8
黒い高級車の車内。
夕暮れの街並みが窓の外を流れていく。
助手席に座る麗華(その姿は大堂そのもの)は、不安げに前を向いたまま口を開く。
「あ、あの……!」
桐谷が運転席から視線だけを向ける。
「どこへ向かう気ですの?」
助手席の熊田は答えられず、苦しそうに唇を噛んだ。
重苦しい沈黙を破ったのは、桐谷だった。
「あんたは、ただ若頭として振る舞ってくれればいい」
穏やかな口調だったが、その声には揺るぎない覚悟が宿っていた。
「指示は全部、俺が出す。あんたは誰にも知られないよう演技してくれ」
「演技……ですって?」
麗華は信じられないというように目を見開く。
「そんなこと、わたくしにできるわけありませんわ!」
感情を抑えきれず、声が震える。
「わたくしは一刻も早く、元の身体に戻らなくてはいけませんの!」
拳をぎゅっと握りしめる。
「お父様とお母様は今、海外旅行で家にはいらっしゃいませんけれど……」
その瞳に涙が滲んだ。
「きっと、わたくしのことを心配しているはずですわ……」
黒崎の顔が麗華の脳裏に浮かぶ。
「黒崎だって……きっと……」
それ以上言葉にならなかった。
ぽろり、と涙が頬を伝う。
その姿を見て、熊田は申し訳なさそうに頭を下げた。
「若頭……いや」
小さく息をつく。
「麗華ちゃん」
麗華は涙で濡れた瞳を熊田へ向けた。
「本当に、ごめん」
熊田は真っ直ぐ頭を下げる。
「俺たちが巻き込んじまった」
車内に沈黙が流れる。
やがて桐谷が静かに口を開いた。
「赤羽との一件が終われば、あんたを必ず元の場所へ連れて行く」
バックミラー越しに麗華を見つめる。
「約束する」
少し間を置いて続けた。
「だから……もう泣かないでくれ」
その言葉には、嘘偽りのない誠意が込められていた。
「こっちは、人の命がかかってる」
桐谷の表情が引き締まる。
「仲間の命だ」
「……」
「頼む」
静かな声だった。
しかし、その一言には何よりも重い願いが込められていた。
「協力してくれ」
麗華はゆっくりと目を閉じる。
自分一人だけが苦しいわけではない。
誰かの大切な人が、今まさに危険にさらされている。
それを見捨てることなど――西園寺麗華にはできなかった。
涙をそっと拭う。
そして、小さく息を吸い込むと、真っ直ぐ前を見据えた。
「……分かりました」
その瞳には、先ほどまでの迷いはなかった。
「若頭さんの話し方を教えてください」
熊田と桐谷が同時に振り返る。
麗華は凛とした声で言った。
「わたくし、やり遂げますわ」
その一言に、車内の空気が静かに変わった。
桐谷は小さく微笑み、静かに頷く。
「……ありがとう」
車は夕暮れの街を駆け抜け、運命の待つ場所へと走り続けた。




