あまり良くない副作用を持つのかもしれません」


「………また、私の行動が彼女を危険に晒したということか」


「ですがあの場では、使わねば命を繋ぐことは出来ませんでした。

それに、事件のあと陛下へのご機嫌伺いのために王宮へ行った際、ナスリーンが処刑の前に気になることを言っていたと耳にしました。

どうやら正気ではない様子のまま『憎き人間は白き竜の御許へ捧げなければ』と繰り返し口にしていたそうで。

あの一族はこれまで殊更慎重に動き続けておりました。それなのに今回ナスリーンが強引に王宮へ侵入しお花様を害したのは、何らかの思想干渉があったのでは…とも考えております。憶測に過ぎませんし、今はもう確かめることは叶いませんが」


「ああ……母上は既に処刑されたのか」


「サーリヤ様が手を下したと聞いております。罪払いの一環という名目ではありますが、彼女は竜帝を守る隠し(つるぎ)として暗部を担うよう教育されておりますので、陛下の指示があればたとえ母親であっても躊躇いなく処分なさいます」


「そうか……姉上がそのような役目を負っていたとは知らなかった」


「知っておるのは陛下と王妃殿下と我が妻くらいでしょう。これも内緒ですぞ」


「そのような事情まで知っているとは、底が知れんな………しかし、母上やその一族が排除されるとき、私も共に消されるものだと思っていた」


「花嫁が瀕死の重症を負ったからと目溢しして頂けたようです。

それに王妃殿下に怪我を負わせたのは、北の一族でも竜王擁立派ではない家の者でした。これも憶測ではありますが、わざと王妃殿下を傷つけることで、陛下が動く理由を付けたのでしょう。それが一体誰の根回しであったかはわかりかねますが…」


「……今回の件、父上が動かなければ最悪は泣き寝入りだったな」


「ええ。人間の花嫁のせいでファティナ妃殿下が危険に晒されたとして、王太子殿下の不満がこちらへ向いた可能性もあります。これだけ事態が大きくなり、陛下が大々的に動かれたからこそ、今の状況に収束できたのでしょう」


「助けられてばかりだ」


「それで宜しいかと。貴方はあくまで無能で無益な道具でなくてはなりませんからな。いつまでも不手際の多い泣き虫坊ちゃんでいる事が、貴方と花嫁を守る事となる」


「まだ若い頃に『小賢しい知恵を身につける必要はない、王宮作法など適当に流しておけ』とお前やユスリーから言われた時は正気かと疑ったが、そういう事だったか……。私はどこまでも駄目だな。ハッタリをかます度胸もなければ万事に於いて察しも悪い。もう、南の離宮も職務も捨てて、イリリアと一緒にこの屋敷で安穏と隠れ暮らしたい」


「この地にはいずれ、引退した陛下が戻って来たがるでしょうからなぁ」


「だが、王妃殿下は絶対に来ないだろう」


「来ないでしょうな。甘い草にも静穏な暮らしにも興味のない御方ゆえ、おそらくはずっと王宮の奥を支配なさるかと」


「ではお前の妻君もずっと王宮か」


「そうなりますなぁ」


別居してもうどのくらいになりますかのぉ…と苦笑したスハイルは、ふと思い出したようにイリリアを見た。お花様とは何か話をなさいましたかな?と聞かれたため、花が戻ってからはまだ目覚めておらず、何も話していないと告げる。


「お目覚めになったお花様が『白き竜』について語られるかどうか、聞き取りの際にはどうか同席させていただきたく」


「意識のない間に何があったかは、彼女が自ら口にするまで待つつもりだ。その場に誰かを呼ぶかどうかは、その時の状況による」


「いかな状況にあろうと呼んでくだされ…!」


「誰かを同席させるとしても、そこは爺でなく主治医であるルゥルゥだろう」


「儂も聞きたい!」


「爺の探求心よりもイリリアの心情優先だ。重要な話をするのに、その場に無関係な爺が居ては彼女も困惑するばかりだろう」


「では儂もお花様の主治医にしてくだされ!」


「いくら老翁とはいえ、慎め…!」


爺とはいえ男なのだから花嫁に触れさせるわけがなかろう!と切り捨てたところで、あまりに騒がしかったのか扉からルゥルゥが顔を覗かせた。


「お爺ちゃん何してるの……」


「もうひとりの孫と遊んでおった」


「もぉ、失礼なことしないの。それより、ちょっと相談したいんだけど…」


「お花様の事かの?部屋で聞いてやるから、ルゥルゥも少し休みなさい」



愛孫と共に出て行ったスハイルの背中を、ため息と共に見送る。

孫扱いされるのは苦ではないが、どこからどこまでが本気かわからないのは少し困る。



椅子を寝台の側に寄せて、眠るイリリアの手を取る。

あたたかな体温がじわりと溶けて、胸に残る苦々しさを消してくれるようだ。



「……………花の誓いに、白き竜……か」



ひとりごとを呟いた途端、イリリアが何か…もごもごと寝言を口にして。

手を振り解くような勢いで寝返りを打ったかと思えば、寝台の向こう側へ一気に転がって行った。






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